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 程なくして部屋に女中が呼びに来て、夕餉が振舞われた。昼と同じ食事処兼大広間は再び宿泊客で賑わっている。昼の散策とカメラの件もあり、京介は食事を摂りながらそれとなく警戒するように耳をそばだてていた。

「こちらは国産の桜チップでいぶしておりまして……」

「なー、飯のあとトランプやろうぜ」

「綺麗だよ、誰よりも」

「そういえば、玄関の壺ってなくなったらしいよ。女中さんが言ってた」

「ここの酒は旨いな、おい、もう一杯」

 やはりどの人間の言葉も多少の嘘が紛れている。彼の胸の内が反応し、砂の小粒が転がり込むようにざらついた。ひとつひとつはどうでも良い嘘だが、発せられた言葉自体に、台本のような嘘臭さが漂っていた。

 自然と険しくなる顔を見かねて、向かいで吸い物を啜っていたあとりが小声で指摘する。

「秋月さん、目が怖いですよー」

 榛色の瞳が京介を覗き込むと、彼は盗み聞きを止めて目を閉じて椅子に凭れ、溜息を吐いた。

「ほら元気出して! ついでに何か適当にドリンクバー取ってきますから!」

 少女は自分の空のグラスを手に席を立った。彼女の去っていく足音を聞きながら、警戒が顔に出ていたか、と水のグラスを傾けた。

 近くの席で学生達が騒ぐ声を聞きながら考える。逆に何故あとりは平気なのだろうか。嘘が分からないのは普通だとしても、隠しカメラを見つけた時点でもう少し疑心に駆られても良いと思うのだが。十代の少女というものは大体こうも危機感が欠如しているものなのだろうか?

 京介が小さな氷の粒を噛み砕いたその時。

「な! やっぱそうだよな!」

「えーそうかなあ」

「いやもう本人に聞いた方が早いんじゃない?」

 宿泊客の学生三人組が、そう口々に言ってテーブルに近づいてきた。茶髪の学生の手にはスマートフォンが握られ、残り二人もその画面を熱心に覗き込んでいた。

「探偵さん! ちょっといいっすか?」

「……何だ」

 心情的には全然良くなかったが、茶髪の学生は構わず話しかける。

「これ最近バズってる画像なんですけど、知ってます?」

 彼が京介に向けた画面には、SNSに投稿された写真が大きく映し出されていた。

「…………」

 差し込む夕陽を浴びて、傘を開き花びらと共に空から舞い降りるひとりの少女と、それを見上げる黒手袋の男。虚構のような画像には一切の加工がされておらず、二人の横顔が写されていた。

 その幻想的な構図は、紛うことなく一昨日の吊橋であとりが起こした奇跡の瞬間だった。

「今朝SNSで見つけて……映画のワンシーンみたいですよね!」

「めちゃくちゃ探偵さんと女の子に似てません? もう本人なんじゃないかと思うレベルで」

 画像にはご丁寧に、大吊橋の位置情報がタグ付けされている。角度的に撮影者はあのストーカーだろう。京介は察しがつき、迂闊だった、と内心舌打ちした。

 投稿は既に一万件以上拡散されている。今更無かったことには、出来なさそうだった。

「知らないな。人違いだ」

 探偵は眉ひとつ動かさず否定した。それだけか、と言うように学生を見遣ると、彼らは顔を見合わせてそそくさと自分達の席へと戻って行った。

 窓の外に視線を移し、小さく嘆息する。自分の口から出た嘘の感触で、喉の奥は一握いちあくの砂を呑んだかのようにざらついていた。

「お待たせしました! オレンジジュースで良かったですか?」

 戻ってきたあとりが新しいグラスを差し出す。京介は黙って受け取り、嘘を呑み下すように一気に飲み干した。



 部屋に戻ると、座卓が部屋の隅へと動かされ、畳の上に二枚の白い布団が敷かれていた。あとりは片方の布団に飛び込み、

「こっちのお布団もらいましたー!」

 うつぶせ寝のまま領有権を主張する。京介は好きにしたらいい、と素っ気なく呟き、二畳ほどの窓際に椅子を移動させて腰掛けた。そのまま障子を閉めて和室と隔離しようとする。布団に潜り込んでいたあとりは顔だけ出して声をかける。

「あれ、秋月さん椅子で寝るんですか? 好きなんですか? 椅子で寝るの」

「……お前、本当に川の字で寝るとでも思ってんのか」

 障子の隙間から、探偵はじとりと睨んだ。しかし布団を背負ったかたつむりのような姿の彼女は意に介さない。

「修学旅行みたいで楽しいじゃないですか。せっかくですし、楽しみましょうよー」

 腕だけを布団から伸ばし、テレビのリモコンを手に入れるあとり。電源を入れると、液晶は粗めの画素でバラエティ番組を映し出した。

「勝手に楽しんでくれ……」

 32インチから溢れ出す笑い声を背に、黒手袋が後ろ手で障子を閉めようとする。布団の中の少女は見咎めるようにふと問いかけた。

「秋月さんて、寝る時も手袋したままなんですか? 潔癖症ですか? 事務所あんなに汚いのに」

「ほっとけ」

 白い障子戸は、今度こそぴしゃりと閉じられた。



「さーて! 確認といきますか……あれ?」

「一個映ってなくない?」

「え、何で? 壊れた?」

「やっすいカメラ買うから……」

「あんま金掛けられねえからしょうがねえじゃん……どこの部屋?」

「爺さん婆さんは映ってて、若夫婦のとこも映ってて……あー、探偵さんのとこじゃね?」

「えー、あの部屋見たかったな」

「な。助手っぽい女の子可愛かったし。探偵ってのもめっちゃ気になるし」

「あの画像の二人に激似じゃなかった?」

「本当に探偵かな?」

「本当だったとしたら俺ら引き強すぎじゃね?」

「カメラも探偵が見つけてたりしたら最高に面白いね」

「それ絶対盛り上がるやつじゃん……」

「結果俺らより目立ったりしてな!」

「帰ったら映像見返してみようぜ」

「まあ映らないのは残念だけど、あと僕らに出来るのは明日の準備だけだから」

「そうだな……あれ、壺は?」

「女将さん忘れてんのかな」

「取り行く?」

「いや、誰かとすれ違ったりしたらバレるじゃん」

「全員寝てから取りに行こうぜ」

「探偵さん達、寝てるかどうか分かんないなー」

「俺もう眠い」

「じゃあ俺朝一番で取りに行くわ。それなら絶対寝てんだろ」

「そうだな、それがいい。俺もう眠い」

「お前は今すぐ寝てえだけだろ」

「はいじゃあ、という訳で今日は寝まーす」

「おやすみなさーい」

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