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 大広間は宿泊客で賑わっていた。グループ毎にテーブルが割り振られ、各々が配膳された旅館の料理を楽しんでいる。奥のテーブルでは、行きのバスで騒いでいた学生三人組がやはり騒いでいたし、隣の老夫婦はそれに顔を顰め、さらに隣の若い夫婦は意に介さず楽しそうに食事をしていた。

「はふ……誰かの作る料理が勝手に出てくる状況……幸せですね」

 湯葉の山菜巻きを頬張りながら、あとりは夢見心地で呟いた。普段自炊かコンビニ弁当中心の食生活である彼女にとっては、他人の手料理は貴重なようだ。

「あ、見てくださいよ!私の緑茶、二本も茶柱立ってます! すごくないですか?」

 大事そうに本日の幸運を披露する少女に対し、特に感想なく一足先に食事を終えた京介は、エスプレッソを啜りながら窓の外に目を遣っていた。

「お、可愛い子いるじゃーん! こんにちはー!」

「おい、やめろって」

 奥で騒いでいた学生三人組が通りかかり、その内の坊主の男があとりに声をかける。ドリンクバーにでも行くつもりだったのか、彼らの手には空のグラスが握られていた。

「俺ら旅行で来たんだけどー、お姉さんも旅行?」

「やめろって、彼氏さん引いてるだろ」

「…………彼氏じゃない」

 茶髪の友人を制止する眼鏡の大学生の言葉に、京介は眉根を寄せてぼそりと呟いた。あとりも追従する。

「ですです! ただの探偵と助手ですー」

「どさくさ紛れに助手になるな。お前を雇った覚えもない」

「ちッ、バレたか……」

 いけると思ったのに、と彼女は悔しそうだ。

「……マジ? 探偵……っすか?」

「探偵っているんだ、本当に」

「え……ヤバくね?」

 あとりの言葉を聞いた学生達は顔を見合わせ、一様にざわめく。何やら面倒な事になった、と京介が疲労を感じて目を伏せると、

「おい、うるさいぞ」

 奥のテーブルから非難の声が上がった。目を遣ると、年配の男性が給仕係の従業員に苦情を言っているようだった。やべ、と学生はいそいそと自分達の席へ戻っていった。

 探偵は難を逃れたと短く息を吐き、手元の抹茶の残りをエスプレッソに流し入れた。

「外出先では我慢してくださいよ……」

 とぐろを巻く高級抹茶とエスプレッソだったものを微妙な顔で見つめながら、あとりが呟く。意に介さず、京介はマグカップの中身を口に運んだ。



 昼食を終え、二人は食事処を後にした。食べ過ぎたのか、あとりは苦しそうにお腹をさすって歩いている。

「デザートを全制覇しないと元が取れない気がして……うう」

「……元も何も、タダだろうが」

 止める間もなく彼女が机に各種デザートを並べた時点で、こうなることはあらかた予想はついていた。京介は呆れながら部屋へ真っすぐ向かう。廊下の角に差し掛かった時、何やらひそひそと話し込む女中二人の姿が目に入った。

「あなた知らない? 入口の……」

「ああ、あの壺でしょう?朝はあったのに」

「おかしいわねえ……」

 そのやり取りを見て、一瞬眉を顰める京介。

「無くし物ですかね?話を聞いて――」

「いや、いい」

 女中に声を掛けようとするあとりの首根っこを掴んで制止する。探偵なのに、と彼女は首を傾げたが、そのまま彼は通り過ぎ、歩き去って行った。

 部屋に着くや否や、少女は黄金の畳に転がった。

「はあああ、もうしばらく動けないです……」

 そのままコロコロと器用に部屋の奥まで転がっていく。

「温泉に入るんじゃなかったのか?」

「温泉は逃げないので……戦略的一時撤退です……」

 彼女はそのまますやすやと寝に入ろうとする。その様子を見た京介は部屋の鍵を机に置き、踵を返して玄関に向かった。

「あれ、お出かけですか?」

「……散歩だ」

 彼は玄関で一度振り向き、早くも無防備に寝息を立てるあとりに溜息を吐き、静かに戸を閉めた。



 食ってすぐ寝るとは幸せな奴だ、と思いながら京介は廊下を歩いていた。出会って数日の男が同じ部屋にいて警戒もしないとは、能天気にも程がある。

 あとりと二人で部屋にいるのが手持ち無沙汰だったのもあるが、彼には気がかりな事があった。

 廊下の角では、先程の女中達がまだ失くした壺の話をしている。その横を通り過ぎ、受付の前へ。受付台で台帳を開く女将は、ああ忙しい、と呟いて控室の暖簾の奥へ引っ込んでいく。京介はその様子に眉根を寄せ、二階への階段に向かった。飴色の階段をぎしり、と音をさせながら上がっていると、二階から降りてきたと思しき茶髪の大学生と眼鏡の大学生が何か話している。彼らは京介の姿に気付くと、

「あ、探偵さん。奇遇ですね」

 と笑顔を向ける。会話に巻き込まれないよう、探偵は無表情のまま目を伏せてすれ違った。

 階段を上がった先には『男湯』『女湯』『家族湯』と暖簾がそれぞれ掲げられており、奥から湯の香りが流れてくる。家族湯の入口には『清掃中』の看板が立てられ、奥から清掃員の男性がデッキブラシを抱えて出てきた。

「困ったなあ。誰だよ、風呂を石鹸まみれにした奴は……」

 迷惑そうに呟く彼に、すっと目を細める京介。視線に気付いたのか清掃員は看板を置いたまま、そそくさと立ち去って行った。

 家族湯の奥にある休憩室へ足を向ける。客室と同じくらいのスペースに、瓶牛乳の自販機が備え付けられている。あとりが言っていたようにマッサージチェアが並んでおり、湯上がりの老夫婦がそれぞれ掛けて寛いでいた。

「はあ……極楽極楽、だな」

「ええ……」

 二人は恍惚とした表情で天を仰いでいる。京介は彼らのマッサージチェアにちらりと目を遣り、休憩室を後にした。視線を施設の隅々に向けつつ、小走りで階段を降りる。そのまま玄関の暖簾を潜って宿の外へ。

 彼は周囲を見回し、人気がない宿の外周へ向かう。ここならば、誰も見ていないだろうか。

「一体、どうなっている……」

 黒手袋が腕を組む。

『人気でなかなか空きが出ないのです』

『俺ら旅行で来たんだけどー』

『あなた知らない?入口の……』

『ああ、あの壺でしょう?朝はあったのに』

『おかしいわねえ……』

『ああ忙しい』

『あ、探偵さん。奇遇ですね』

『誰だよ、風呂を石鹸まみれにした奴は……』

『はあ……極楽極楽、だな』

『ええ……』

 この宿を訪れた時からある違和感。温泉宿の外観を見つめる京介は困惑していた。


「何故、どいつもこいつも嘘を吐いている……?」

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