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 結局、一週間の試用期間を設けることになり、少女は部屋の掃除に取り掛かっていた。

「早川あとりです! 特技は掃除と炊事です!」

 あとりは床に散らばったクロスワードパズルの雑誌を片付けながら、元気に自己紹介した。対して男はやり取りに疲れてげんなりしている。

「――秋月京介。明日から一週間経って要らねえと思ったらすぐ切るからな」

 はーい! と元気な返事を聞きながら、京介はソファーに掛け直した。

 本当は今日から一週間を数えるつもりでいた。ただ少女がゴネてじゃんけんで決めようと言い出し、探偵は呆気なく敗北したため要求を飲まざるを得なかったのだった。なぜ雇用主の意向が無視されるのだろう、と理不尽さに頭痛がした。

 京介は早くもどうやって追い出そうかと考え始めていた。この日常の小さな幸せを噛み締めている系の、社会の厳しさに鈍感な少女とどうやったら一緒に働けるというのだろう。

 あとりに目を遣ると、彼のそんな思いも知らずにへへ、と口元をゆるめた。

「……お前いくつだ? 成人しているようには見えないが」

 京介の問いに、彼女は雑誌を重ねながらきょとんと見返した。

「女の子に年齢聞くとか良い度胸してますね! 十九ですー」

 その言葉に、彼は傾けていたコーヒーの手を止める。

「……何で嘘吐くんだ」

「んう……今年の夏で十九なんで同じようなもんじゃないですか」

 唇を尖らせて反論するあとり。何でバレたんだろう、と不思議そうに首を傾げた。マグカップを持ったまま、立て続けに京介は質問を投げかける。

「ここに来る際に道端で聞いたと言ってたが、地元はこの辺なのか?」

 んー、と彼女は考える仕草をした。

「ですね」

「……今度はどう嘘なんだ」

「んええ」

 言い当てられたあとりは、せっかく積み重ねた雑誌の束を崩しそうになる。

「……さっきから、何で嘘だって分かるんですか?」

 分かりやすい顔してますか? と彼女は頬をつねり、それに、と付け加える。

「さっき私が空き巣に入られたとかストーカーされたとかって話したじゃないですか。警察だって相手にしてくれなかったんですけど、何ですんなり受け入れられたんですか? まるで心を読んだみたいに」

 京介はしまった、と言う顔を一瞬だけして、コーヒーが入ったマグカップを机に置く。そこへコーンスープの残りを注ぎ、一切の躊躇ためらいなく口に運んだ。

「……俺は他人の言葉が嘘かどうか分かる」

「ちょっと目の前の事実が受け入れられなさ過ぎて、情報が入ってこないです……」

 何が? という顔の京介。手に握られたマグカップには薄茶色のとぐろを巻いた液体が渦巻いている。味を想像しようとするほど、胃酸が上がってきそうになるビジュアルだ。

「うぇ……。それこそ嘘みたいな話ですね」

 にわかに信じ難いですけど、と訝しみ、雑誌の束を紐でくくるあとり。

「完全に? 百発百中ですか?」

「……今から俺がいう質問にすべて「はい」で答えろ」

 京介は面倒臭そうに、少し考えてから口を開いた。

「猫は好きか?」

「はい」

「一人っ子か?」

「はい」

「星座は牡羊座か?」

「はい」

「今朝の朝食はパンだったか?」

「はい」

 コーヒーコーンスープを啜り、さらりと結論付ける。

「全部嘘だな」

「え……正解です! すごい!」

 何で何で、と驚愕するあとり。

「……体質みたいなものだ」

 マグカップを置いて手を組み説明する。

「人間誰しも、嘘を吐くと「本当は違うけど」といった本心との葛藤を感じる。その人や嘘の程度によって大小あるが……その胸のさざめきが、俺にも伝播する。砂粒のようにざらざらと。だから良い嘘も悪い嘘も、俺には通用しない」

 あとりは括った雑誌の山をが抱えて感心した。京介は少し喋りすぎた、といった表情でマグカップの中身を飲み干した。

「色んな人がいるんですね……まあ私のことを信用してくれるなら、話が早くて助かります」

 少女はでも、と目を輝かせる。

「嘘が分かるなんて、すんごい名探偵じゃないですか! どんな事件だって犯人の嘘を暴いて解決できるんでしょう?」

 少女の言葉を聞くや、空のマグカップを適当に置き、探偵は不機嫌そうに言う。

「そんな小説みたいな仕事じゃない。さっきも言ったが、ここは零細事務所で週に一度依頼が入れば良い方だ。草むしりなどの便利屋から浮気調査、迷い猫探しなんかがメインだ」

「それって宝の持ち腐れでは……?」

 首を傾げる彼女に、京介は視線をマグカップに落として吐き捨てる。

「この体質を宝などと思ったことはない。俺は極力人と関わりたくないんだ。多かれ少なかれ人間は嘘を吐く。それにいちいち反応するのが疲れる」

「ああ、だからこの事務所、テレビ置いてないんですね……」

 あとりは客間を見回して納得した。テレビもラジオも、そこに人の声がするものは何も置かれてなかった。

 そうだあともうひとつ、と束ねた雑誌を部屋の隅に置いて問いを重ねる。腕を組んで再びソファーに沈み込もうとしていた京介は不機嫌な顔を向けた。

「この雑誌の山は何ですか?好きなんですか?クロスワード。あとすっごい眠そうなのは何なんですか?もうお昼前ですよ?」

「……質問が多いな」

 京介は欠伸あくびを噛み殺しながら答える。

「パズル雑誌の懸賞の締切が迫っているから手伝えという依頼だ。一週間で制覇しようとすれば誰でもこうなる」

「それって探偵の仕事なんですか……?」

 京介は客が来るまで絶対に起こすな、と言い捨てて、今度こそ本当に眠りについた。

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