第6話 回想 二人の約束
あれは今から八年近く前、小学三年生の夏休みのできごとだった。
俺は近所に住む友達に誘われて図書館へと出かけ、そこで勧められるがままに児童文学を読み耽っていた。
俺はあまり本を読む子供ではなかったから、紙に記された魔法やドラゴンが跋扈する世界での冒険譚は新鮮な感動をもたらし瞬く間に俺を夢中にさせた。
そして、物語の中で強大な敵に立ち向かう主人公たちに感化され気が大きくなっていたせいか、俺は図書館からの帰り道に隣を歩く友達へ一つの提案を持ちかけた。
自分たちで物語を書き、それに挿絵を添えて今日読んだものを越えるような本を作ってみよう。
細部は朧気でもう思い出せないが、俺のした提案は概ねこんな内容だった。
友達の方は俺の提案にえらく乗り気で、約束だと指切りまでしていたけれど。
言ってしまえば、あれは現実味に乏しい子供の思いつきだ。
商業とは言わず同人誌として発表するにしたって、一つの本を作るためにどれだけの労力が必要なのか想像することもできない子供だったからこそ出た妄言と言ってもいいだろう。
普通なら、そんなものは欠片程の実現性を見出すこともできないまま飽きて、自然に忘れていくものだ。
もしも八年近くの歳月が経過し高二になってから思い出すことがあるとすれば、それは昔を懐かしみながらの笑い話としてだろう。
だが、幸か不幸か俺と共にいた友達は普通じゃなかった。
俺がそのことに気がついたのは半年後、母さんに連れられて訪れた美術館で市内の小学生を対象として行われたコンクールの最優秀賞作品を見たときのことだ。
確か、コンクールのテーマはふるさとの絶景とかそんな所だったろうか。
観光スポットや高台から見下ろす町並みを描いた絵が並ぶ中、最優秀賞として飾られていた絵には風に吹かれる木々と小ぢんまりとした社だけが描かれていた。
題材としては決して派手なものではなかったはずなのに、その絵は明らかに周囲のどんな絵よりも人目を惹いていた。
淡い色使いで描かれた無人の神社には明らかに実物よりも明るい空気が満ちていて、枝先を揺らす木々を見ていると心地のいいそよ風に当たっているような気分になる。
題材になった場所を知っている身としては、あそこはこの絵に描かれているような爽やかな場所ではないだろうと思わずにはいられなかったけれど。
それでも、その絵に描かれた社や木々の質感はまるで本物みたいで、一目でどこを描いているのかわかってしまった。
とても、同い年の人間が描いた絵だとは思えなかった。
だが、俺がどんな風に思おうと事実は変わらない。
思い出の場所、そう記されたタイトルの隣に並ぶ折笠朱乃おりがさあけのという名は紛れもない俺の友達のものだ。
彼女は絵の練習をしているなんて一言も言わなかったから、それまで知らなかったけれど。
俺の友達は俺が想像していたよりもずっと凄いやつだったのだと、そのとき初めて思い知った。
まあ、とはいえそれ自体は悪いことじゃない。
友達が凄いやつだったなら、素直にそう言って彼女を褒めそやせばそれで終わりだ。
そのときの俺はそう思っていた……いや、そう思おうとしていたのだけれど。
朱乃の家を訪れ絵について褒めそやす俺に向かって、彼女は自分は文章を書くのは得意じゃないから絵で頑張ることにしたのだと、そう言った。
最初、俺は何を言われているのかわからなかった。
なにせ、俺は既に図書館からの帰り道に交わした約束など忘れかけていた。
咄嗟に反応できなかったのも当然だろう。
だが、続けて朱乃が俺の書いた読書感想文がコンクールで賞に引っかかったときのことを引き合いに出し自分たち二人ならきっといい本を作れるとか言い出したのを聞いて、ようやく彼女の言いたいことに思い至った。
俺がとっくに忘れかけ、欠片程も本気にしていなかった約束を彼女は本気で実現しようとしている。
正直、どうしていいかわからなかった。
俺には本を作るために必要な能力なんて欠片も備わっていないし、かといって開き直り堂々と約束を反故にするだけの思い切りもない。
結局、その日の俺はしどろもどろになりながら約束についての話をごまかし続け、逃げるようにして朱乃の家を後にした。
表面的には、俺と朱乃の約束にまつわる話はこれで終わりだ。
俺の無様な姿から事情を察したのか、あれから朱乃が約束について口にすることはなかったし、俺も敢えて蒸し返す様なことはしなかった。
けれど、至極どうでもいいものとして忘れかけていた約束を、俺はあの日から朱乃の顔を見るたびに思い出す。
自分と対等だと思っていた友達が、自分にはどうにもできないことを平然と実現してしまう。
おまけに、自分はその友達に対して偉そうにできもしない約束を持ちかけた挙句、何もできずただ気を使わせて終わりだ。
思えば、他人に対して本気で劣等感を抱いたのはあれが初めてだったかもしれない。
当時の俺にはその自覚すらなかったけれど。
本当は、俺は朱乃を褒めたくなんかなかった。
彼女が自分よりすごいやつだなんて、認めたくなかった。
彼女以外の誰が同じことをしても俺は素直にそれを称賛することができただろうけど、朱乃にだけは俺と同じでいて欲しかった。
朱乃は俺にとって最も仲のいい親友だから。
彼女にだけは、俺を置いていかないで欲しかった。
我ながら、あまりに情けなくて呆れてしまうけれど。
俺にとって、折笠朱乃の才能は認め応援すべきものであると同時に、あの日からずっと変わることのない劣等感の象徴だ。
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