入学②
右も左もわからない。先ほど形容した通り、少女は迷っていた。
新入生は入学式のために講堂へ集められる。けれど、その講堂の場所さえ知らない少女にはこの学園はあまりにもレベルが高すぎた。…具体的にはあまりにも広すぎて、ここがどこなのかわからないのだ。
「…あ、もうこれは完全に迷ってしまった感じだよね」
あまりにも自分自身が情けなさ過ぎて零れ落ちる声がかすれていた。
先ほどの新入生と思しき集団についていけばいいものを、あまりにもきらびやかな校舎に目を奪われ、好奇心の赴くままに足を進めていた結果がこれである。そう、完全に自業自得であったのだ。学園内に設置された大きな時計台のおかげで、幸い時刻は把握できた。しかし、刻一刻と近づいていく入学式の時間に少女が焦りを見せるのも時間の問題であった。
どうしよう、と絶望感で一杯で回らない頭で少女は考える。知り合い何て一人もいない。頼れる人なんて誰もいない。強いて言うなら、先ほど会ったアリアさんしか名前すら知らない。取り巻きのような女子生徒二人は私に名乗りもしなかったため、単純に名前を知らないのである。初対面の人間に目の敵にされるほど悲しいことはないのである。何にせよ、先ほどの取り巻き女子生徒達とクラスが違うといいなぁ、なんて祈りながらまた少女は時計塔を見上げる。
…リゴーン、リゴーンと低い鐘の音が鳴り響く。時計台の鐘の音だ。あともう少しで、入学式が始まってしまう。私はこのまま入学式に出ない、とんでも女子生徒として生きていくことになるのかな…とまた絶望感で打ちのめされそうになる。
「よー、そこの女子生徒」
「っは、はい!?」
突如かけられた声に反射的に返事を返す。しかし、声の主と思しき人物は後ろにも前にも見つからずあたりをきょろきょろと少女は見まわす。もしかして空耳だったのかもしれない、私の心細さによって聞こえた幻聴の類なのでは…!?という考えが浮かぶ。
「こっちこっち」
また気安い軽やかな声が響く。…今度はたぶん、幻聴じゃないはず。そう思いながらももう一度その姿を探せば―――、いた。
少女の頭上、正確に言えば校舎2階の渡り廊下から身を乗り出す、男の人がそこに居た。逆光によっていまいち顔がわからないが、太陽の光を受けてきらきら光る黄金色の髪が印象的だった。
「そこに落ちてるそれ、拾ってくれない?」
それ、と言われ彼の指さす方向を見ればそこには紙のようなものが落ちていた。言われるがままに拾えば、それが本に挟むしおりのようなものだとわかる。
「サンキュー、そこ行くからちょっと待っててね」
そう言い残して、ひょいっと消えた彼をなんとなく待つ間、少女はそれをひっくり返してしげしげと見つめる。…見れば見るほど、変哲もないしおりだった。小さな花がいくつか押し花にされている、可愛らしいデザインだ。他にわかるのはそれが年季の入った物であることくらいで、城下町に行けば似たようなデザインの物はたくさんある、そういった類のよくある物だった。お金持ちがたくさん通うであろうこの学園で、落としたとしても探すような物にはあまり思えなかった。
「サンキュ、サンキュ!いやぁ、探してたんだわ、これ」
そんな声と共に手の中にあったしおりが、ひょいっと抜き取られる。驚いて顔を上げれば、そこに居たのは薄い茶髪の、少女と同じ制服を身に纏った男だった。
髪の色が違う、そう思ったものの声は同じだ。光の加減で見間違えたのだろうかと内心思いながら、男をぼんやりと見上げる。
「…何?俺に見惚れた?いやぁ、君見る目があるね」
「っ!?え、っと、その…」
ずいっと距離を詰められ、思わず後ずさりしてしまう。にこにことした人好きのする笑顔を男は浮かべながらそっとしおりをポケットにしまう。
「いや本当に助かったよ。探してたんだ」
「お、お役に立てたなら何よりです」
何で今、めちゃくちゃに距離を詰められたんだろう…?そんなことを疑問に思いながらもう一度彼を見上げる。結ばれているタイは群青色で、確か2年生が付ける色だったはずだ。
「君、1年生?もうすぐ入学式だけどここにいていいの?」
「あ…!私、迷子でして…、講堂の場所を教えていただけませんか!?」
迷子の私に唯一差し伸べられたチャンスだと言わんばかりに少女は男に詰め寄る。先輩なら私より絶対にこの学園に詳しいはず。正直に事情を話せば、彼は青い切れ長の瞳を真ん丸と見開いた。
「君、迷子なの?…まあ、一年がこんな時期にここに来るはずないもんなぁ。…いいよ、場所教えてあげる。落とし物のお礼」
「本当ですか!?ええっと…先輩!ありがとうございます!」
名前は知らないが、ついでに距離もなんか近いけど、これこそ渡りに船だよね!ラッキーだ!先輩の先導について行けば、きっと入学式に間に合うはず。入学式バックレ女にならなくてすむ…!!
その思惑通りに、少女は無事に入学式を行う大講堂にたどり着くことができた。先輩は大講堂の手前で、用事があるからと別れてしまったので、後日改めてお礼を言いたいと思う。
急いで新入生の列に並び、入学の証のピンバッジを受け取る。割り振られた講堂の椅子に座り、それを見よう見まねで自身のタイに着ければ、ようやく自分がこの学園に入学できたのだという実感を強く感じた。周りをちらりと観察すれば、男女ともに背筋を伸ばし真っ直ぐに前を向いている。私のようにキョロキョロしている生徒なんて一人もない。その事実に気づき、期待で逸る心を抑えて少女もぴしっと背筋を伸ばして入学式の始まりを待つ。
教師と思しき大人の声が響き、入学式の始まりを告げた。
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