シエロ

「あの……さっきからどうしたんですか?」


何かあるわけでもないのにも関わらず、何故だか体をくねくねさせているホロにアイリスは再び困惑させられていた。


「あなたは気にしなくて大丈夫です、それよりも仕事ですが……あなたは何がしたいのですか?」

「わからない……どんな仕事があるの?」


アイリスは今日ここにきたばかりだ。当然村の構成、仕事内容、敷地がどこまでなのかなどは知らないのだ。ちなみにレオンも知らない。最も、敷地という概念が魔族にあるのかどうかは別だが。


「そうですね……まずは料理、次に掃除洗濯、それからレオン様への添い寝、後はレオン様の朝のお世話、それからレオン様のーー」


以後、延々とレオン関係の仕事が語られたがアイリスの頭には『レオン』という名前しか入ってこなかった。


「まあ、レオン様関係の仕事は全て私が請け負っているので貴方には関係ないですけどね!」


何やらマウントを取るかのようにアイリスへと告げるホロだが、アイリスからしたら何も嬉しくない仕事なので全くの無意味であった。


「そ、それじゃあ料理でお願いします……」

「分かりました、それじゃあ案内しますね」


ガン無視されたホロは少し不貞腐れながらもいい匂いがしてくる方向へと向かっていく。


「ちょうど昼の準備でしょう、いい機会です、紹介だけ済ませてしまいましょうか」


昼ごはんが楽しみなのだろうか、軽やかな足取りでいい匂いがする建物へと向かっていくホロ、実はアイリスもご飯が楽しみだったりする。昨日の夜に襲撃され、そこから何も口にしていないため些か腹も減っているためだ。


「シエロはいますか?」


『シエロ』と名前を呼ぶ声すら弾んでいる。それほど楽しみなのだろうか。


「ねえメス豚、シエロ様と呼べっていつも言ってるでしょ? 少しは学びなさい」


とんでもない人が出てきてしまった、とアイリスは固まる。ちなみにホロはその言葉を聞いた瞬間に恍惚した表情を浮かべ、そして固まった。どうやら楽しみだったのはご飯じゃなかったらしい。

 そしてアイリスの姿を見たシエロの体、表情も一瞬固まった。


「……お客さん……? というかアイリスちゃん? ちょ、ちょっと!? ホロ! アイリスちゃんが来てるなら言いなさいよっ! ア、アイリスちゃん、今のは違くてね? あ、あのおねぇさんが全部悪いのっ! ほら、ホロからも何とか言って!」


アイリスが己に向ける猜疑心をどうにかしようと思い、シエロはホロにもフォローしてもらおうと考え呼びかける。しかし返事はなくただアイリスに背を向けて立ち尽くしているだけだ。当然意識はない。


「ホロ……? ちょっと何してーー」


不思議に思ったシエロはホロを軽く叩く。するとどうだろう、彼女は重力に従い顔面から床に崩れ落ちてしまった。


「き、気絶してる……!?」


初対面のアイリスに、己がここまで罵られている姿を見られたショックーー否、喜びからかどうやら普段は行かない領域である《気絶》まで行ってしまったらしい。

 その表情を限界まで緩め、おおよそ女性がしてはいけないと言われるような表情のまま地面に顔を押し付けているホロに、アイリスはついに軽蔑の眼差しを向けた。そしてアイリスは理解したのだ。この人に関わってはいけない、と。さもなくば自分もシエロのように罵らなければならなくなると。

 これを理解した瞬間、アイリスがシエロに向ける視線は猜疑心が混じった少し冷たいものでは無く、同情が混じった少し生暖かい視線へとシフトしたらしい。


「えっと……ここへは何をしに来たの?」


「仕事を……」


「仕事……もしかしたらアイリスちゃん料理がしたいの?」


シエロの問いにこくりと頷く。


「そう、それならここでいいわね! ちょうど人が足りなかったから助かるわ、ありがとね。これからよろしく!」


「はい……それよりホロさんは大丈夫なんですか?」


アイリスは先程倒れてから今に至るまでずっと地面と接吻を交わしているホロが心配になったようだ。さっきは侮蔑の視線を送っていた程に軽蔑していたとしてもやはり案内してくれたことには、恩義を感じていたのだろう。


「ああ、それなら心配しなくても大丈夫よ、ホロだから問題ないわ」


罵られて興奮する真性のMなのだ。今更地面とキスしたところで彼女の心には何の問題はないだろう。むしろ「あなたの初接吻ファーストキスは地面ですよ」と優しく教えてあげたならば顔を赤くして恍惚とした表情を見せながら身悶えするに違いない。


「そう……ですか……そういえばほかの人はいないんですか?」


シエロがでてきた時から違和感は覚えていた。恐らくは厨房であろう部屋の中から一切の物音が聞こえてこないのだ。


「ん? 私一人だよ? 丁度人手が欲しかったところだからホントに助かるよ!」


そう優しく告げるシエロの瞳は何故かぎらぎらと輝いていた。まるで、獲物を見定めた百獣の王のような、絶対に逃がさない、とでもいうかのような鋭い視線だ。その強烈な感情を孕んでいる視線に恐怖を覚えたアイリスは一言告げてそのばをさろうとした。しかし……


「ニガサナイ」


百獣の王のごとき瞳を持つ彼女はそんなことを許してくれるはずもなく、肩をつかまれ引き戻されていった。

 アイリスの気持ち的には今や自分は被捕食者だ。まな板の上にのせられて今か今かと調理されるのを待っているような錯覚を覚え、少し震えていた。


「ねえ」


シエロのなんでもないただの呼びかけ、そのはずだが今のアイリスには死刑宣告のす聞こえてしまった。アイマス帝国の追手に追いかけられていたとき並みの恐怖である。思わず肩をびくつかせ、おびえ切っているような目でシエロの方を見つめる。


「……何をそんなにおびえているの?」


あまりにアイリスがおびえるのでシエロは不思議に思う。恐らくは自分の怖い目が原因の一端だとは微塵も思っていないだろう。ちなみにシエロは考え事をするときに目を細める癖がありその表情が怖いともっぱら評判であった。アイリスもその表情による被害を受けたのである。ちなみにこれは本人の知るところではなく陰で言われているのみだ。


「こ、怖がってなんてないです! だ、だからひどいことしないで……!」


「ひどいのはどっちかな!? 私ってそんなに怖い?」


「こ、怖くないです……」


そう答えるアイリスの体は生まれたての小鹿のごとく震えていた。


「怖い……のね……もしかして料理班に人が来ないのもそのせい……?」


アイリスはショックを受けて沈み切っているシエロから、悪いことをしたなと思いつつもそっと目をそらすことにした。

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