乞う

無機質で、まるで感情を孕んでいない「殺して」という言葉にレオンは少し狼狽える。


「あー……名前は?」


「殺して」


まずは名前を問う。コミュニケーションの基本だろう。しかし、返事は殺してと言う言葉だった。


「そうか、それで、出身は?」


「殺して」


出身地を聞いた直後、彼は自分の失態に気がついた。レオンには分からないのだ。どこ出身と言われようが分からないのだ。分かるのはアメリカや日本、フランスやイギリスなどの地球に存在している国のみである。こちらのことは何も分からない。しかし彼女の反応は、再び「殺して」のみだった。


「なんでこんなことになったんだ?」


「殺して」


何を言っても「殺して」としか言わない少女にレオンは心底困惑する。


「ちょっと貴方、レオン様に失礼ですよ! これ以上不敬を働くというのなら……殺します」


ホロが先程の恍惚とした表情とは打って変わって怒りをその顔に浮かべながら謎の少女に迫る。


「少し黙ってろ、というより殺してとか言ってる奴に殺しますはバカだろお前」


「んんっ!? も、申し訳ございません……」


そうレオンに謝りながらもホロは顔を赤くしてはぁはぁ言っていた。もちろんその顔には恍惚とした表情を貼り付けていた。やはりこいつはドMだ。それもとんでもない。


「あー……なあ、ここにいる奴らはあんたには触らないらしい」


殺したくなかったレオンは殺さない理由を作り、願いを拒否しようとする。殺さない理由ではなく、殺せない理由だ。これならば強請られることもないだろう。


「知ってる、殺して」


などと思っていたがこの返答は予想外だった。殺すことは不可能だ、と言っているのに彼女の言動はなんら変わらない。


「触れないってことは殺すことはできない……これはわかるか?」


「貴方なら私を殺すことくらいできるでしょ?」


「なんでそう思うんだ?」


「それだけの魔素マナを垂れ流しにしてれば嫌でもわかるわよ、私じゃ貴方には勝てないって。というかそれ……しまわないの?」


思わぬ誤算だった。どうやら彼女は分かった上で言っていたらしい。

 少女にそう聞かれレオンは顔を顰める。そもそもレオンには魔素マナというものがなんなのかすら分かっていない。しかしわざわざしまわないのかを聞かれるくらいなのだから魔素マナというものはしまうのが普通なのだろうとレオンは考えた。


「あ、ああ……しまうことにするよ」


今のままでは魔素マナというもの自体認識できない。しかしレオンには当てがあった。それは記憶だ。ホロと出会った時もそうだが、分からないことに関しては記憶が流れ込んでくるのだ。おそらく今回も流れ込んでくるだろう……ビンゴだ、レオンの頭の中には記憶が流れ込んできた。魔素マナ感知というものらしい。記憶の通りにしてみるとたしかに辺り一体には禍々しい何かが漂っていた。そのまま発生源を辿ってみる。


「……発生源俺かよ!?」


衝撃の事実についレオンは大声をあげてしまった。レオンの想像では魔素マナというのは金色やら青色やら、はたまた白色やらのどこか神々しいエネルギーのように考えていたのだ。しかし実際はどうだろう、神々しさとは程遠く禍々しい、黒と紫を混ぜ、少し明度を上げたかのような暗い色のものがレオンから滲み出ていた。


「どうしたの?」


突然の大声に驚いた少女は少しだけ表情を強張らせてレオンに対して問いかける。


「……なんでもないから気にするな」


そう言ってから、禍々しいものを取り込むイメージで魔素マナを取り込む。


「レ、レオン様!? 何故魔素マナを取り込んでしまわれるのですか!?」


レオンの行動にホロは堪らず前まで出てきて詰める。


「いや……ダメなのか?」

「ダメです! 皆も魔素マナの放出を望んでます!」


レオンが驚いて他の者達のいる方向を見る。すると皆一様に頷いていた。

 魔素マナは魔物にとって、薬のようなものなのだ。魔物の放つ魔素マナは人には有害でも、魔物、魔族には益になる。ホロ達はレオンが放った魔素マナを食っていたらしい。


「……なんかごめんなさい。やらかしちゃったみたいだから死刑かしら? それじゃあ殺してもらえる?」


恐らくはレオンが放つ魔素マナがここにいる者達にとっては大切なものである、と言う事を理解した上で先ほどの発言をしたのだろう。レオンではなくホロたちを怒らせるために。


「殺さん。というか何でそんなに死にたいんだ? なにかしら理由があるんだろ?」


「あなたに関係あるの?」


一瞬彼女の表情に陰りが見えるが、すぐに消えてしまった。無表情のまま、まるで関係ないとでもいうかのようにレオンを突き放す。


「大ありだろ、俺に殺せって頼んでるんだから」


「それもそうよね……でも言いたくないな。お願い、殺してくれない?」


先程とは違い、今度は少しだけ感情が見えた気がした。これは怒りや後悔、憎悪と負の感情に塗れているようだ。


「怒りやら悲しみやら……なんだ、親でも殺されたのか?」


「……そこまで分かるんだ……」


少女に言われてレオンは初めて気がついた。普通ここまで読み取るのは難しい、少なくとも以前までの彼だったら十中八九無理だっただろう。彼は鋭いどころか、むしろ鈍いほどだったのだ。最も、鈍感を発揮するような場面はゼロに等しかったが。

 これは魔素マナ感知の恩恵である。魔素マナは嘘をつかない。どれほどの達人だろうと魔素マナは正直に動くのだ。例えば戦闘においては右手で人を殴ろうとするとそこに魔素マナが僅かながら集中する、と言った具合に。それは感情でも同じだ。負の感情を宿せば魔素マナはそれに答え、刺々しくなるのだ。


「なんとなくだ。それで、何があった?」


「話したら殺してくれるの?」


「内容によるな」


「分かったわ……」


諦めたようでぽつりぽつりと語りだす。


「あなたはアイマス帝国って知ってる?」


唐突に出てきた名前、知らない名前だがおそらくは彼女の出身地だろう。


「いや、知らないな」


「そう……私の生まれ故郷よ、私は聖女として生まれたの。小さいころから聖女にふさわしい魔力を、と日々鍛錬してきたわ。それがいけなかったった。私たち聖女の一家は力をつけすぎた。それを脅威だと認識したんでしょうね。いわれのない罪をでっちあげられてそれからお父さんもお母さんも殺されたわ。私も必死に逃げたんだけど弓を打たれ魔法に打たれ……そしてとどめを刺される瞬間にお母さんの最後の魔法でこの森に転移させられてあなた達に保護されたの」


聞いた内容は驚きのものだった。なんというか人間の醜い部分を集めたかのような話だ。いつの時代も権力者というのは醜いものなのだろう。


「それで、なんで死にたいんだ?」


しかし今の話を聞いても死にたいと思えるような点は見当たらなかった。仮に自分であればどんなに時間をかけようとも復讐するだろう。何を捨てても、何を失っても一死報いる一矢報いるだろう。


「お父さんもお母さんもいない……味方だって一人もいない……こんな世界で生きていくのは嫌だからよ……もう死にたいの……お願いだから殺して」


そうレオンへと必死の懇願をする少女の目には涙があふれていた。


「……わかった、殺してやる」


少女の心からの願いを聞いたレオンは願いを叶えることにした。もちろんただで叶えるつもりはない。


「本当に? それならーー」


「ただし、思い残しをなくしてからだ。お前にはまだやることがあるだろ。したいことがあるだろ」


語る彼女に強い後悔、憎悪が垣間見えたことから、まだ何かしら未練があることは見てとれる。


「そんなもの私にはなーー」


何かを隠すよう、目を伏せながら言おうとする言葉を、レオンは遮った。


「悔しくないのか? そんな勝手な理由で両親を殺されて自分も殺されかけて、それにまだ両親を弔ってないだろ? それなら皇帝か誰かは知らんが首謀者の首でも墓前に添えてやれ。それまでは生きていてもいいんじゃないか? 後悔をなくしたうえでまだ死にたいのなら殺してやる」


そして条件を提示した。彼が出す条件は一つだけ。後悔はするな、と言うことだ。 

 そう締めくくった後レオンは自分の言葉に違和感を覚えた。少なくとも以前の自分ならこんな復讐を肯定するようなことは言わなかっただろう。


「私だって……このまま死ぬのは嫌だよ……一矢報いたいよ……でも相手は大国だよ? 何もできやしない。それなら見つかってあいつらに殺されるよりも今ここで死にたいの」


涙ぐみ語る少女は年相応の感情を始めて見せた。泣きじゃくる少女を徐に撫でて、そのまま言葉を紡ぐ。


「なんでお前の親が自分じゃなくておまえを生かしたのか……本当にいいのか? お前の親は生きてほしかったから、お前に死んでほしくなかったから、自分の命を捨ててまでお前に魔法を使ったんじゃないのか?」


「でも……大国が追ってきてるのよ? 頼れる人もいない私に何ができるっていうの?」


少女の涙は止まらない。それどころかどんどん涙が溢れ出てきていた。


「お前は今、誰に頼って死のうとしてるんだ?」


「……」


「ここにいるじゃねぇか、頼れる相手」


自分で自分を頼れる相手だというのは少し気恥ずかしいものがあったが背に腹は変えられない。流石にこんないたいけな少女を殺す度胸はない。


「お願い……助けて……」


目に涙を浮かべ、必死にレオンへと訴えかける少女。その姿は先程よりも大分年相応なものだった。その言葉を聞いたレオンは笑みを浮かべ少女の頭に手を乗せる。


「ああ、任せろ。それで、お前の名前は?」


「アイリス……アイリス=コルチカム」


「そうかアイリス、俺の名はレオンだ」


やはりアイリスの表情は未だに暗いままだ。いずれはこの表情を消し去り、年相応の笑顔を見なければと、レオンはそう決意した。

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