第55話 トラウマ

 一対一。これで同点に追いついた。このまま延長戦に入ってPK戦なんていう考えは毛頭ない。もう一点奪い取って、しっかり90分で試合を決める。その想いでボールをセンターサークルに戻す。

 再開された試合。相手は勝ち越し弾を決めるために猛攻を仕掛けてくる。しかし、僕がいない間に築き上げられた守備は固く、相手の素早いパスワークに乱されることはなかった。相手にボールを持たせて相手のディフェンダーまでも攻撃に参加させるような少し意地の悪い守備。相手もそれに気づいて、二枚のディフェンダーを僕に張り付けて攻撃には参加しない。

 しかし後半30分。攻めあぐねている攻撃陣を見ていられなくなった両センターバックがラインをグッと上げた。そこを好機とみるや、鮫島先輩が相手のパスをきれいにカットして、がらんと空いた前のスペースにボールを放り込む。ボールはかろうじて戻ってきたセンターバックの頭上を越えて、広大なスペースに落ちた。

 ボールをトラップした時には既にキーパーと一対一。もう小細工なんかは要らないだろう。僕は、これまでの想いを全部ぶつける勢いで右足を振り抜いた。ボールが足を包み込むような感覚。反動ではじき出されたボールは、ものすごい勢いでゴールネットを揺らした。

 二対一。後半32分。ついに逆転に成功した。

 そこからは僕も守備に加わり、後半の最初に相手がやっていたことと同じ戦術を執って、守備をがっちりと固めた。

 全国クラスのパス回しに必死に食らいつき、相手のシュートを防ぎ続けて後半46分。相手の10番のシュートが鮫島先輩の肩に当たってコーナーキックになった。


 ――この時間のコーナーキック……


嫌でも去年のあの光景が頭に過る。

 マークは相手の10番。エースである。時間帯。キッカーのサイン。助走の距離。なにからなにまで去年と同じように見えてしまう。


 ――またオウンゴールなんかしたら……


そんな思いが頭を過ったその時、

『頑張れ! 千冬!』

会場から、確かに葵の声が聞こえた。力強く、芯の通った綺麗な声。

 僕は何の恐れもなく、力の限り、ただ目いっぱいに飛んだ。頭にボールが当たった。今度は空中でボールの行方を追う。僕がヘディングしたボールは、確かに相手陣に向かって飛んでいた。

 そして、ここで試合終了の長い、長いホイッスルが吹かれた。

 二対一。僕たちは、この白熱した決勝戦を制して、見事全国大会への切符を手に入れた。

「千冬! やったな!」

「はい!」

グラウンドの上でチームのみんなと喜びを分かち合っている時、ベンチに葵の姿が見えた。この会場にいる誰よりも嬉しそうに喜んでいる葵に、僕は力強くピースサインを出した。葵はそれを見て、目に涙を浮かべながら、笑顔で元気にピースサインを返してきた。

「千冬。誰にピースしてんだよ」

その光景をすぐ横で見ていた鮫島先輩が不思議そうに聞く。

「誰にって。葵に、ですよ」

その質問に当然のように笑って返すと、

「最後のヘディングで頭おかしくしたか?」

鮫島先輩にそう言われた。

「正常ですよ、正常」

鮫島先輩の方をチラッと見て答える、その少しの時間のうちに葵の姿はどこかに消えてしまった。

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