第53話 意地

 スマホを開くと、時間は10時25分。前半はあと20分程度。


 ――頼む。間に合ってくれ……!


 どれだけ『無理かもしれない』という甘えた気持ちに負けそうになっても、葵のの願いなんだと心を高ぶらせて、会場に向かって全力で走った。


「ハァ……ハァ……」

会場に到着した僕は運営スタッフの制止も振り切ってロッカールームに飛び込んだ。

「監督!」

「千冬……!」

全員の視線が、作戦の書かれたホワイトボードからこちらに移る。

「馬鹿な頼みだってことは分かってます。わがままだってことも。何を今更って思うかもしれません。それでもお願いです。僕を、試合に出してください!」

溢れ出す言葉をそのままに、僕は勢いよく頭を下げた。

「橋本千冬」

鮫島先輩の低い声が、重く背中にのしかかる。

「なぜ戻ってきた」

無機質な声。その固く冷たい問いに僕は、

「あいつと……。葵との約束を果たすためです」

顔を上げて、まっすぐ先輩の顔を見て力強く答えた。

「葵が?」

チームのみんながざわつくのも分かる。葵を失ったショックで頭がおかしくなったと思われても仕方がない。

「葵は脳死で、そのまま……」

三好先生の震えた言葉に

「違います! 葵は、最後に目を覚まして。それで……」

苦い思い出を呼び起こす。信じてもらえるわけない、その想いが僕の言葉から力を奪っていく。弱気になってしまいそうだ。あの日の僕みたいに。

 しかし、三好先生は

「にわかには信じがたいことだが……」

そう言って眉をひそめた。そのときロッカールームの扉が開き『まもなく後半開始です』という運営スタッフの声が響いた。

「わかった」

決心を固めた三好先生の声が、重たくなった空気を強く震わせる。

「これがお前の。橋本千冬のユニフォームだ」

三好先生から差し出されたのは、10と書かれた純黒のユニフォーム。

「これは……」

自分には重すぎる番号。こんなふざけた参戦の仕方で易々と受け取っていい背番号ではない。その重さを感じながら小さく呟くと、

「宮坂が、最後の最後まで千冬は戻ってくると言い張ってな。この番号は千冬のだって聞かなかったんだよ」

横で見ていた鮫島先輩が、呆れたように小さく笑ってそう言った。

「葵が?」

また、葵のあたたかさに救われた。

「後半、園田を下げて千冬を入れる。点差は一点だ。まだまだ時間はある。千冬、ちゃんと仕事して来い!」

「はい!」

懐かしい、監督の低くて重たい声に力強く返事をして、僕は頼もしい仲間と共にロッカールームを出た。

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