私、あの子になりたいんです。

青いひつじ

第1話

ハートを押そうとした人差し指が止まる。

ぷるんとはねる髪、桃色がじわりと溶けたサラサラの肌がまるで陶器のようだ。

画面の向こうには花より美しい女の子。


この子になりたい。



目が覚めると、瞳子(とうこ)は地面に横たわっていた。何もなくむやみに寂しい場所だった。目の前には謎の生き物が瞳子を見つめながら立っていた。


「ここはどこですか」

「はじめまして。私はあなたの願いを叶えるためにやってきました。あなたの願いは何ですか」


質問と答えが合っていないが、もっと不思議なのはその外見である。

お世辞にも人間とは言い難い、骨のように細い手足に三角の耳、全身は青白く奇妙な風貌をしていたが、綺麗なスーツを着ていた。

この悪魔のような生き物が願いを叶えてくれるらしい。


瞳子は話を全く信じていなかったが、少し怖かったので願いだけ伝えて早く話を終わらせようと思った。

「私、あの子になりたいんです。」


「なれますとも。ただし条件があります。

なぁに、簡単な条件です。それさえ満たせば素晴らしい未来が待っていますよ」


悪魔はとても嫌な声で笑った。


「何か1つ、あなたにとって大切なものを私にください。あなたの願いと交換しましょう」


「なんでもいいの?」


「あなたが本当に心から大切に思うものなら何でもいいですよ」


瞳子は少し考えて髪を掴んだ。

「いいわ。じゃあこの髪をあげる。私に自慢できるとこなんて1つもないけど、髪は綺麗だって褒められるの」


悪魔は髪を見つめると、

「いいえ違いますね。確かにそれは大事なものですが、あなたが心から大切に思うものじゃない」

そう言って受け取らなかった。


「選ぶのが難しいようでしたら、これと交換でもいいですよ」

悪魔が細長い指を開くと、手のひらの上には1つの青い玉があった。


「これはあなたの思い出を詰め込んだ飴です」


「思い出?」


「口に入れて、そしてゆっくりと目を瞑ってください。頭の中で走馬灯のように浮かんでくるでしょう。」


大した思い出でないことは明白だったが、見るだけなら悪くないと思い飴玉を受け取り口に入れた。舌の上がひんやり冷たくなった。瞳子は目を瞑った。



その日は雪が降っていた。

街はひっくり返したおもちゃ箱のように幸せで散らかっている。

商店街の入り口にはお店を駆け回ったお父さんの赤い頬と、その横で困ったお母さんの顔。

2人の目の前に、毛糸帽子の子供がしゃがんでいた。


「嫌だ。見つけるまで帰らないもん」

「そんなこと言ってもしょうがないでしょ。お父さん頑張って探してくれたのよ」


子供はしばらく座り込んでいたが、お父さんとお母さんに手を取られとぼとぼ商店街を歩いていく。


花屋さんもケーキ屋さんもラッピングされたプレゼント箱のようだ。いつもは落ち込んだ色をした修理屋さんも今日はなんだか幸せそうに見える。


特別な日には家族で必ず行く喫茶バロン。

料理はいつもお決まりのお子様ディナーセット。オムライスの卵はあとのせで、シェフが半熟卵をのせるパフォーマンスを見せてくれる。

卵にスッとナイフを入れると、中からムワンと湯気が飛び出してきた。


口をへの字に曲げたままの子供。

自分の大好物のマッシュポテトを子供皿に移して満足そうなお父さん。

口についたケチャップを拭き取って幸せそうなお母さん。

その日のチキンライスはなぜか少ししょっぱかった。



瞳子はハッと目を開けた。

それは家族で過ごしたいつかのクリスマス。


「なにこれ」


「言ったでしょう。あなたの思い出ですよ」


悪魔の言う通り、確かにそれはどこかに落としてきてしまった思い出だった。


「さぁ、いかがですか。あなたの願いを叶えることを考えれば簡単なことでしょう。交換して素晴らしい未来を手に入れましょう」



確かあの日は、お母さんの誕生日だった。

なのにとても冷たくしてしまった。幼かったとはいえ、我ながらひどい態度であった。

私はどうして、心の奥でいちばん思っていることを伝えられないのだろう。どうしてこんな頑固で意地っ張りでわがままな私に、2人は変わらず優しいのだろう。


私は誰かに優しくできているだろうか。


退屈な色をした自分の日々が不思議と愛おしくなり、気がつくと一粒の涙がこぼれ落ちていた。



「交換はできないわ」


「たったひとつの記憶。ただそれだけであなたの願いが叶うのですよ?」


「それでも私はこの思い出を手放したくないの」


悪魔は笑ったが、その笑みは最初に出会った時とは違っていた。


「私には、あなたが過去を消し去りたいほど自分を嫌っているように見えたのですが、どうやら違ったみたいですね」


悪魔が手を差し出した。


「優しくしたい人がいるというのは幸せなことですよ」


そう言うと、砂のようにサラサラと風に消えてしまった。



ハッと目が開き瞳子は飛び起きた。身体中汗でぐっしょりだ。

時刻は真夏の深夜3時。その体は軽く、不思議と清々しかった。

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私、あの子になりたいんです。 青いひつじ @zue23

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