1-36 異世界の現実
「誓っち!」
奈月の声でハッとする。気づくと目の前に彼女がいた。
「奈月さ――」
答える前に顔面に圧迫感。後部座席に乗り出した奈月が抱きついてきた。柔らかさと甘い匂いが急に襲ってきて誓道は軽くパニックになる。「あわわわ」
「やったよ……! あたしたち、勝ったんだ! 生き残ったんだよ……!」
抱きついていた奈月がガバっと離れる。涙声で、瞳も潤んでいる。彼女の華奢な肩も震えていた。
冷静さを取り戻した誓道は、彼女の肩を優しくさすった。
奈月が目元の涙を拭う。彼女の笑顔がとても輝いて見えた。
同時に、どっと疲労感が滲む。緊張が解けて、指先が震えた。
背部ユニットの中には、観客達の歓声が聞こえている。
(やったのか……俺の策で……)
信じられない感触でいっぱいだった。ぶっつけ本番で、成功するかまるで分からなかった。
だが、この状況は夢ではない。
誓道は、ぐっと拳を握りしめた。
『さぁ勝者であるヴァンパイア王国には報奨が与えられます。敗北した祭器か決闘士、今回はどちらを選ぶのでしょう!』
ミーシャが大仰にアナウンスする。周囲の歓声が響く。
そのまま、何の変化もない時間が流れた。
ポカンとした誓道と奈月は顔を見合わせる。いまどういう状況なのだろうか。
『……えーと』困惑気味の声が聞こえる。
『ヴァンパイア王国さん? 関係者のどなたか控えにいらっしゃいませんかー? 次の試合が待ってますので、早く撤収したいのですがぁ』
「「あっ」」
誓道と奈月の声がハモった。
どちらを接収するか決めるのは国民、すなわちヴァンパイアだ。だがヴァンパイア王国にいるのはもはや国王と王妃の二人のみ。更にその二人は決闘祭に帯同していない。勝つことばかりに気を取られて、ブラド王が来ないことも勝った後の対応をどうするかも、二の次にしてしまっていた。
「しょーがないっ」奈月が前部座席に戻る。
「えーと、ヴァンパイア王国の人はちょーっと用事がありまして。いま居ないんですが」
外部音声機能をオンにして奈月が応える。そうするしかないだろう。
『おんや? 決闘士自らの発言ですか? 試合中は外部との接触禁止ですよ?』
脅すような言葉に二人はビクリとするが『――まぁ終わった後なのでいいでしょう』と流されたので、二人してホッとする。またベリル王のときのようなトラブルになったら台無しだ。
『この場に管理者がいないのは困りましたねぇ。どうするんです?』
「それは……」
「ざ、
誓道は咄嗟に割り込んでいた。ブラド王がいない以上、ここは自分たちで何とかするしかない。
奈月は驚いて眉を上げていたが、察してくれたのかすぐに席を変わってくれる。
「俺達は管理者から言伝を預かっています。今回接収するのは、祭器の方で」
思い切り嘘だったが、ブラド王がいようといまいと選択するものは変わらない。
『ええー? 言伝?』ミーシャの声が露骨に疑念混じりになる。
『今回のヴァンパイア王国は色々
モニターに映るミーシャはマイクを下ろし、周囲にいる種属達と何やら相談を始める。どうやら司会席の辺りに大会運営の人間もいるようだ。マイクを使っていないので、なにを喋っているかは聞き取れない。
ざわざわと、先ほどとは毛色の異なる観客の声に満たされる。
「大丈夫、だよね」
不安げな奈月が肩に手を置いてくる。誓道が無言でその手に手を重ねていると、声が聞こえた。『――お待たせいたしました!』
『代理による正当な伝達方法は書簡のみと規定されています。ですが、ヴァンパイア王国の状況は考慮に値するものがあり、円滑な運営を鑑みて今回は特別に許可します。星野選手、中村選手。次からはちゃんと伝令役を用意するか、先に書簡を提出するように。次はありませんからね? 厳重注意です』
厳しい内容ながら、一命は取り止められた。「っし!」奈月は小さな声でガッツポーズし、すぐに音声機能に向かって叫ぶ。
「あざっす猫のおねーさん! 次からはちゃんとしまっす!」
『猫のおねーさんて』
『ふざけんな……!』
ミーシャの呆れ声をかき消すように、第三者の声が響いた。
『俺が負けた!? そんなのあり得るかよ! 不正だろこんなの!?』
モニターに映るのは、倒れたバンジックの前に立つ一人の男だ。
斎藤はどこか怪我をしたのか頭から血を流しているが、構うことなく喚いていた。
『二人乗りの機体がなんであんな攻撃できるんだよ、おかしいだろ!? なにか違反行為してんだ! 審判ちゃんと調べてくれ!』
『あーっと、斎藤選手。敗者は即座に退場を』
ミーシャは冷たく言い放つ。それでも斎藤は動こうとせず、観客に訴えるように手を振り乱す。
『馬鹿言うんじゃねぇ……! 絶対不正やってんだよあいつらはよぉ! どう考えたっておかしいでしょうが!』
誓道は、興奮が冷めていくのを感じた。彼のああいう姿をよく知っている。窮地に立たされるとごねて場を乱し、自分の満足する回答を引き出そうとするのだ。しかも自暴自棄ではなく、半ば分かってやっているからタチが悪い。
しかし、ここは異世界。平和な国でしか通用しなかった方法が通用するはずもない。
『タケシぃ』
低い声が響いた。気づけば斎藤の背後にオークの王、ベリルが立っている。
オークの王の手には大きな金棒が握られていた。振り返った斉藤は一瞬驚くも、すぐにしがみつくような勢いで王の前に膝をついた。
『ベリル様……! ちょうどいいところに! あ、あいつらは違反者です! でなきゃ俺が負けるはずがねぇ! 試合を無効にして然るべき調査を!』
『お前の小賢しさにはちいとばかし面白みがあったんだがなぁ』
『……え?』
『俺が一番嫌いなものがなにか、知ってるか?』
オーク王が金棒を振り上げる。
『笑えなくなった小者だよ』
『ま、待ってくぴっ――』
振り下ろされた金棒は、斉藤の頭を粉砕した。
肉片と血液が闘技場の土にまだらに散らばる。
「――ひっ!」
奈月はか細い悲鳴を上げて目を逸らす。誓道は瞬きもできず、その光景を前に硬直するしかなかった。耳の奥でざぁざぁと血液の音が聞こえる。
しんと静まりかえった闘技場の中で、ベリル王は金棒をズシンと大地に突き刺し――恭しく頭を垂れた。
『失礼しました、観客の皆々様。お見苦しいところを垂れ流してしまったせめてもの償い、そして相手国への非礼を詫びるため、我が手で始末を付けさせて頂いた次第にございます。これにてどうかご勘弁のほどを賜りたく』
そうしてオークの王は頭を上げ、満面の笑みを浮かべ両手を掲げた。
『煩い雑音がお耳を汚すことは二度とございません! どうぞ決闘祭の続きを心置きなくご観覧くださいませ!』
演説めいた台詞に、観客達が沸き立った。拍手喝采、讃えるように口笛が吹かれる。ワァワァと盛り上がる中、オーク王は笑みを携えながら手を振って去っていく。
まるでヒーローのように――いや、実際彼の王は英雄的行為をしたのかもしれない。神聖な決闘祭を中断する奴隷を自ら始末し、王として詫びる真摯な姿勢を見せた。カリスマ的ですらある。
人を一人殺したという陰惨な結果は、何もマイナスにはなっていない。
狼狽える者も、批難する者も、悲しむ者も、居ない。
「な、んだ……これ……」
誓道は呆然と呟く。初めて、自分が異様な世界にいるのだと感じた。分かっていたつもりで、本当のところはまるで理解していなかった。
異世界の住人に代わって戦う道具、そして見世物。
それが、決闘士。
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