1-32 誓道が選んだ道

 静まりかえった寝室の前に立つ誓道は、緊張しながらドアをノックする。返事はない。


「あの、奈月さん。さっきはごめん。俺、考え直して……話したいんだけど、いいですか」


 ドア越しに告げても返事はない。誓道は逡巡したが、意を決してドアを開けた。施錠なんてほとんど壊れているので、簡単に入ることができる。また怒りを買う気はしたが、時間がないので早く話したかった。

 部屋に入ると、奈月はドアに背を向ける格好で寝ていた。月光の白々とした光が彼女を包んでいる。

 寝ているのを起こすのは忍びない。起きるまで待っていようかと考えたとき、声がした。「……なにそれ」


「考え直したとか、今更ヤりにきたわけ?」


 ブラド王に文句を言っていたときと同じ声音だ。つまり、怒っている。


「無理。キショい」

「いや、そういうんじゃなくて――」

「絶対しない」


 物凄い拒絶だが、勘違いしている。


「違うんです、俺、話がしたくて」

「こっちは別に話したくないんですけど」

「き、聞いてください。俺が考えたこと」

「なんなのさっきから。魅力ない女に構ってどうしたいわけ?」


 魅力? 発言の意図がわかりかねた誓道は首を傾げる。

 もしかして。さっき拒否したことでショックを受けているのだろうか。


「ええと、さっき止めたのは奈月さんが嫌だったわけじゃなくて。凄くドキドキしたし流されそうになったくらいで……み、魅力は十分にあったんです!」


 自分の経験ではこう言うのが精一杯だ。恥ずかしくて顔から火が出そうになる。


「……じゃあなんで嫌って言ったの」

「それは」

「あたしを抱くの嫌だったんでしょ」

「ち、違います! し……たい、です、けど」


 奈月が、寝転んだままゆっくりと振り返る。物凄いジト目だった。


「そ、そんなことになったら、流されて奈月さんが助からなくなる……我慢した方がマシだって、思って」

「言い訳っぽい」

「だから! 本当ですって! それにちゃんと反応してた! 我慢したの!」


 勢いにまかせて変なことを口走ってしまう。

 ジト目で見つめてくる奈月は、ぷいと後頭部を向けてくる。


「…………やっぱり変わってるな、誓っち」


 呟くような言葉と共に、奈月は溜息を吐く。


「今まで知り合った男の人さ、誓っちみたいなこと言わない人ばっかりだった。あたしのために我慢するとかそういうの全然なくて、割とすぐ抱こうとしてきて。なんでって聞くと大切だからって言うんだ。でもちっとも嬉しくなくて……むしろ、今みたいに言われたほうが嬉しいの、なんでだろ」


 意図せず奈月の男性経験の片鱗に触れた誓道は、雷に打たれたようなショックを受ける。

 だがここで狼狽してはいけないと、何とか正気を保った。


「でも、よくわかんない。あたし本気でお願いしてたんですけど? それ無視すんの?」

「それは……自信がなかったから」


 その発言は別の意味に聞こえそうだと気づく。「いやそっちも初めてではあるけど」


「――俺、小さい頃に母を亡くしてまして。祖母が母親代わりだったんですけど、そのうち要介護になったんです。で、親父は忙しかったから、俺がずっと祖母の面倒を見てました。ヤングケアラーって言うらしいです」


 昔語りをするつもりはなかったが、無意識に話はじめていた。そうしないと、奈月は納得してくれないと思った。


「介護につきっきりだったからあっという間に中高生活が終わって。友達もほとんどいないし、部活も遊びも経験しませんでした。大学受験も失敗して、浪人しながらバイト生活してるときにネットワークビジネスに誘われたけど、全然うまくいかないままで。俺の人生は何にもないなって、ずっと思ってました。どこに行っても価値がない人間だった」


 言葉が止められない。背を向けたままの奈月は、黙ったままだ。


「だから俺、いまいち自信がないんです。戦うことを選んでも、自分じゃうまくいかないと思えてしまう。だったら奈月さんだけでもって。あなたが望んでくれても、応える自信がなかった」


 奈月は黙っている。

 永劫続くかと思うほどの静寂の後、彼女は言った。「似てるね」


「似てる?」

「そう。あたしと誓っちが」


 奈月がゆっくりと起き上がり、こちらを向いて座る。落ち着いた表情で、怒りの感情は抜け落ちていた。


「あたしさ、天涯孤独ってやつなの」


 最初の一言は、誓道を絶句させた。


「親に捨てられて、小6まで養護施設で過ごしてた」


 言葉を失っていると、奈月が慌てて手を振る。「あ、でも一人なのは高校からでさ」


「あたしには年の離れたお兄ちゃんが居てさ。捨てられたときあたしは赤ん坊で、お兄ちゃんは9歳だった。あたしは親の記憶がまったくないから、家族はお兄ちゃんだけ」


 それから奈月は、自分の髪の毛を指で摘まんで、引っ張る。


「あたしの髪の毛、天然の金髪なんだ」


 月光に照らされた彼女の髪の根元は、確かに金色だ。ブリーチだったら大なり小なり、地下の黒色が混じっているだろう。それがまったくない。


「たぶんどっかの外国人と日本人のハーフ。訳ありで母親に捨てられちゃったのかなーって思うんだけど、別に気にしてなくて。お兄ちゃん優しかったしさ。中学出てすぐに働き始めて、部屋を借りてあたしを引き取ってくれた。だから不幸せじゃなかったよ」


 どこか楽しそうに語っていた奈月の顔に、陰りが過ぎる。「――でも」


「こんなだからやっぱり普通の子とは違ってさ。皆とあんま話合わないし、何ならいじめられたこともあるし。中学も不登校だった。金髪活かしたらいいんじゃねって開き直ってギャルになったら同じような友達は増えたけど……あんまり、人生ってやつに希望は持ってなかった。まぁお兄ちゃんに苦労させたから、早く独り立ちして結婚させたげたいなーって思ってたけどね? それも一年前に急に居なくなったから、何がしたいとか思えなくなった」

「えっ……」


 ようやく声が出た誓道は、迷いつつも訪ねる。


「居なくなった、って」

「蒸発って言うんだっけ? いきなり帰ってこなくなったんだよね。貯金はまぁまぁ残ってたから、なんかヤバい仕事にでも手を出してたのかもね」


 そう言って笑う奈月は、とても寂しそうに見えた。


「高校からあたし一人ぼっちなわけ。これからどうしようかなって思ってたら、急に異世界っしょ? びっくりするよねーほんと。あたしの運命どうなってんのって感じ。でもまぁ元々独りだし、夢とか希望とかあったわけじゃないから、なるようになれって過ごしてた。そしたら誓っちがやってきて。なんかうまくいきそうな気がしたんだ。ほら、積極的に死にたいわけじゃないからさー。この人が協力してくれるなら、もうちょっと頑張ってみようかなって」


 奈月は溜息を吐く。「だからさぁ」


「こんなあたしなんかのために、死ぬなんて言わないで」


 真っ直ぐに、視線を逸らさず。切実に、訴えるように。

 冷たくも暖かい言葉が、胸にストンと落ちた。


(あぁ……そういうことか)


 奈月がなぜ、自分の身体を使ってまで引き留めようとしたのか。

 彼女も、自分に価値がないと思っているからだ。自分なんて大した存在じゃないと考えている。だからこそ、誰かが犠牲になることを受け入れられない。

 まるで合わせ鏡のようだ。どちらも薄らと自分を諦め、そして、互いの存在に救われていた。

 君は無価値な人間じゃない――そう言ってあげることは容易い。奈月のこれまでを見て、長所も魅力も十分に感じている。よっぽど生きるべき人間だ。

 しかし、いま必要なのはそんな言葉じゃないだろう。


「奈月さん」


 誓道は静かに近づく。奈月は子どものような顔で見つめ返していた。


「俺に、策があります。自信はないけど、でも」


 考えて考えてひねり出した、生き残るための術。

 全ては奈月を助けるために。


「今は、奈月さんが居る。一人じゃない。だから」


 彼女のそばに居るべきは自分ではないかもしれない。あくまで偶然出会っただけの、冴えない男だ。ここに居るのが自分だけだから、頼ってくれているだけ。

 それでも、彼女が求めてくれる限りは。


「俺と、戦ってください」


 手を差し伸べる。その指先を見つめた奈月は数回瞬きして――


「――遅いっつうの」


 不敵な笑みを浮かべながら、彼女がこちらの手を握り返す。

 白み始めた空の陽光が、握りしめた二人の手を照らしていた。

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