1-31 奈月の懇願と、いつかの選択
「どうして」
声は震えていた。確かな怒りが含まれていた。
「どうして、笑ってんの」
訴えるような目が、揺れていた。
「死んじゃうんだよ!? 自分だけ。あたしを助けたら一人だけで……!」
「――分かってます。でも俺、奈月さんに優しくしてもらったから。こんなに人に優しくされたの、初めてだったんです」
自分でも驚くほど、穏やかな声が出ていた。
「なので、もう十分かなって」
あれだけ時間をかけて迷ったのに、言葉はすんなりと出てきた。
これが本当に言いたいことだったと、初めて気づく。
「一度は命を落とすところを、助けてもらった。暖かいものを食べさせてくれて、部屋も一緒に作ってくれて……なにより、あなたは俺のことを一つも馬鹿にしなかった。最後の最後に、人として幸せな時間を過ごすことができた」
奈月は黙って、こちらを見つめている。
「俺が生き残ったって、しょうがないんですよ。俺、鈍臭いから。どうせまた失敗したり、誰かの顰蹙を買って、居場所を失うだけで。生きてても何も変わらないし、楽しいことないし、奈月さんにも迷惑をかけるかもしれない。そういうの怖くて、もう疲れた。だったら、誰かを救って終わりにしたい」
吐露するほどに重たいものが消えていく。
ここで終わりにできるなら、自分にとって名誉な言い訳が作れるなら、それで良かった。どのみち、夢や希望があって生きていたわけでもない。他人より劣っていることが苦しくて虚しくて、馬鹿にされないためにネットワークビジネスなんかに手を出していただけだ。なりたかった自分なんて、ない。
くしゃりと、奈月の顔が歪んだ。彼女は堪えきれなくなったように頭を垂らす。綺麗な金髪が首筋をなぞって、くすぐったかった。
奈月は震えていた。泣いているのか、悩んでいるのか。どちらにせよ、言いたいことは終わった。
あとは彼女から、わかった、という言葉を聞くだけだ。
「――どうしたらいい」
しかし、聞こえてきたのは別の言葉だった。
「どうしたら、一緒に戦ってくれる」
「……奈月さん?」
訝しんだ誓道は、次にギョッとする。
奈月がこちらの手を取り、そのまま自分の右胸に押し当てていたからだ。
「ちょ!?」
「どうしたら、自分のこと諦めないでくれる?」
追いつめられたような声だった。言動がちぐはぐすぎて、誓道の頭は混乱する。
「あたしは、誓っちに死んで欲しくなんてない。自分だけ助かりたくない」
「あ、あのっ」
「さっきさ、楽しいことなくて生きてるの辛いって言ってたけど。じゃあ、そういうのができたら生きようと思える? あたしを抱けるって言ったら、考え直してくれる?」
自分が何を言っているのか、奈月自身が分からないはずがない。
だというのに、彼女は必死になってこちらを見つめてくる。
「あたしさ、馬鹿だから。男の子が楽しいって感じて、あたしが与えられるようなこと、これくらいしか思いつかなくて……マジ自分でもドン引きなんだけど」
奈月が自虐的に笑う。その吐息が、徐々に近づいてくる。
「それでも、誓っちを見捨てるくらいなら。あたしの身体で引き留められるなら、喜んで……する」
「どう、して」
端から見ると甘い場面だというのに、誓道の心は困惑に満たされていた。
「なんでそこまでして、俺のこと」
「わかんない」
簡潔な答えと共に、彼女が覆い被さってくる。押し付けられた柔らかい胸が、ドキドキと高鳴っていた。
「なんでか、あたしにもわかんない。死にたくないって思うけど、誓っちにも死んで欲しくない。だったら一緒に終わればいいじゃん?」
彼女が喋ると、その吐息が首をくすぐった。甘い匂いにくらくらした。
「せっかく助けたの、こんなことをしてもらうためじゃない――あれ」
奈月が何かに気づいたような声を上げ、そして自分の下腹部あたりを確認した。
「その気じゃん」くすりと笑う。
「誓っち。最後まで、あたしと一緒に居てよ。あたしのこと、好きにしていいからさ」
そう言った奈月が上半身を起こし、服を脱ごうと裾に手をかける。
誓道は、その手を止めた。
「駄目だ」
「……えっ?」
「俺、やっぱり、嫌です」
ポカンとした奈月は、
「じゃあどうすんの!? 死ぬの!? あたしに惨めな思いしたまま生きてけって言うわけ!?」
「それは――」
「大体さ! あんな連中のとこに行ったらなにされるかわかんないじゃん!? どっちみち最悪じゃん! だったら誓っちと死んだ方がマシだって、そう思ったのに……!」
脳裏を過るのは、エルフ王国の清掃番の女性。彼女と奈月の姿が被る。下を向く奈月の肩を抱いている斎藤の姿まで浮かんでくる。
奈月もきっと似た未来を想起しているのだろう。
誓道にとって、心底見たくない光景だった。考えると吐き気すら催す。
だが、それでも。誓道はどうしても、首を縦に振れなかった。
「あたしはなにも、報われないんだよ?」
突き刺すような一言ですら、誓道は迷いを払拭できなかった。
黙っていると、奈月が唇を噛みしめる。「~~~っ!」
「出てけ! もう出てってよ! 誓っちなんて知らない!」
グーで殴られ、足で蹴られて誓道はベットから転げ落ちる。慌てて振り向いたときには、奈月は耳を塞いでベットに顔を押し当てていた。
口を開いた誓道は、しかし何も告げられず、その場を退散するしかなかった。
雨は降り止まない。部屋はびしょ濡れだから戻っても使えない。夜はまだ明けず、行き場もなく、誓道は行く宛もなく城内を歩いていた。
ずっと考え続けていた。奈月が納得してくれる方法を。どうしたら罪悪感が無くなるかを。
奈月が引き止めてくれたことは正直、嬉しかった。しかし、彼女の命を道連れにするほどの価値が自分にあるとは、到底思えない。自殺行為に付き合わせる気はない。
たとえどんなに辛くても、生きていて欲しいと思うのは、間違いなのだろうか?
答えが出ないまま歩いていると、いつの間にか城の外に出てしまった。外は雨で、これ以上は進めない。仕方なく門の軒先に立ち尽くして、ぼんやりと外を眺める。
城のすぐ先は森だ。降りしきる雨が木の葉を叩いている。その音を聞いていると、ここに来たことを思い出した。
(――そういや、夜の森は魔獣が出るんだっけ。この雨だと、さすがに魔獣も出てこないかな)
そうは考えても、入る気にはならない。最初に夜の森に迷い込んだとき、獣の声や気配を感じた。迂闊に入って無駄死にしたら元も子もない。
唐突に、違和感が生じた。
(待て……じゃあなんで、奈月さんはあのとき、夜の森に居たんだ?)
自分がヴァンパイア王国の森をさ迷っていたのは、夜だった。奈月に発見されなかったら、今頃魔獣の餌食になって死んでいただろう。
では、奈月は何のために、危険だと分かっている夜の森に居たのか。
誰かが森に入ったことに気づいたから――いや、その考えは不自然だ。不法侵入に気づけるような対策はしていない。気づけるとしたらブラド王だが、果たして奈月に知らせるだろうか? よしんば使い魔で様子を見るくらいはしても、わざわざ奈月を向かわせる必要はない。
だとすれば、奈月が自ら進んで、夜の森に入ったことになる。
浮かんだのは、一つの仮説。
彼女の性格からして考えにくいと感じつつも、決して否定しきれない選択肢。
奈月はあの日、逃げようとしていたのではないか?
(そうか……そう、だよな)
危険だと分かっていても夜の森に入ったのは、そのほうが逃げ出しやすい状況だったから。ブラド王がゴーレムという逃亡防止策を出してきたのも、実は彼女が逃げようとしたことを察知していたからだと考えれば、頷ける。
今までずっと、逃げるわけがないという奈月の言葉を、そのまま信じていた。だが普通に考えれば、その選択肢が出てこないわけがなかった。
なにせ、奈月は十代の女の子で。普通の女子高生で。
自分と変わらない、いや、大人にもなれていない少女。
迫る死の恐怖と孤独に押し潰されそうになって、一人逃げようとしても、何もおかしくはない。
しかし逃げようとした矢先、奈月は森の中で自分以外の転移者を見つけた。
誓道は拳を強く握りしめる。爪が食い込むくらいに。
(俺は、馬鹿だ)
彼女は自分のことより、迷い込んだ転移者を助けることを選んだ。ブラド王との会話を思い出す限り、複座型の祭器のことは頭になかったかもしれないが、それでも二人で生き残る道を選んでくれたことに変わりはない。
なのに自分は、勝手な理屈を付けて逃げようとした。結局のところ彼女の命を背負う自信がなかったに過ぎない。
奈月はとっくに、こちらの命を背負ってくれていたというのに。
(馬鹿で駄目で、度胸もないし、支えてあげることもできない……でも)
覚悟なら、できる。
こんな安い命、いつだって捧げられる。
そう、使い方が変わるだけだ。
奈月が確実に生き残る道ではなく、奈月の望みを叶えるために。
二人で生き残る道へ繋げるために、使う。
そのためなら、自分にできることは何だってやってやる。
いつの間にか雨は、止んでいた。
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