1-30 取り引きを受けるか否か
黙っていると、斎藤が肩に手を置いてきた。
『俺は必ず一回戦に出場する。そのとき、戦闘前に親指を上げる合図をしてくれ。それで合意したと理解するから。じゃ、それまで元気でな』
斉藤はそう言って、足早に去ってった。
沈黙が続く中で、誓道は空を見上げる。既に夜の浸食が始まり、黒く染まりつつあった。
異世界の夜空を綺麗だと思いながら、視界が滲む。
このまま行けば自分も、そしていま感じている温もりも消えてしまうのだろう。
だが、取引を受け入れれば、少なくとも彼女は生きていられる。
幸せになれるかは、別として。
最悪の選択肢に揺れ動く誓道は、何も言葉を発することなく空を見上げ続けた。
***
練習試合から戻って以降、奈月との会話がほとんど無くなった。喋るのは最低限のことだけ。マシンガンのように喋り続けていた奈月からすれば明らかな意気消沈ぶりだった。
祭器の訓練は続けたが、当然というか、身が入っていない。それは誓道も同じで、訓練中も別のことを考えていた。
斉藤との取引のことを伝え、どうやって奈月に決断してもらうかを。
自分たちに残された道は二つ。八百長して奈月がオーク国に引き取られ、自分はブラド王に殺される道。もう一つは普通に勝敗によって運命が決する道。どちらも至極単純な話だ。
しかし、後者はほぼ博打だった。意思疎通がうまくいかなかったときライハーゴには致命的な隙が生じる。そんな弱点を抱えながら勝利できるだろうか。相手だって自分の運命や命がかかっているのだ。ハンデを抱えたまま戦うには、あまりにもシビア過ぎる。
それに一回戦を勝ったところで、二回戦を負ければ意味がない。敗北して祭器を接収されれば、祭器の保有なしとみなされ国が消滅する。なにせオーク王国の祭器を人工筋肉の補填に使うのだから、二回戦目まではライハーゴ一機しかない状況に変わりはない。
国を維持するため、つまりライハーゴが接収された後でも祭器が一機以上残っている状況を作るためには、二回戦を勝利して祭器を接収することが最低条件だ。
たった二回勝つだけ。言葉にするのは容易いのに、果てしなく遠い道のりのように思えた。
一方で、斎藤の取引に博打要素はない。わざと負ければ奈月だけは生き残る。
誓道が、絶対に死ぬことと引き換えに。
それが分かっていても誓道は、このまま二人で死ぬよりもマシだと思っていた。
死ぬのは怖い。こんな異世界で惨めに食い殺される末路はあまりにも苦しいし辛い。だからこそ、回避できるものなら、奈月がそんな仕打ちを受けないようにしてやりたい。
たとえ待ち受ける境遇が悲惨でも、生きているなら、幸せになるチャンスはある。
誓道は、斎藤の取引を受けるつもりだった。
後はそれを奈月に伝え、決断してもらう必要がある。操縦は彼女の担当だ。斎藤に合図を送るには、奈月にきちんと理解して行動してもらわないといけない。
しかしどう切り出したらいいものか迷う。自分の命が助かるのだから納得してくれるはずと誓道は考えていたが、一方でこちらを見捨てる選択には、やはり罪悪感を抱くだろう。
何とか傷つかない説得を試みようとして、どんどん時間が経過していく。そしてついに、決闘祭が開催する一週間前になろうとしていた。
その夜、誓道はなかなか寝付けずにいた。奈月に伝えるタイミングを考えてゴロゴロしていると、突然天井に何かが当たる音が聞こえ始める。
――雨だ。すぐにざぁっと降り始めた雨は、適当に張っていた天井の布の隙間から漏れ始め、瞬く間に藁のベットを濡らし始める。さすがに寝ていられる状況ではなくなった誓道は部屋を出たが、行き場もなくて廊下に立ち尽くした。
(どうしよう……奈月さんのとこ、行っていいのかな)
もし部屋に居られなくなったときは自分のところに来ていい、と彼女から言われていた。しかしここ数日、奈月とはまともに会話をしていない。行くには少し抵抗がある。
(――いや、良い機会だ。ここで話さそう)
誓道は奈月の部屋に向かった。ここを逃すとまたタイミングを逃してしまいそうだし、大会も一週間前に迫っている。チャンスだと思うべきだ。
奈月の部屋の前に来てドアをノックする。「あの、奈月さん」
「えっと……雨が、その、降ってきたので。一晩だけ、泊まらせてもらえますか。自分は床でいいので」
返事は、ややあって来た。「どうぞ」
ドアを開けると、暗い部屋の中で奈月がベッドで寝ていた。ドアに背を向けて寝ているので、顔色は確認できない。
「半分開けておいたから。使って」
「……いいんですか?」
「うん」
言葉数が極端に少ない。こういうときあれこれと自分の考えを言うのが奈月の性分のはずだ。やはり落ち込んだままなのだろう。
誓道は恐る恐る近づき、半分空いたベットの方にそろりと寝転がる。いつぞやのように、彼女に背を向ける形で横になる。
以前も緊張していたが、今は別の意味で心臓がバクバクと高鳴っていた。言うぞ、言うぞ、と心の中で唱えて、誓道は口を開く。
「あのさ、誓っち」
誓道はビクリとする。驚きのあまり言葉は喉の途中で止まった。
「あたしに隠し事してない?」
脳内に空白が生じる。どういうことだ。
「ここ三日くらい、おかしかったよ。話しかけようとしても上の空で。あたしもあたしでしんどかったけどさ……誓っちのこと、心配してたんだよ」
背中に暖かい感触がある。奈月の吐息が首筋にかかる。彼女がこちらを向いて、背中に手を当てているようだった。
「それってさ、斎藤さんと話してた取引のこと、でしょ」
心臓が不協和音を奏でた。
誓道は、錆び付いたような動きで首を回す。
奈月はこちらをじっと見つめていた。どこか咎めるような視線だった。
「わざと負ける代わりに、オーク国があたしを引き取る。そうすればライハーゴが残ってヴァンパイア王国は解散しないで済む」
「き、聞こえて、た……?」
「ぼんやりとだけどね。最初夢だったのかと思ったけど、誓っちの様子から本当だったんだって気付いた」
まさか、だった。既に知っていたなんて想像もしなかった。
同時に、腑に落ちるところもあった。長いこと意気消沈していたのは、自信喪失で落ち込んでいた以外にも原因があったということだ。
しかし、そうだとすれば話は早い。
状況を飲み込んだ誓道は、上半身を起こして正座する。奈月もまたのそりと起き上がる。綺麗な金色の髪の毛がふわりと垂れた。
「でも取引を受けたら、誓っちがどうなるかわかんないじゃん。ブラッちは負けたら殺すって言ってるんだよ?」
「……そうと決まったわけでもないですよ」
誓道はへらっと笑う。
「ほら、ライハーゴが残ってれば、ブラド王も考えを変えるかもしれない」
「本気で言ってる?」奈月が目つきを鋭くする。
「じゃあなんで、あたしら以外に人がいないの」
彼女が告げた言葉に、誓道は瞠目する。それは誓道も薄々と勘づいていることだったが、まさか奈月も気づいているとは思っていなかった。
この国にはライハーゴ一機しか残っていない。つまり、どこかの段階で所有していた祭器が接収されたことを意味している。
なら、国内に決闘士が残っていないと、辻褄が合わないのだ。
考えられる可能性は二つ。そもそも転移者が確保できず、大会に出られなかったペナルティとして祭器が奪われた。
もう一つは、敗北して祭器が奪われ、その責任で決闘士が殺された。
どちらだったのかは、ブラド王に聞いていないので定かではない。だが、もし後者だった場合、ブラド王が有言実行する男だという証拠になる。
言動が破綻しているとしか言えないが、さりとて無視することもできない以上、危険がないと判断することはできない。奈月は、そう言いたいのだろう。
「負けたら、殺されるんだよ」
もう一度、突き付けられる。
誓道は、その言葉に対してはもう反論するつもりがなかった。代わりに違う言葉を返すことにした。
奈月まで死ぬよりはマシだろう、と。軽く、笑いながら。
だが、その言葉は出なかった。
奈月が急に接近して、押し倒してきた。倒れた誓道の上に四つん這いになった奈月は、ベットに押しつけるような格好になる。
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