1-29 ありふれたミスが、致命傷になる

 バンジックが放った連続のジャブがライハーゴの胴体にまともに入って、ライハーゴが仰向けに倒れる。振動と共に後頭部を打つ。

 モニターにノイズが走り、嫌な音が背部ユニットを包む。

 誓道は痛む後頭部を押さえ、明滅する視界のまま前部座席に座る奈月の方を見る。


「大丈夫ですか!?」


 声はない。覗き込んだ誓道は息を呑む。

 操縦スティックを握っていた手はだらんと垂れ下がり、長い髪が振り乱されたように肩や顔にかかっていた。

 反応は、ない。


「奈月さん!?」


 思い切り腕を伸ばして肩を揺さぶるも、返ってくる言葉はない。血の気が引く。まずいまずいと思いながら席から上体を起こし、彼女の頬に触れる。暖かい。鼻や口にも触る。

 息は、ある。


「――っ……はぁ……はぁ」


 誓道はドッと息を吐いて席にもたれかかった。生きていた。良かった。

 だが、脳震盪などで気絶しているのだとすれば、すぐに介抱しないといけない。とにかくすぐに外に連れ出すべきだ。


『ヴァンパイア王国、ライハーゴの沈黙を確認。これ以上の戦闘続行はないと見なし、オーク国のバンジックの勝利とする』


 審判役のオークの声がコクピットに響いた。

 すぐに事実を飲み込めなかったが、数秒をかけて理解する。

 そうだ。操縦している奈月が動けないのだから、これで終わり。

 自分たちの負けだ。

 呆然としていた誓道だが、すぐに我に返る。奈月の容態を確認することが先決だ。仰向けに倒れているので、前部座席によじ登るようにして奈月の元へ近寄る。彼女の身体を何とか抱きかかえ、ハッチを開けて外に連れ出す。気絶している少女の身体はまぁまぁ重かったが、それでも何とか地上まで戻る。

 遠くからオーク達の盛り上がる声が聞こえてきた。ベリル王が重臣たちと笑い合っている。何やらこちらを侮辱するような言葉も聞こえてきたが、そんなものに構っている場合ではない。


 倒れたライハーゴの膝裏に隠れるようにして奈月を置く。息をしているが、起き上がる気配はない。

 白い顔で目を閉じる彼女の姿に、かつてないほどの胸騒ぎが起きる。

 この敗北は予定通り――ではない。意図せず本気の実力を出してしまったにも関わらず、斎藤には通用しなかったのだ。自分たちと同じスタートを切ったであろう相手に対してこの様なら、更に上の実力者達にも叶わないのではないか。

 何より、実践における弱点も露呈した。声で指示を出す方法では、あまりにもイレギュラーに弱い。奈月が忘れた時点で誓道はどうすることもできなくなる。

 忘れなければいい、なんて単純な話でもない。実戦ではいともたやすく冷静さを失うのだと、よく分かった。訓練された軍人ならともかく、この前まで普通の女子高生だった奈月に自分を律しろと強要するのはあまりにも酷だ。

 誓道は膝に置いた拳に力を込める。目覚めない奈月を見つめながら、考えてしまう。

 自分たちはもう、どうしようもないのではないか、と。

 そのとき、近づいてくる足音があった。

 振り返るとそこには、薄笑いを浮かべた斎藤が立っていた。


「あのさぁ誓道クン。一つ、提案があるんだけどよ」


***


「――う、ううん」


 目を閉じている奈月の唇から微かな声が漏れる。そばで見守っていた誓道はガバっと彼女に顔を寄せた。


「奈月さん!」

「……誓、っち?」


 薄らと瞼を上げていく彼女と目を合わせる。奈月は焦点の合っていない目で、ぼんやりしていた。


「どういう感じ、これ……膝枕?」

「あ、す、すいません。地面だと痛いかなと思って」


 謝りながら姿勢を正す。「へ、変なとこ触ったりしてませんから」

 そう言ったが、奈月は頓着することなく周囲を見回す。


「待って……なんで、ライハーゴの外なの。どして。戦ってたん、じゃ」


 起きようとした奈月は、眉をしかめて頭を手で押さえる。


「あっ、無理しないで。頭を打って気絶してたんです」


 「気絶……」ぽつりと呟いた奈月は、ゆっくりと元の態勢に戻った。


「ごめん。少し膝、貸してほしい」

「はい、どうぞ」


 奈月は手を額に置く。目元を隠して、静かに呼吸を繰り返した。

 しばらくして「――相手は?」と聞いてくる。


「オーク国なら、帰りました。残ってるのは僕たちだけです。さすがに気絶したまま操縦席に乗せておくわけにもいかないので、起きるまでここで」

「そっか……負けたんだ」


 ポツリと、奈月が呟く。額に置いていた手をどけて、視線を合わせてきた。


「最後の方、あんま覚えてないんだけど……負けたの、あたしが原因だよね」


 誓道は、すぐに言葉を返すことができなかった。


「……そんな落ち込むことないですよ。負けるのが計画です」

「ああ、うん。そうだね……そうなんだけど、ね」


 奈月の言葉は歯切れが悪い。


「でもあたし、全力だった。全力でやって、敵わなかった。つまんないミスで、終わっちゃった……誓っちのサポートを、無駄にした」


 奈月が笑おうとして、失敗する。唇の端が歪んでいる。


「ごめん」


 そう言った奈月が、横向きになる。長い金髪で目元が隠され、彼女の表情は伺えない。その唇は、ふるふると揺れていた。悔しさを隠しきれていなかった。

 誓道は慰めることも叱ることもできなかった。惜しかった、なんて言える状況じゃない。事態は想定していたよりずっと深刻だ。

 奈月もわかっているのだろう。本気を出しても斎藤に勝てなかった自分たちが、この先強敵を相手に勝ち進んでいくことなど、無理だということを。

 待ち受けるのは、死だ。敗北した結果、おそらくライハーゴを接収され、残された自分と奈月はヴァンパイアの王の餌にでもなる末路。

 助かる方法はない――いや。

 一人だけなら、助かるかもしれない。

 誓道は、さきほど斎藤に告げられた提案を思い出す。


***


『なんだ、その子気絶しちまったのか。すげぇぶっ倒れ方だったからな』


 やってきた斎藤は、数分だけの猶予しかないから手短に伝える、と告げて続ける。


『寝てるならちょうどいい。誓道クンならきっと俺の話、理解してくれるだろうからさ』


 斉藤は声を落とし、笑みを消す。密約をするときによくしていた表情だ。


『戦ってみて分かっただろうけど、複座型なんて操縦方法じゃ不利だぜ? オーク国から出てくる選手は、俺以上の実力者だ。たぶん、いや絶対に負ける』


 誓道は黙り込んだ。反論できる要素などまるでない。


『このままだとキミらの祭器は接収される。そうなったらヴァンパイア王国は解散、そうだろ? 祭器がなくなった時点で国としての維持はできなくなるっつー話だし』


 自分達の背景を斉藤に説明したわけではなかった。だが、ヴァンパイア王国に残っていた祭器で出るしかない、と説明した時点で、推理するのはそう難しい話ではなかったのだろう。


『そうなると君らは路頭に迷う。下手すると死ぬわけだ』


 そこは理解が間違っている。敗北した瞬間、ブラド王に食い殺される。

 下手するも何も、待ち受けるのは死しかない。


『さすがにそれを見過ごすっつうのも寝覚めが悪いわけでさ。俺のために頑張ってくれた、仲間なんだからよ。ってことで、俺と取引しないか?』


 前半の話は空々しさしか感じなかったのに、最後の一言に、誓道は反応した。思わず「取引?」と聞き返してしまった。


『ああ。一回戦、俺が出場してお前らと当たる。そんで俺を勝たせてくれよ。飲んでくれたら、その子を引き取ろう』


 意図が分からず誓道が眉をひそめると、斉藤の声に真剣味が帯びた。


『わからねぇか? こうすりゃお前らは生き延びれるんだ。今のままだと十中八九、奪われるのは複座型の祭器だろうよ。今回の練習試合でお前らの実力は分かったからな。珍しい機体を手に入れた方がマシだって、ベリル王は考えるはずだ』


 その説明に引っかかるものがあった。しかし具体的に何がと言われれば、漠然としている。

 考えている間にも斎藤の話は続く。


『そこで、だ。俺はベリル王に確実な一勝を約束する。その代わり、複座型の祭器じゃなくてその子を引き取る条件を飲んでくれるよう頼み込む。そうすりゃ、祭器は残るからヴァンパイア王国も解体されない。お前は次の召還でやってきた転移者と組んで次の大会に出ればいい。な? 悪くねぇ条件だろ』


 ようやく斉藤が提示した内容を理解する。しかし同時に疑問も生じる。どうして奈月を引き取るつもりなのか。彼女はFP値がまるでない。決闘士として使い道がないからこそベリル王も引き取らないはずだとさきほど暗示していたのに、矛盾している。

 疑問に答えるように、斉藤は語った。


『その女子高生には人舎の雑用係をやってもらう。エルフ王国にはそういう奴らがいるみたいなんだが、オークの連中はそういう発想が全然なくて困ってたんだ。これを機会に環境改善できて決闘士のができるなら、オーク国にとっても俺達にとっても損じゃねぇ。ベリル王にはそう直訴するつもりだ。それにその子だって、FP値が出ないから複座型の操縦役をやるしかなかったんだろ? ちょうどいいじゃねぇか。女なのに戦闘を押し付けるとか、キミだって辛かったはずだ』


 言葉が棘のように突き刺さる。

 女に危険なことをさせて酷い人間だと、そう言われている気がした。

 たとえ奈月が辛い思いをしていなかったとしても、端から見れば年下の女の子に戦闘を任せている最低な男に見えるのも仕方がない。


『キミはヴァンパイア王国に残るけど、次の機会がある。その子の面倒は俺がしっかり見てやるから、心配するなって』


 誓道は思わず斎藤を見たが、彼はこちらを見ていなかった。地面に寝そべっている女子高生を、無遠慮にジロジロと眺める。

 口元は笑っていない。だが、目の奥に愉悦が滲んでいるのを感じ取る。


 ――あたしがどんな思いで生きてるか、知りもしないくせに!


 エルフ王国で働いていた給仕係の言葉が蘇る。

 どういう意味だったのか、誓道はようやく悟った。

 斎藤にとってこの提案は、メリットばかりなのだ。八百長とはいえ確実な一勝を提供できればベリル王の覚えもよくなる。ライハーゴが手に入らなかったとしても、あらゆる意味で使い道のある女が手に入るのだから決して損にはならない。

 だが、こちらは違う。敗北した時点で待ち受けるのは死だ。斎藤の考える次の機会なんてものは、ない。だから受け入れた瞬間、全ては終わる。

 それでも、奈月だけなら。彼女が生きていられるなら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る