1-23 斎藤との再会①

「ま、待ってください! 預かるって、なんで!?」

「ワシの前まで来て頭を垂れれば返してやる。あの透かした顔を地面に擦り付ける様が見れるなら、溜飲も下がるというものだ、グハハ」


 絶句する誓道を、ベリル王は犬歯を見せながら睨みつける。


「なんだその顔は。文句があるのか? たかが持ち帰るだけで」

「で、ですが、協定では」

「死ぬか」


 オークの手が誓道の首を鷲掴みにする。殺意に肌が粟立った。

 「誓っち!」奈月が叫び、誓道の体を引き寄せようとする。だがオークの腕力に勝てるはずはない。


「傷つけはしない。謝罪に来れば許す。そうまで譲歩して、まだ口答えできる身分なのか? 卑しいヒト属が」


 ミシリと指に力が入る。視界に火花が散って、息が苦しくなる。

 あまりに呆気なく、死が見えた。


「ちょーっと待った! タンマタンマ! お待ちくださいベリル様!」


 飛びそうな意識の中、第三者の声が耳に響く。聞き覚えのある声だった。

 誓道の首を締める手を、斎藤が掴んでいた。


「――何の真似だ? 斎藤」

「いやーやっぱ殺しちゃマズイっすよ。あと、少しお伝えしたいことが」


 斎藤はベリルの耳元で何かをささやく。小声過ぎて聞き取れない。

 だが、斎藤が何かを伝え終えた瞬間、ベリル王がパッと手を離した。

 解放された誓道は地面に膝を付きむせ返る。「誓っち……!」奈月が慌ててしゃがみこみ、背中を擦ってくれた。


「ようは、お前に一存しろと」

「ええ、はい。これは貸しにできます。ヴァンパイア王国に対しての、ね?」


 ゲホゲホとむせながら、誓道は顔をしかめた。斎藤は、ネットワークビジネスを意気揚々と語っていた頃とまるで同じ表情をしている。こういうときは決まって、相手を自分の話術で嵌めて都合のいい展開に持ち込んでいるときだ。

 嫌な予感がする。


「貴様はヒト族にしては理解があり、分別を弁える知恵もある。これまでの奴らと違うというワシの予感、自分で証明してみせるか?」

「是非に。ここは俺にお任せください」


 オークの王は少し考えた様子をして、頷いた。それから手を上げる。

 まだ何かする気かと身構えた誓道だったが、ベリル王は奈月の頭に手を置くだけだった。彼女はビクリと身を震わせる。


「化石王によろしく伝えておけよぉ、ヒト族のメス」


 ガッハッハ、と豪快に笑ったベリル王が二人から離れ、去っていった。従者のオークや安藤達も付いていく。

 二人が固まっている中、斉藤だけが残っていた。


「久しぶり誓道クン。てか、マジで危ないとこだったぜ? あのお方はキレるとなにすっかわかんねぇから。格好つける相手、見極めないとな?」

「あ、斎藤さん、あの」

「まぁここじゃ何だ。あとで落ち合おうぜ、許可は得てる。王様の用事を済ませてからいくからよ」


 そうして斉藤は誓道の肩をぽんと叩き、ある場所を指定するとベリル王を追って去っていった。

 オークの姿はない。危機は去った。その実感にドッと息を吐いた誓道は、自分達の周囲に人だかりが出来ていることに気づく。異世界人の容赦のない好奇の目が突き刺さる。そこに同情している者は、居ない。


「行こう、誓っち」


 手を握られた誓道は、奈月に引っ張られるまま立ち上がり、野次馬の間を抜け出して早足に進んだ。

 人気の無い方を進んでいくうちに、市場からどんどんと離れて街の隅まで来る。奇しくも斉藤が指定してきた場所――国の中を巡る用水路を渡る橋が見えた。


「あ、待って、奈月さん。ここが待ち合わせの場所だ」


 言うと、橋の上で奈月が立ち止まる。誓道は息を吐き、自分の胸に手を当てた。バクバクと物凄い勢いで心臓が高鳴っている。汗も止まらない。手も震えている。

 いや、違う。自分じゃない。握った奈月の手が、小刻みに震えていた。


「大丈夫? 奈月さん」


 心配になった誓道は、彼女の顔を覗き込む。

 奈月は唇を噛みしめ、目に涙を一杯ためていた。


「なつ――」


 言葉の途中、ぐいと引き寄せられる。そのまま抱きしめられた。


「ぇ」

「……ごわがっだよぉ……」


 涙目が耳元で聞こえた。


「なんで……あんなごどいわれなぎゃ…………ぐやじい……誓っぢも、まきごんで……ぐやじい」


 柔らかい感触や良い匂い共に、彼女の悲しみと怒りが伝わる。


「ごべん、ごべんねぇ……あだじが、なにも、かんがえでなぐで……ごわいおもい、さぜで」


 肩が、彼女の涙で濡れて暖かくなっていく。

 黙っていた誓道だが、次第に自分の身体も震えてきた。目頭が熱くなり、勝手に涙が溢れてきた。膝が笑って、崩れそうになる。

 今更、恐怖に襲われて体が言うことを聞かなくなっている。

 だから奈月を抱きしめて、支えてもらうように立つ。


「俺も、怖かった……奈月さんが、連れて行かれそうで……」

「あだじも、誓っぢが死んじゃうかと思っだよぉおお……!」


 ううう、と奈月がくぐもった泣き声を我慢する。

 その声がなぜか、少し嬉しい。

 互いの震えが止まるまで、しばらく二人は抱きしめ合っていた。


***


「ほんっとーにごめん! あたしが軽率だった! マジごめん!」


 通常に戻ってからの彼女はずっと謝りっぱなしだった。両手を合わせ頭を下げる奈月に、誓道も大きく首を振る。


「大丈夫ですから。俺だって、斎藤さんが居なかったら助けられなかったから……すみません」

「誓っちが謝る必要ないよ! 全部あたしのせいだし、助けてくれたじゃん……ほんとやっちゃったって感じ」


 盛大な溜息を吐いた奈月は、橋の手すりに肘を突いて顎を乗せる。「あたしこんなんばっかでさぁ」


「なんか大事なときに台無しにしちゃうっていうか。勢いでやって相手を怒らせたり、ドン引きさせたりさぁ。気をつけてたんだけど全然わかんなくて……あー、ほんとあたし価値ねぇわ。頭悪くて死にたすぎる」

「お、終わったことはひとまず置いときましょう! ね! これから斉藤さん来るし!」


 これ以上落ち込まれる前に話題を変えておく。「ごめんね……」ぽつりと呟いた奈月は、誓道の方を向いて微笑む。


「そだね、まずはそっちだ。ありがとう誓っち」


 ホッと頷いた誓道だが、彼女の泣き腫らした目元を見たとき、胸の中にモヤッとしたものを感じた。

 奈月をここまで理不尽に追いつめたオークの王に対して、腹が立っているのだと気づく。

 この世界では当たり前。どうすることもできない。言い訳も、受け入れる理由もわかる。それでも誓道は、生まれて初めてというくらい、納得がいかなかった。

 奈月は悪気があったわけじゃない。むしろ優しさだった。それが甘かったと言われればそれまでだが、彼女の気持ちを否定したくはない。

 どうしたら生きやすくなるだろうか。この世界に居る限り、望めないのだろうか。


「あの、誓っち。やっぱ怒ってる?」

「考え事してただけです」


 奈月を不安がらせないようすぐに笑顔を取り繕う。

 そのとき、近づいてくる足音があった。「おーい」

 振り返ると斎藤の姿が見えた。周りにはオークも、安藤達も居ない。完全に一人だ。


「待たせたな。そっちの子ってあのとき召還された女子高生?」


 誓道は若干眉をひそめる。自分たちは置いておくにしても、転移者が監視もなく他国の転移者と接触するのは禁じられているはずだ。

 どこかに監視が隠れているか、さもなくばこの接触自体がオーク国に許可されていることになる。

 後者なら、旧交を温める理由で接触したわけではないのだろう。


「その節はスンマセンしたっ!」


 斉藤が近づいてくるや否や、奈月はシュバッと頭を下げる奈月。勢いが付きすぎて金髪がふわりと垂れた。


「このたびは本当にご迷惑おかけしました! んで助けてもらってありがとうございマス! 以後気をつけますマジで!」

「お、おう? まぁ仕方なかったって、はは」


 ギャルの話し方に若干引いていた斎藤だが、彼女が顔を上げると、「……へぇ?」と含みをもたせるようにつぶやく。


「斉藤さん。お久しぶりです。無事、で良かったです」


 誓道が声をかけると、斉藤がパッと振り向く。


「誓道クン! 生きてたんだな! 君だけ違う国に行ったからどうなったかと心配してたんだよ……お互い無事で良かったぜほんと」


 肩を抱かれてバシバシと叩かれる。誓道は半笑いになりながら、バレないように観察する。

 斉藤は、本当に無事を喜んでいるように見えた。しかしこの人物のポーカーフェイスぶりは一緒に行動しているからよく知っている。


「ていうか、ヴァンパイア王国ってどういうことさ。誓道クン、確かFP値が一番高いからってエルフ王国に引き取られただろ?」

「それは……」


 思い出したくもない恥辱の過去だが、誤魔化しは効かないだろう。オーク国にも事情が筒抜けになるだろうが、助けてもらった手前、話さないわけにはいかない。

 誓道は簡潔に、エルフ王国からヴァンパイア王国に流れ着いた経緯を話した。

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