1-18 奈月と一夜を過ごす

「えっ」

「だって人が寝れるのここしかないし」


 ぽんぽんと奈月がベットを叩く。誓道はたじろぐ。


「い、いいんですか?」

「別に寝るだけ――ああ、そっか」


 何かを悟ったらしい奈月が、すんと真顔になる。


「シたくなっちゃうか」

「えっ?」

「だから、エッチ」


 何の抵抗もなく発せられた言葉に、誓道はギシリと固まった。


「誓っちも男の子だもんね。まぁ別にあたしはいいんだけど、お風呂あんま入ってないからそこは気になるかな。髪だってガサガサだし、処理的なものもしてないし。結構幻滅するかもよ? あとさー、一応つけてほしいんだけど、そーゆうのこっちの世界まで持ってきてる?」


 奈月は、金色の髪を指でくるくる巻いて弄ぶ。

 誓道は呆けるだけだった。これまでの人生で女子と会話した経験はほとんどなく、もちろんそういう体験もない。したがって繰り出される言葉の数々をまともに処理できない。このシチュエーションにどう反応していいのかわからない。


「どーしても我慢できないって言うなら、一回だけならいいけど……楽しませてあげたりとかは、ねぇ?」


 奈月が遠慮したような、苦い笑みを浮かべる。

 それでも目は笑っていない。むしろ、よそよそしさする感じる。

 なぜか、焦りに似た感情が芽生えた。


「だ、大丈夫です! 俺、童貞なんで!」


 気づけば誓道は、そう叫んでいた。

 奈月はポカンとする。


「そういうことしたことないしどうしたらいいかわからないし雰囲気とか読めないんで安心してください!」


 全力で弁解してから、我に返る。もしかして自分はいま、とんでもないことを口走ってしまったのではないか。なにが大丈夫なんだアホじゃないのか。顔が急激に熱くなる。


「どうて――えっ、一回もなし?」

「……はい」

「その年齢まで?」


 グサリとくる。が、本当のことだから仕方がない。「……はい」


「だから、やり方もよくわかんないってこと……?」


 ポカンとしていた奈月の口角がゆっくりと上がる。


「ふ、ふふ……それ、自信満々に言うことじゃなくない? はは、でもそっか、そうだね。素人には急過ぎて困っちゃうよね、ふふ……ごめんね? あはははっ」


 奈月が腹を抱えて笑う。滑稽な告白をしたことに対してか、経験なしを笑われているのか。どちらにせよ恥ずかしいことに変わりはないが、同時に、元の彼女に戻って少し安心もした。


「はー、ウケた。誓っちって面白い」


 笑いすぎて涙を滲ませた奈月が、指先で目元を拭う。


「そんじゃ今日は普通に寝るってことで。りょー」


 奈月はローファーを履いて立ち上がる。「とりま夕飯の用意するわ」


「あ、俺も手伝います」

「いいよいいよ。誓っちは休んでて。今度また使い方を教えるから」


 そう言って奈月は、ふんふんと鼻歌を歌いながら部屋を出ていく。

 一人残された誓道は、さきほどの発言を思い出して再び悶え苦しむのだった。


 夕飯は奈月が簡単なスープを作ってくれた。それと干しパンをセットで食べる。エルフ王国に居たときの食事とは雲泥の差だったが、今は飯が食えるだけでもありがたかった。

 食事中はいかに厨房が使いづらいか、どれだけ頑張って修理したかを奈月に切々と語られるなどの雑談に興じて、その後は湧かした湯でそれぞれ身体を拭き、就寝となった。

 部屋を灯す燭台の火を消すと、室内はすぐに暗闇に包まれる。

 奈月の提案通り、二人で一緒のベットに寝転がった。決して大きくはないベットだから彼女の体温がすぐ近くに感じる。

 誓道は気まずさから背を向けるようにして寝ていたが、少し経ってから奈月の方を確認する。彼女もまたこちらに背を向けて寝ていた。肩は規則正しく揺れている。もう寝付いたらしい。


(まぁそうだよな。寝るだろ、普通)


 何を期待していたわけでもない。ただ、さっきの話でどうしても意識してしまう自分がいた。

 もしも。言い訳をしなかったら、今頃はこの子を抱いていたのだろうか。

 奈月は、しょうがないという感じだった。迫れば受け入れていた可能性はある。

 そこに問題意識は、抵抗はないのか。会ったばかりの男とそういうことになっても、平気なのだろうか。

 けれど、そんな発想が簡単に出てくる時点で、そういう選択肢が彼女の日常にあったことを示している。

 一夜限りのことだって、普通にしたのだろう。

 不意に、褒められたときの彼女の笑顔が過ぎった。

 胸が締め付けられた。

 無邪気で優しい面は彼女の一部でしかないなんて、当たり前のことなのに。

 どうしてこんなにショックを受けている。


(ああ、くそ……!)


 誓道は頭を抱えて、胎児のように丸くなる。

 今日出会ったばかりの女の子を気にするなんてどうかしている。もっと別のことを考えるべきだ。

 大会のこと。祭器のこと。ヴァンパイア王国のこと。これからの自分の生き方のこと。

 しかし、考えようとしてもすぐに散漫になってしまう。気を抜くと、背中に感じる体温と寝息に身体が疼く。

 早いところ自分の部屋を作ろう――誓道はそう誓った。

 結局その日は、ベットで横なっていても、一睡もできなかった。


***


人工筋肉エリキサの補充はできん」


 一睡もできていなかった頭が、一発で覚醒するくらいの衝撃だった。


「でき、ない? どうしてですか?」


 玉座の間で再びブラド王と謁見した誓道と奈月は、人工筋肉の補充をしてほしいと願い出た。

 出てきたのが、今の返答だ。


「人工筋肉の備蓄は、我が国にはない」

「は、はい。そうなんだろうなって思ってました。なので買えばいいんじゃないかと」

「現状、祭器の修復を可能とする技術を有しているのは完全中立のドワーフ共和国のみ。彼の国は分け隔てなく他国の祭器を受け入れ、人工筋肉の補充と供給も、金銭を払えば請け負うであろう。唯一の例外を除いて」

「例外?」

「ドワーフ共和国は、我がヴァンパイア王国との交易を禁じている。売買が禁じられている以上、人工筋肉の補充は受けられん」


 なにを言っているのか、すぐに理解できなかった。

 じわじわと事実が染み込んでいくのに合わせて、誓道は瞠目する。


「そんな!? ドワーフ共和国の協力を受けられないんですか!?」

「そうだ」

「えー? なんで? そのドワーフ共和国ってのと喧嘩中とか?」


 事態がうまく飲み込めていないのか、奈月が呑気な声音で尋ねる。

 ブラド王は鼻を鳴らした。


「喧嘩、か。雑で幼稚な表現だが、遠くはない」

「どうしてそうなったの?」

「聞いてどうする」

「仲直りできる方法がわかるかもしれないじゃん」

「貴様達のような転移者に解決できる問題ではない。何より、貴様達には交渉権も発言権もない。国交を回復するなど、できぬ話だ」


 奈月はぶーと口を尖らせる。

 だったらブラド王が動けばいいのではないか、と喉から出かかっていた誓道だが、ぐっと飲み下した。できているならとっくに正常化しているはずだ。できないのにはそれなりの重たい理由があるのだろう。

 そして、この王が自分たちの嘆願で動くことはないことを、昨日今日のやり取りで痛感してしまっていた。


「……でも、困った事態なんです」


 それでも何とか別の方法で協力を得られないかと、誓道は食い下がった。


「なぜだ」

「ライハーゴの人工筋肉充填率が五十パーセントを切っていました。このままではライハーゴの全力が出せません。それに練習のため動かせば、消費されていきます」

「ふむ、随分長いこと放置したせいで枯れていたか」


 まるで他人事のように呟いたブラドは、指先で顎髭をなぞる。


「だが祭器は動かせる。戦えるのであれば支障あるまい」


 誓道は目を見開く。「そんな……!」


「ただでさえ二人乗りのシステムで大変なのに、全力も出せない状態で勝ち進むなんて無理です!」

「小僧」


 赤い瞳に射貫かれた誓道は、ギクリと硬直した。


「貴様に命令したはずだ、勝利せよと。死にたくなければどうにかしろ」

「そんなこと言ったってさ、ブラッち。勝つ可能性が無くなったらどうしようもないじゃん」


 奈月が嘆息しながら腰に手を当てる。


「協力してくれないと滅んじゃうかもよ?」

「だとすれば、それが天命ということだ」

「は? 何もしないで終わっていいわけ?」

「王とは下々を束ねる絶対的な権力であり象徴。この玉座より動くことはまかり通らぬ。貴様らと同格に堕ちて足掻くくらいならば、亡国を選ぼう」


 事もなげに放たれた言葉に、誓道は唖然とする。

 ようは必死になるくらいなら国が終わってもいいと、そう言っている。意味が分からない。

 これにはさすがの奈月も絶句していた。


「あんたさぁ……プライド高すぎじゃね?」

「下賤な貴様らに理解できんのは仕方のないこと。王の矜持とはかくあるものだ」


 鼻で笑われ、奈月は眉をしかめる。「あっそ!」


「後で助けとくんだったって泣きついても知らないからねばーか!」


 ブラド王は安い挑発には乗らず、涼しい顔で聞き流すだけだった。その態度に奈月はますます仏頂面になる。

 誓道は怒るどころか、呆然とするばかりだった。もはや理解不能の域だ。

 しかし、その潔癖なまでに人間を侮辱した態度は、身に覚えがあった。


(エルフも、同じだったな)


 エルフは人間のことを下等生物と影で罵り、わざわざ人舎という囲いを作って隔離していた。彼らは決して人舎には入ってこようとせず、街中でも目を合わせるなと忠告されるほどに毛嫌いされていた。ようは、同じ生物だと見られていないのだろう。

 対等な話し合いのテーブルにつける余地などないことを感じさせる。何をしても無駄なのだという、冷めた諦観だけが浮かんできた。


「はー、意味わかんない。もういいよ」


 奈月がうんざりしたようにこぼすと、踵を返して誓道の腕を掴む。「いこ」

 彼女に引っ張られながら玉座の間を後にする。ブラド王は何も言ってこない。本当に何も関与するつもりがないようだった。

 しかしこれは最悪の事態だ。このままだとライハーゴは、不完全な状態で決闘祭に挑むことになる。

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