1-10 回想ーエルフ王国④
「あっちにいる人達、セイレーンとかリザードマンとかオーク王国に居たってさ。今じゃ元の国に戻るつもりないって言ってるよ。ここの居心地は最高だって。死物狂いで勝とうとするだろうね、きっと」
「なんだか長野さん詳しいですね?」
「これでも元の世界では営業職だったからさ。人づての情報収集は得意なのよ」
営業スマイルを浮かべた長野は、隣でじっと皿を見つめている誓道の姿にハッとする。
「だ、だからってイジメはよくないよね! うん」
片倉は慌てたように誓道の肩をぽんぽんと叩く。誓道は苦笑いするしかなかった。
「まぁ星野くんもさ、あんまり焦らないで。あたしらは今大会は出なくていいっぽいし。その間に上手くなればいいんだよ」
「そうだよ。練習すれば大丈夫!」
片倉と長野の励ましに、誓道は小さい声で答える。「……ありがとうございます」
気分の良い話ではなかった。長野の話は、自分たちの代わりに体を張ってくれるのだから我慢しろ、という話でしかない。それは齋藤らと共にネットワークビジネスで動いていたときと何ら変わらない。あの頃も齋藤に連れられて様々な場所に顔を出し人と会うことができた。こんな経験は齋藤のおかげだと、取り巻きの安藤達にはよく言って聞かされた。確かに自分一人では得難いことだったかもしれないが、だからといって潤ったわけではない。何ならこき使われ、資金だって吸われるばかりだった。
(俺はほんと、こんなのばっかりだ)
辟易したが、文句も愚痴もため息もしまい込んだ。長野や片倉は少なくとも気遣ってくれている。そんな相手がいるのは救いだった。
とにかく、決闘祭に出なくてもいい期間は有限だ。この間に腕を磨き、見捨てられないようにしなければいけない。
――だが、この予想すら、あまりに楽観的すぎた。
***
「星野を放逐する、やて?」
そんな声が聞こえたのは、一人訓練を終えて人舎に帰る途中のことだった。
時間を経ても一向に上達しない誓道は集団訓練から外され、一人でモーション訓練を行うように命令されていた。孤独な訓練を終え、今日もまた冷やかされるのかと落ち込んでいた最中、聞こえてきたのは自分の名前だった。
誓道はとっさに物陰に隠れ、声の方向を確かめる。そこで目を見開く。
格納庫近くに居るのは藤堂源四郎と――エルフだった。銀髪で切れ長の目をしたエルフは、やはり人並み外れた美貌をしている。
エルフは人舎には入ってこない。なぜかは聞かされていないが、滅多に見ない姿があるということは、只事ではない気がする。
「左様。ホシノチカミチは使い物にならない。そう結論づけてもよい頃合いだろう」
胸が不協和音を奏でる。悪い考えが、心臓の鼓動音と共に膨れ上がる。
「うーん……ほんまに捨てるんか?」源四郎はバツが悪そうに後頭部を掻く。
「確かにあいつは稀に見る落ちこぼれやで。こんなに上達が遅い奴はワイも初めてや。けどFP値の高さはローランを超えとる。そんな掘り出し物、今後も現れるとは限らへんで?」
「ではどうするというのだ? いかにFP値が高かろうが操縦に難があるのでは宝の持ち腐れというもの。かといって装備番に転向させられる知識や技能を持っているのか? あの人間は」
「いやぁ、普通のフリーターの兄ちゃんやでな。元の世界で機械いじりしとったわけやなし。それに人員は十分に足りとる」
「なら決まりだろう。ただでさえ下賤な種族を国に置いておくのは我慢がならんというのに、無能を無為に養うなど看過できん」
「……まぁ、清掃番も調理番もこれ以上はいらへんしなぁ」
誓道は瞬きもできず、その場で凍りついたように立っていた。
聞きたくない。だが、聞かずにはいられない。脳が拒否しても、容赦なく耳は音声を捉える。
「そもそも報告を読んでいる限り、ホシノチカミチはこの人舎の規律と風紀を乱している存在だと断言できる。同族同士で優劣を作り、各々の優越感のために迫害するなどまったくもって考えられん愚行だが……ヒト族がかように幼稚な精神構造をしている以上、暴力性の加速も起こり得る。人舎の内部統制は私の仕事だ。失態が王の耳に触れることは避けねばならん」
「そらまぁあんたらは同族大好き、他種族はそれ以下を地で行くレイシストやでなぁ」
「現地の言葉を使うな。分かるように言え」
「いえいえ、独り言ですから」
源四郎は猫なで声で答えると、ため息を吐いた。
「まっ、しゃあないですな。ワイもエルフ王に仕える身。君主に不快を及ぼす事態は避けるべきでしょう」
「分かったならさっさと準備を進めろ」
「はいはい。ほんま損な役割やで」
それから源四郎とエルフは二つ三つ会話をして去って行った。
物陰に潜んでいた誓道は、その場にずるずるとへたり込んだ。血の気が引き、心臓の音が耳の奥で聞こえた。
放逐――つまり、エルフ王国を追い出される。
異世界のただ中に放り出されてしまう。帰る家も、食事もない。
まるで予想していなかった。いくら操縦が下手でも、駒の一つとして置いておかれると思っていた。こんなにも簡単に、たやすく、見捨てられるなんて考えていなかった。
どれくらいそこで放心していただろうか。気づけば辺りは夜になっていた。誓道は真っ白な頭のまま、ふらふらと自室に戻る――途中で、どうしようもない焦燥に襲われた。胸が張り裂けそうなほどの苦しさで涙が溢れ、足が震えた。
誰か助けて。そう叫び出したいのを堪えて一直線に走り出す。
気づいたとき、他人の部屋の前に居た。女子部屋が連なる棟は男子禁制だったが、それを気にすることもできなかった。
迷いながらドアを一度ノックすると「はい?」声が聞こえ、ドアが開く。
「――っ! ……星野、くん?」
驚いた片倉は、涙目になっている誓道に眉をひそめる。
「どうしよう、片倉さん……俺、俺、このままじゃ……!」
「あ、あの。廊下だとバレたらやばいから。とりあえず入って」
招かれるまま部屋に入る。女子の部屋に入るのは初めての経験だったが、今は何の感慨も沸かなかった。
内装は誓道の部屋とほぼ同じだった。人舎は寮のような機能なので、画一的にしか家具が揃えられていない。一つあるベットに片倉が座り、誓道は床に正座する。
「ええと……女子棟は入ってきちゃ駄目なんだけど。その、どうしたの? なにか急ぎの用事?」
「……俺、エルフ王国を追放されるかも、しれない」
「――え?」
「いや、きっとそうなるんです。さっき、藤堂さんとエルフが話してるのを立ち聞きしてしまって」
誓道は聞いたばかりの話を掻い摘んで語る。
ずっと床を見ていたので、その間の片倉の表情はわからなかった。
「だ、だから、お願いします。俺を助けると思って――」
膝に置いた手にぎゅっと力を込める。誓道は、片倉から源四郎を説得してもらうつもりだった。みっともなくて惨めでも、それしか思いつかなかった。
「藤堂さんに、俺が残れるように説得を――」
「ち、ちょっと待ってよ」
彼女の声で、誓道は顔を上げる。
この世界にも月がある。
月光に照らされ浮かび上がった片倉の表情は、半笑いだった。
「藤堂さんを説得って、あたしが? 無理だよ、無理」
「どう、して?」
「そんなことをしたらあたしまで目をつけられる。エルフの方が決めたことだし……それにあたしなんかじゃ聞いてくれないって」
明らかに作り笑いと分かる表情で告げた片倉は、立ち上がるとドアのほうへ移動する。
「今の話、聞かなかったことにするから。今は帰って?」
彼女はドアノブを掴んで、そう言った。
「そ、んな。俺、片倉さんしか頼れないんです……!」
「長野さんもいるでしょ? 大人なんだから、あの人の方が頼れるんじゃない?」
信じられないものを目の当たりにした誓道の視界が、ぐにゃりと曲がる。
望んでいた言葉ではなかった。期待していた態度ではなかった。
絶望に侵食されていく。それでも、諦めたくなかった。
「お願いします! 助けてください!」
正座のまま勢いよく頭を下げる。額が床にぶつかってゴン、と音を鳴らす。
「お願いします……!」
「――っ! やめてよそういうの! こっちが悪いみたいじゃん!」
怒声にハッとして頭を上げると、片倉はこれまで見たこともないような憤りの表情で、こちらを睨んでいた。
「あたしだって精一杯なの……! 急にわけわかんない世界に飛ばされて、生きていくのに必死で……! もう帰れないなら、ここでやっていくしかない。これ以上の重荷なんて、背負えるわけない……」
キイ、とドアが開く。片倉がドアを半開きにしていた。これ以上の話はできないと、彼女の全てが語っていた。
のろのろと立ち上がった誓道は、「――ごめんなさい」と呟き、その部屋を去った。
片倉の顔は、見ることが出来なかった。
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