1-6 ヴァンパイアの王

『相変わらず頭のイカれた女だ、なにを言っているのかまるでわからん。貴様は余が飼うことになった決闘士。奴隷を覗くことが何の罪となるのか』


 それは、一匹のコウモリだった。赤い二つの丸はコウモリの目玉で、羽を畳んで宙づりになりながらこちらを見つめている。


「ブラッちに拾ってもらったことは感謝してるよ? でもあたし女の子なの。嫌なものは嫌なの。それハッキリと言ってなにが悪いの?」


 『――はは』コウモリが牙を覗かせて笑う。

 間違いない。声はコウモリの口腔から出てきている。


『やはり気狂いの類いか。今の発言、貴様の首が飛んでいてもおかしくはないのだぞ?』

「ブラッちはあたしを殺したいわけ?」

『いいや、まだだ。娘よ。契約を果たすまで手は出すまい』


 コウモリが羽を広げ、急に飛び立った。「うわっ」誓道の目の前を通り過ぎたコウモリは、祭器の肩に着地する。


『いつまでも報告に来ぬと思えば、侵入者と呑気に雑談か。それとも共に逃げる算段でもしていたか?』


 「は?」奈月が露骨に不機嫌な声を出す。


「なに言ってんの? ブラッち昼間はほとんど起きてないじゃん。こっちは気を遣って夜まで待ってあげようと思ってただけなんですけど。それをなに、逃げるとか失礼じゃね?」


 奈月が腰に手を当てて抗議する。しかしコウモリは返事をすることなく、倉庫の入口から外へと飛び立っていった。「あ! 無視した!」

 事態が飲み込めない誓道は、地団駄を踏みそうな奈月に、恐る恐る聞いた。


「あの、さっきから出てる、ブラっちって?」

「ヴァンパイア王国の王様。なんちゃらブラッドって名前なんだけど、長すぎて覚えられないからブラッちにした」


 王様をあだ名で呼んでいるのか、この子は。


「あの人さ、たまーにああやってコウモリ使って人の行動盗み見してんの。失礼なオッサンだよマジで。顔面は超イケオジなんだけど。あとロリコン。奥さんマリアちゃんて言うんだけどあたしより年下っぽいの。変態め」


 怒りが収まらないのか愚痴になっている。脈絡がなくてよく飲み込めない誓道だったが、今まで見聞きしてきた現地人と転移者の関係とまるで違うことは分かった。

「はぁ、しゃーない」頭を掻いた奈月はため息を吐く。


「王様のお呼び出しだから行こっか」


 面倒くささを全開にしつつも、奈月は倉庫の出口へと歩いていく。

 これがもしエルフに呼ばれたと考えたら、自分なら恐れ多くて緊張しっぱなしだったろう。ヴァンパイアの王は割と好意的なのかと思ったが、さっきのやり取りからして違う。

 二人しかいない異世界人と、決闘士として価値のない転移者。どういう関係なのかさっぱり分からないまま、誓道も彼女の後を追った。


 奈月に案内されて辿り着いたのは、城の中の一室だった。

 重厚で大きな扉だ。かつては絢爛だったと思わせる意匠は、今や埃やすすにまみれて見る影もない。

 奈月がその扉をノックすると、扉が勝手に開いた。

 王の居室――王室は、昼間なのにかなり暗い。窓が一つもないせいで陽の光が入ってこない。燭台に灯った蝋燭の火で辛うじて室内が照らされている。ぼんやりと照らされた部屋の奥に、玉座が二つあった。

 その一つに座っていたのは、長くウェーブがかかった髪の男。初老に近いくらいの皺が刻まれた顔は、堀が深く目鼻立ちがくっきりとしていて、エルフに引けを取らないほどの美形だ。肌は今にも倒れそうなくらい青白いが、黒い服を纏った体格は結構がっしりしている。イケオジという評価も頷ける。

 隣の玉座には、まるでフランス人形のような美しい少女が座っていた。ブロンドの髪にルビーのような瞳、整った小顔。赤いドレスを着ているが、手足がほとんど隠れている。その体格や肌から、十代前半くらいの若さに見えた。男と並んでいるとまるで親子のようだ。


「其奴が、我が国に迷い込んだ転移者か」


 低い声で告げた男が誓道を見据える。その目に、誓道は息を呑む。さっきまで丸かった瞳が、猫のように縦長になった。人間とは異なる種属の証だ。

 なにより、エルフと同種の冷淡さがこもっている。人間という、この世界には存在しない種属への軽視と侮蔑を、この男も隠そうとはしていない。


「貴様、名は?」

「星野、誓道……です」

「チカミチ。転移者は相変わらず発音しづらい」


 ぼやいた男は、言った。


「我が名はバルキフリード・オベイロン・ブラッドレイ。誇り高きヴァンパイアが一人であり、この国を統べる王である。転移者よ。本来であれば我が領土への不法侵入は大罪に値するが、まずは経緯を答えよ。それから処罰を決する」

「えー、ただの迷子かもしれないのに罪に問うわけぇ?」

「黙れ」


 王がギロリと奈月を睨み付ける。それだけで誓道はビクリと肩を振るわせたが、奈月はむっと口を尖らせる。


「ブラっちが何も言ってこないからいいのかなって思って介抱してたんだよ? なのに後で問題にされたらあたしの努力無駄じゃん? まぁなんか言われても誓っちは助けてたけど」

「貴様は権威と形式というものが……もういい、黙っていろ」


 王――ブラッドレイは頭痛を催したようにこめかみを揉むと、椅子の肘掛けで頬杖をつく。

 もしかして二人の関係が良好なのではなく、王が奈月を持て余しているだけのような気がしてきた。


「転移者が<忘らずの森>に侵入することは稀だ。転移時に廃棄された転移者は、エルフ王国から出られずに牢獄で死ぬか、逃げても魔獣に食い殺される」


 ちらとブラッドレイが奈月に視線を送る。だがすぐに誓道に目を向けた。


「となると、貴様は廃棄物ではなく、これまでの間に別の国で飼われていた転移者であろう。それが何らかの理由で放逐された。違うか」


 ブラッドレイの予想は当たっていた。誓道は逡巡したが、素直に頷く。


「――はい。俺はこれまで、エルフ王国の決闘士として人舎に居ました」


 エルフ王国と言った瞬間、ブラッドレイの赤い瞳がギラリと鋭い光を発した。


「ではなぜ我が国に辿り着くことになったのか、経緯を述べよ」

「……」

「黙秘するなら、貴様には死で贖ってもらう」


 酷薄な台詞に心臓が締め付けられる。「ちょっと!」奈月が声を上げた。


「さっきから横暴じゃん! 黙ってたいこともあるっしょ!」

「いいんだ、奈月さん」


 誓道は苦笑いしながら彼女を制した。奈月が庇ってくれたことは素直に嬉しいが、それでも相手の怒りを向けさせたくない。どうやらブラッドレイは彼女に手を出さないでいるようだが、相手はモンスターの王だ。いつ豹変するか分からない。

 何より、目覚めてから既に覚悟していたことだ。その国において、王の決定は絶対。それが例え二人きりしかいない国であったとしても、転移者が口を挟む権利はない。それはエルフ王国で十分すぎるほど身にしみた。

 黙っていたのは、辛い思い出を掘り起こすことに躊躇いがあったから。

 それでも、喋らないと信用を得られないのなら、黙っていることはない。


「話します。俺が転移してから、エルフ王国を追放されるまでのことを」


 ***


 誓道がエルフ王国に連れて行かれたのは、選抜が終わってすぐのことだった。

 豪華な馬車に乗せられて移動したそこはとても綺麗な国だった。色とりどりの植物がみずみずしく咲き誇り、小川は透き通り、暖かな風は心地よく、建築物の全てが清潔で真新しかった。

 そして、通りを歩いているのは見目麗しい耳の長い美男美女――エルフばかり。


「エルフと目を合わせたらあかんで。こっそり見るくらいにしとき。そのうち往来を歩けるようにもなるが、そんときは地面を見ながら歩きぃ。間違っても堂々としとったらあかんで」


 そう忠告してきたのは、馬車に同乗していた藤堂源四郎だ。彼は転移時の案内役であると同時に、エルフ王国に所属する決闘士の一人で、転移者をまとめる教務官を担っているしい。エルフ王国に引き取られることになった転移者を連れて行くのも彼の役割だった。


「なぜですか?」


 そう聞いたのは馬車にいる転移者――長野智里ながのちさとという女性だ。元の世界ではOLだったという彼女は、スーツ姿のまま馬車に揺られている。彼女の他にもう一人、片倉梓かたくらあずさという女性も同乗している。彼女も転移者で、元の世界では女子大生だった。

 誓道を合わせた都合三人が、エルフ王国の決闘士として選抜された転移者だった。理由は単純に、FP値が高い順の一位から三位まで取られたに過ぎない。

 源四郎によると、前大会優勝国(どころかずっと常勝国)であるエルフ王国にまず選ぶ権利が与えられるらしい。選び終わった後は準優勝から順に転移者を自国に引き抜いていくようで、勝てない国は転移者を選ぶ前に根こそぎ奪われてしまうこともあるという、厳しいルールだった。


「すぐにわかる」


 長野の問いに、源四郎はそう答えるだけだった。含みのある言葉に様々な想像が膨らむ。長野も片倉も同じようで、馬車の中は沈黙に包まれた。 

 馬車に揺られながらエルフ王国を進み、誓道らは国の端にある施設へと辿り着く。源四郎が「人舎」と呼ぶ施設だった。

 かなり広い敷地面積があるが、四方を高い壁で囲まれていた。門をくぐって壁の内側に入ると、だだっ広い場所にぽつぽつと建造物があるのが見えた。エルフ達の建物と明らかに区別されていたが、人舎と呼ばれる施設も負けず劣らず綺麗ではある。

 しかし、驚くべきはそこではなかった。


「あっ」


 誓道は声を上げる。壁の内側のほとんどは草も生えていない乾燥した大地だが――そこに、「巨人」が立っていた。

 例えるならそれは、ラバースーツの上に鎧をまとった人間、だろうか。機械というより人間をそのまま大きくした感じで、腕や足には筋肉の如き盛り上がりがある。肩や腰、脛にはプロテクターに似た鎧を装着していた。頭部は兜に覆われているが、顔の部分には仮面が装着されている。

 そうした巨人が、数えるだけで十体以上。それぞれが緑や青やオレンジなどの体色をしているので個体の違いはすぐわかるが、姿形は仮面以外ほぼ一緒だ。

 巨人たちはだだっ広い敷地の中で相対するように動き回っている。馬車は離れた場所に居るのに、ここまで地響きと振動が伝わってきた。


「あれが祭器ザイン。君らが乗ることになる機械人形、いわばロボットや」

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