1-5 黒の祭器

 ポツリと呟く。「ほんと!?」奈月が嬉しそうに声を上げる。


「よかった~。いっつもあたし一人で食べてたし、こっちの食材もよくわかんないからとりあえず食べれたらいいって考えて作ってて。誓っちにとっては美味しくないかもなーって心配だったんだ」


 奈月が一人で喋っている間に、誓道はパンを口に運ぶ。固くて水分がなくて味がほとんどない。エルフ王国で配給されていたパンとは比べ物にならない代物だった。

 それでも、口の中に広がる旨味に誓道は感動した。それをゆっくりと味わったあと、手を止めて奈月の料理をじっと見つめる。

 固まっていると、菜月が心配そうに声をかけてきた。「どしたん?」


「やっぱ不味かったかな?」

「……違うんです。俺、ずっと何も食べられなくて。このまま死ぬと思ってたから。こうして人が作った料理を食べられることが……なんだかすごく嬉しくて」


 もう二度とまともな料理は食べれないと思っていたから、涙が出るほどに美味しかった。というか自然に涙が滲んできて、慌てて袖で拭う。


「そ、そうだよね!? わかるよ、うん! あたしも全然食べれなくて、こっちでパン食べたとき泣いちゃった。泣きたくなるよねほんと!」


 なぜか慌て始めた奈月は、「スープのおかわりもあるからね?」と甲斐甲斐しく提案してくれる。


「あ、ってかあたしのことばっか喋ってマジでごめん。誓っちだって話したいことあるよね。なんでエルフ王国から出ることになったとか」

「それは――」


 誓道は口ごもる。説明しなければと思うものの、辛い記憶をほじくり返す作業なのでどうしても気分は憂鬱になる。

「いや無理しなくてもいいよ!」奈月が気遣ってくれた。ほんとにこの女の子は、見た目に惑わされてしまうが、随分と気遣いできる子のようだ。


「喋りたくなったらでいいし――あ、そだ。後でこのお城のこと案内するよ。気分転換しよ。見せたいものもあるしさ」

「……俺、ここに居ていいんですか?」

「いいんじゃん? あたしが決めれることじゃないかもだけど、出てけとも言われてないし」


 奈月はあっけらかんと言い切る。逆に誓道が不安になるくらいだった。


「あの、ここヴァンパイアの国、なんですよね? その人達はいまどこに?」

「たぶんまだ寝てる」

「寝て――えっ、全員?」


 ヴァンパイアだから夜行性、ということだろうか。


「全員っていうか、ここにはブラッちとマリアちゃんの二人しかいないよ。その二人が寝てる」

「二人? 城に? 家来とかは?」

「いないってさ。理由はあたしもわかんない」


 誓道は唖然とする。奈月は興味なさそうに肩を竦め、食べ終わった皿を床に置いた。


「なんかよくわかんないんだよね、ここ。ほんとに国なのかな? 二人しかいないしお城と森しかないんだよ。その二人も大体ずっと寝ててあたしのこと放ったらかし。でも起きてきたら誓っちのこと話せって言われると思う。色々聞かれるかもしれないけど、そこは我慢して? いちおー王様らしいからさ」


 誓道は頷くしかできなかった。聞きたいことが山のように出てきて、逆に何を聞けばいいかわからなくなった。

 エルフ王国からすればありえない状況だ。しかし、比較できるからこそ納得する部分もあった。

 この国の機能は多分、まともに働いていない。ヴァンパイア王国は大会最底辺の国と聞いていたが、どうしてそんな体たらくなのか分かった気がした。


 ***


 案内された城はいずれも崩壊寸前な様相だった。廊下は穴が空いて丸見え、レンガはズレていたり亀裂が入っていたり雑草が生えている。部屋数は多いがそのほとんどが使われておらず埃を被っている。調理場もかなりボロボロだったが、そこはできるだけ掃除をして使えるようにしたそうで、他の部屋よりはマシだった。

 総評するとホラー映画に出てくるような幽霊城のような感じだが、今は日が昇っていて不気味な雰囲気は薄れている。朽ちかけの世界遺産を歩いている、という気分だった。

 一通り案内した奈月は、見せたいものがある、と外へ出ていく。城内をぐるりと回った裏手には城に併設されるようにできた倉庫があった。その倉庫だけは城と作りが違っていて、後で増設されたものだと一目でわかった。

 倉庫はやたらと天井が高く、重厚そうな大きい扉で閉じられている。奈月はその扉の隣にある、人一人が通れそうなドアを開けて中に入った。誓道も彼女に続いて倉庫の中に入る。


「――祭器?」


 倉庫に入って開口一番、誓道はそう呟いた。

 薄暗闇の中、巨人が片膝立ちで固まっている。プロテクターのような鎧を一定の部位につけ、表面がゴムのような質感の巨人――決闘祭用の人型機動兵装、その名は祭器ザイン

 機体色は黒で染められている。倉庫が薄暗いせいで、祭器の全体像はどこかぼやっとしていた。

 倉庫内には祭器一体だけが置物のように待機している。エルフ王国で見たような設備もあるにはあったが、倉庫の面積はほとんどが祭器一体で占められていた。かなり天井が高く広い場所だったが、それでも8メートルの巨人を入れておくには少し物足りない。


「誓っちさ。こういうロボット、エルフ王国で扱ってたんだよね? 乗ってた?」


 奈月が祭器に近づき、黒い装甲をぺたぺたと触る。誓道は頷きながら、彼女の隣まで進んだ。「ええ、まぁ」


「そのためにエルフ王国に連れて行かれたので……その、中村さんも、祭器に乗って戦うためにヴァンパイア王国へ連れてこられたんですか?」


 引き取り手がなくて牢屋に入れられていたところをこの国の王に引き取られたと、奈月は言っていた。奈月はFP値が0.1しかないので決闘士の素質はほぼないに等しいが、それでもこの世界の住民が人間を連れ帰る理由なんて、決闘士にするためとしか考えられない。


「そーなんだけど……うーん」


 返事をした奈月は腕を組み、誓道の方を向いて眉根を寄せた。


「硬い」

「硬い?」


 装甲のことだろうか、と考えたがすぐに「誓っちの呼び方がさー」と言われた。


「中村さんとか言われんのなんか、ハズい。連れからはなっちとかナナとか言われてて、あんま苗字呼びされてなかったのね? だからぞわっとするっていうか。あ、ナナってのは中村奈月だから短縮してナナね。なんかジョジョみたいで面白いっしょ」


 少年漫画を読むんだ、と意外な点が気になった誓道だが、すぐに手を振る。要は同じように呼べということのようだが、とんでもない。


「それは友達同士だから、じゃないですか」

「んー? 友達じゃない人からも言われてたけど? その場で出会ったばっかの男の人にもなっちゃーんとか言われてさ。誓っちはそういう感じじゃない人?」


 その光景は容易く想像できた。ギャルの周りに集まる人はやっぱりノリが良いのだろう。住む世界が違うというやつだ。むしろ比較されて、ナヨナヨした奴だなとか思われていないだろうか。


「てかさ、誓っちってあたしより年上でしょ? 同い年には見えないし」

「ええと、今年で二十二、です」

「あたし十八でぇす。よろしくお兄さん」


 そう言って奈月がピースをする。こういうときもノリの良い男は合わせてはしゃぐのだろうか。真逆の人生を辿ってきた誓道は、半笑いすることしかできない。


「年下に敬語とかダルくない? あたしタメ語で全然いいっていうか、あたしがもうタメ語だしさ」

「それは、何かそういうのが慣れてる、から……」


 誓道は口ごもる。本当のことを言えば、誰に対しても敬語しか使えないのだ。

 親しげに誰かと話すのが苦手だった。どういう風に打ち解ければ良いのかまるで分からない。祖母の介護や家事に追われているうちに同級生とまともに友人関係を築けなくなって、そのままだった。


「そっか、誓っちがいいならそうしよ」


 そんな誓道の悩みには気づいた様子もなく、奈月はとけろりと納得する。詮索されなかったことには少し安心する。


「でもねー。中村さんはヤだなあたし。せめて名前呼びにしてくんない?」

「うっ……き、気にしないでってお願いしても?」

「むり」


 ズバッと退路を絶たれた。誓道は指を絡め視線をそらしながらも、覚悟を決めるしかないと悟る。


「で、では……奈月、さん」

「うーん、もう一声! なっちゃんとかさぁ!」

「むむむむむむりっ!」


 ぶんぶんと首をふる。女子の名前をちゃんづけで呼ぶなんて、言うたびに心臓が持たない。

 誓道の慌てぶりを見た奈月はけらけらと笑う。


「あははは、なーんでそんなことが無理なの。おっかしい」


 ドキリと胸が跳ねる。屈託なく笑う彼女の笑顔がとても可愛らしかった。


「ま、しゃーなし。さんづけで許してあげる」

「あ、ありがとうございます」

「ふふふ、ほんと変わってるね、おにーさんなのに。ってまーた脱線してるわ。あたしほんとお喋りでさ、考えたこと全部口から出ちゃうんだよね」

『その通りだ。貴様はもう少し理性というものを身に備えるべきだろう』


 誓道はギョッとして、弾かれたように周りを見回した。

 今の声は奈月ではなかった。くぐもってはいたが、成人男性の声だ。

 しかしこの倉庫に自分以外の男は存在しない。一体どこから?


「あー、ブラッち。また使い魔越しに覗き見してる。そういうのプライバシー侵害だからやめてって言ってんじゃん」


 奈月が倉庫の天井あたりを睨みながら、なにかに話かけた。

 誓道は視線を追って目を凝らす。

 天井の柱付近に、赤い丸が二つ浮かんでいた。

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