07 少女は試着室で想う①
「どうしたのよ、その服。イメチェンするなんて聞いていないわよ」
やってきた茜の恰好にそんな指摘をしたのは紫苑だった。次いで響子が「茜ちゃん、可愛い~!」とはしゃぎ、朋香は紫苑と響子の温度差に戸惑っていた。そして紫苑はそんな朋香の様子でやっと、自分の反応が称賛ではなく私怨じみたものだと気がついた。「まぁ、似合っているけれど」と渋々、紫苑は茜に言う。それを受けて茜は苦笑いをして事情を説明し始めた。
「いやぁ、昨日からうちに、出戻りの従姉が泊まっていてさ。あたしを朝から着せ替え人形にして遊んでいたんだよね。無駄に服持っていて、あたしと体型も変わらない人なんだ。それで、今日は友達との約束があるからって話したら、じゃあこれ着ていきなさいよって。いやいや、花柄ワンピースとか趣味じゃない、似合わないって言ったんだけどね。メイクもしてあげるからって。そんで、まぁ、押し切られちゃって……はは、紫苑、なんかごめんね」
いつも以上に饒舌で、そして恥ずかしさもあるのか照れも含んでいる茜。その目は紫苑に向けられていた。今一度、紫苑は茜を上から下まで見てみる。黒地に散りばめられた小花柄のワンピース、真っ白な襟が上品だった。Aラインの長めの丈を着こなしている茜を見るのは初めてだった。そこからのぞく茜の引き締まった脚を、去年の夏に見た太腿丸出しのショートパンツ姿のときよりも直視するのを躊躇ってしまう。
「謝らなくていいわよ。そのパンプスも従姉さんの?」
「あ、気づかれちゃったか。これは自前。買ってみたはいいけど、履いていなかったやつ」
「いつもはスニーカーだもんね。ヒール、慣れていないと歩きにくいんじゃない?」
「それなら問題ないよ、ほら。高さ全然でしょ。キトゥンヒールってやつ」
「へぇ。……その髪は?」
「紫苑、めっちゃ聞いてくるじゃん」
「後学のためにね。……似合っているわ」
「さっき聞いたよ!」
茜はにひひと笑った。紫苑の第一声を気に留めていないようだった。それで紫苑はほっと胸をなでおろした。いきなりムードを悪くするところだったと反省した。
茜のショートボブヘアをアレンジしたのも従姉であるらしかった。後ろ髪をツイストに編み込んでいる茜を目にしたのは初めてで、そういう意味ではその日の茜もまた紫苑にとって新鮮そのものだった。
響子がうふふと近づき記念に写真撮っていい? とせがむのを「あー、ダメダメ、そういうのは事務所を通してねー」と笑って受け流す茜だった。
「こう並ぶとさ、紫苑浮いちゃう感じ?」
とくに目的の店を決めずにぶらりと歩きだして数分、茜が何気なく言った。それは紫苑が思っていたことでもあった。
「コーデだけ見たらそうかもね。紫苑ちゃん以外の三人がスカートだから」
しかも全員、丈の長め。色合いも落ち着いていているのも共通している。だから浮く。初夏らしくミニスカートでも履いてきなさいよ、と紫苑が言えるとしたら茜だけだが、その茜のスカート部分が今日は最も長い。
「朋香はイメージどおり、お嬢様っぽい服装だね」
「お嬢様だなんて、そんな……五月にしては気温も湿度が高いからもっと薄い生地のを、って思いもしたんだけれど、それはまだ肌寒いかなぁって」
「気候とファッションは時に相容れないのだ」
「茜ちゃん、ファッショナブル~」
「くるしゅうない」
「なんで偉そうなのよ」
けらけらと茜が笑う。この快活少女は歩き方が服装に追いついていない。一方、響子は歩調からしておっとりとしていて品位がある。朋香はその中間。新しい友人と遊びに出かけている事実に緊張している様子もあった。紫苑としてはさりげなくリラックスさせたかったが、前述したように立ち位置のせいもあって直接話しかけるのがうまくいかない。
「よし、わかった」
「何がよ」
「なになに~? 茜ちゃん、悟り開いちゃった?」
クラスメイトの男子相手には言わないであろう冗談まで口にする響子。上機嫌だ。朋香は黙って茜の次の言葉を待っている。
「紫苑の服を選ぼう。うんと可愛いやつ」
「は?」
「茜ちゃんって天才だと思う」
「なんで響子は急に真顔なのよ」
「というわけで、第一回中野紫苑最強コーデ対決ーっ、開幕っ!」
「わ、わぁー……?」
よくわかっていないまま、朋香が盛り上げようとしていた。それだけで胸がいっぱいになった紫苑は、茜への文句をダラダラと連ねる気が失せた。
言いだしっぺの茜であったが、自分の好みではない服について、お店のことは詳しくない。よって響子のアドバイスを得て、謎のコーデ対決の大まかなルールが決定されていったのだった。
それにしてもコーディネート勝負か。バラエティー番組だったり、漫画やアニメで見かけはするが実際にするもんだなと、僕がそう言うと、紫苑に「ファッション情報発信系の動画配信者漁ったら誰かしらいつもやっているんじゃない?」と返される。紫苑がその手の動画を視聴しているのが意外であったが、よく考えずとも高校二年生女子なんだよなぁとしみじみ思う。
「でもさ、紫苑。話の腰を折るつもりはないけれど、そのコーデ対決、僕には既に勝敗がわかっているんだが。だって最初から西原さんが圧倒的に有利だろ」
「そうね」
「そっけねぇな。番狂わせもなかったのかよ」
「ないわよ。ネタ全振りの謎Tシャツを勧められたとしても、こじつけて優勝にしていたわよ」
「こういうのも八百長試合って言うのか」
「黙って続きを聞きなさいよ」
「はいはい」
響子が紫苑に予算を確認する。そしてモール内でレディースファッションのお店が集まっているエリアへと向かう。出入りを繰り返すのも不審かな、と話し合った結果、並んだ二店舗のどちらかを選び、そこで選ぶルールにする。紫苑は茜たちに試着を求められたらそれに応じなければならない。休日であるため客数が多く、従業員が紫苑たち各々に付く気配はなかった。
実質的に、響子と朋香の一騎打ちであるだろうな、と紫苑は考えていた。茜は彼女自身のファッションに人並みにこだわりがあるのを知っている。けれど、たとえば紫苑と二人で街中を歩いていて、通り過ぎていく人々のファッションについて茜がコメントしたことなどまるでないのだ。他人のコーディネートに無頓着な茜が有利なわけがない。さらには、響子が選んだ店舗というのは茜の本来の趣味であるファッションの傾向と重ならないアイテムばかりだ。茜について紫苑が危惧するとすれば、茜が従姉にされたように、紫苑を着せ替え人形にして遊ぶということだけだった。
コーデ対決が始まり、共用通路に置かれたソファに腰掛けて待つ紫苑。スマホをいじっていても五分経つのが遅く感じた。そして八分後に、ようやく最初の試着を求められた。相手は響子だった。
「茜ちゃんたちには悪いけれど、この勝負貰ったよ」
勝ち誇った笑顔で、紫苑の手を引っ張る響子に紫苑は「ああ、うん」としかリアクションできなかった。どうしてこうテンションが高いのか。学校での彼女は紫苑が知らない
「私の見立ては間違っていなかったみたいね」
着替え終わり、カーテンを開いて披露する。うんうんと深く頷き、したり顔をする響子。今日は響子のいろんな表情が見られるなぁと感心する紫苑をよそに「ほら、くるっと回ってみせて」とやはり真剣な口調で言う響子だった。
「スリット入りのスカート、初めて履いたわ」
「セクシーでいいでしょ。紫苑ちゃんっぽい」
「大人っぽいって解釈でいい?」
「セクシーはセクシーだよ~」
「上は上で、袖が変に長くて動きづらいんだけれど……」
「そういうデザインなの! ゆったりしたシルエットがいい感じでしょ?」
「これだったらノースリーブのほうがいいかな。今は寒いけどさ」
「ええ~? たしかに、紫苑ちゃんだったらそっちもありかぁ。リトライするね」
「う、うん。ねぇ、響子」
「どうしたの?」
「もしも選んであげられなかったらごめんね。でも、気持ちは嬉しいよ。ほんと」
響子はきょとんとして、それからぷっと吹きだした。そこからさらに、くっくっくと店内ゆえに笑いをこらえようとするが、無理そうだった。この子は案外、笑い上戸なのだと紫苑は知った。茜はそういう面を知ってか知らないでか、友達になったのかもしれない。あの子はもちろん、あの子の周りの子ってよく笑うから。そうした観点からすると紫苑は例外。それと……朋香はどうなんだろう?
「今のってまるで、告白してきた子を振るみたいだよ! もうっ、紫苑ちゃんは何様なの~、なんて。ふふふ」
「へっ!? え、あ、そういうんじゃなくて! ただ、あまりに楽しそうだったから、でも予算の都合もあるし、買うかどうか決められなくて、いちおう勝負なわけで、だから、その……」
「ふふっ、紫苑ちゃんはいい子だね。そういうとこ、好きだなぁ」
好きと言われて紫苑はぎょっとした。刹那、そういう意味合いではないとわかってなお、動揺してしまった自分自身に動揺した。告白だとか、好きだとか。平然と口にできるのは、響子が紫苑に対して友達以上の特別を感じていないからだ。紫苑はそう結論付ける。それが「普通」なのだ。
もしも、と紫苑は仮定する。朋香にあの夕暮れの教室に出くわさず、今日を茜と響子と自分の三人で過ごしていたのなら、今の響子の一言にたとえば「私も楽しそうにしている響子が好きよ」と返していたのだろうか……?
元の服に着替え直した紫苑。響子は「もう一回選んでみるね」と言って離れた。曖昧な返事をよこしてから、紫苑は店内を歩いてみた。じっとしていられなかっただけで、吊り下げられている服も、折り畳まれた服も意識に入っていなかった。
やがて茜が紫苑を呼びつける。茜は響子とはべつの店で探していた。
茜が選んだのは、白色がベースのクラシカルでレトロ調なワンピースだった。パッと見て茜が今日着ているワンピースと対照的。スカート部分の丈は紫苑のほうが短い。
「いいじゃん」
「うん。茜にしてはいいセンスね」
「じゃあ、あたしの優勝?」
「どうかしら」
茜の選んだワンピースはよく自分に馴染む、紫苑はそう思った。センスと口にしたけれど、おそらく他の二人と比べて過ごした時間の長さあっての結果だと感じた。悪くない。二人きりで来ていたのなら、予算に合えば買ったかも。
「あのさぁ、紫苑」
「うん?」
試着室、鏡を見やっている紫苑はその鏡越しに背後にいる茜の表情を目にしていた。ふと、その笑みがぎこちなくなる。そして、すっと茜が靴を脱ぎ、試着室へと入ってきた。そこにもともといた紫苑は「ぎゃっ」と小さく声をあげる。思わず手で自分の口を抑える紫苑。茜が後ろ手でカーテンを閉めた。
「何か悩みでもあるの?」
優しい友人は笑みを形作りながらも、紫苑にそう訊くのだった。いつもは引かれていないアイライン。その目つきが心配そうにしていた。
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