06 少女たちはショッピングモールに集う

 ショッピングモールで紫苑の隣にいたのは専ら茜だったそうである。

 四人横並びで茜が紫苑と松島さんを両脇に連れ、西原さんは松島さんの隣にいた。紫苑の側ではなく。

 僕は女子高校生四人が横並びでモール内を練り歩くのを想像する。ありふれた光景だ。うん。邪魔だなぁって。共用通路はその名のとおり共用されるべきであり独占されてはならない。四人で埋まってしまう狭さの通路は少ないといえばそのとおりなのだが、休日に人ごみが多い場所でそれはやっぱり差し障りあるのでは……そんな心底どうでもいい文句は言わず、僕は彼女の休日の報告を黙って聞いていた。


 連休の二日目が彼女たちの約束の日だった。

 午前十時前。天気が悪かったこともあり、紫苑はバスでモールへと向かった。駅近くではないのである。そして全員が小中学校が別で、住んでいるところもバラバラだったため、バス停で待ち合わせはしなかった。モール一階の西出入り口で落ち合う予定だった。

 だから紫苑は普段乗らないバス、おそらく平日の通学・通勤時のピークよりはましであっても十分に乗客が多く息苦しさをも感じるその中で、松島さんを見つけた時に驚いた。

 メイクをしているが学校でのそれと大差ない。いわゆるスクールメイクの延長線上。そんな彼女と目があったものの、立っている人が多い車内で人をかきわけて彼女の元にいくまではしなかった。松島さんと一対一で話した経験がほとんどない紫苑にとって、その混雑した状況が彼女と話さないで済む正当な理由になった。紫苑は癒し系の彼女を苦手としていたのではなく、単にその日、頭の中はいかに朋香と仲良くなるかでいっぱいであったため、万一でもぼろが出るのを避けたかったのだった。

 より踏み込んで言うなら、ただ友達として仲を深めたいのなら、松島さんの助力を得る方法もあっただろうが、紫苑が抱えている想いはむやみに周囲に知られて好ましい種ではなかった。

 しかも紫苑自身がその想いに決着をつけていないのだからなおさら。


 いくつかの停留所を過ぎ、人の乗り降りの結果、紫苑と松島さんの間に道ができた。そして紫苑たちと同様にモールへ行くための人々が乗り込んできて、紫苑は自然とその道を奥へ奥へと進み、松島さんの元へと行きつかなければならなかった。

「おはよう」と松島さんが紫苑を笑顔で迎えた。紫苑は挨拶を返して「雨になっちゃったね」と無難な話を振った。それから話してみてわかったことには、松島さんは紫苑が通っていた中学校の校区のギリギリ外側に暮らしている子であり、紫苑とは住まいがわりと近かった。


「そうなんだ。でも、松島さんと登校するときにいっしょになった覚えってないね。自転車通学……ってのはないと思うから、ひょっとして車で送り迎えしてもらっているの? ああ、あとは単純に電車が私が乗っているのより一本早いか遅いか、か」

「たぶん私が遅いの。ここだけの話、朝は弱くて。なかなか起きられないんだ。たまに寝坊しちゃって、パ……父に車で送ってもらうこともあるの」


 照れたように笑う松島さんに、紫苑は後ずさりする心地だった。ぽわぽわとした美人で朝が弱いだなんて。可愛い女の子というのはこういう生き物を言うのかと。着ている洋服にしても、自分のように迷った挙句のデニムにTシャツとは違い、ブルー系のパステルカラーのトップスに明るいトーンのベージュのフレアスカート、全体的にフェミニンな雰囲気をした恰好だった。

 僕は試しに紫苑に「松島さんに惹かれはしないの? 西原さんみたく」と訊いてみた。躊躇いなく「ないない。今のはただ女子としての羨望。負けたって思っただけだから」と返ってきた。


 紫苑は松島さんが茜と仲良くなった経緯を訊いてみた。知りたくなったから、というより、共通の確かな友人というのは茜しかおらず、そこへと話題が向くのはいわば必然だった。


「茜ちゃんってバドミントン部でしょ?」

「うん。ゆるめのやつ。連休中どころか休日に一切練習がない運動部。うちと同じで人数がいるから同好会に格下げになってないみたいだけれど」

「二年生になって何日かしたときにね、茜ちゃんが私の席にきたの。それで『松島さん、運動不足?』って」

「突然過ぎない?」

「だよね。びっくりしちゃった。なんかね、一年生で新しく入るって言っていた子が、わりと本気でバドミントンやりたい子で、部内の空気に合わなくて……あ、えっと、その子は直接関係ないんだけど、そのとき茜ちゃんが私を誘ってくれたの」

「誘い方がジムみたいなのはともかく、松島さんってもともと合唱部でしょ?茜から聞いた」

「うん。それでやんわりと断って。『そっか、じゃあ今度遊びに行こうよ』って」

「あー……それってバド部の話よりそっちが本題だったパターンね」

「そうなの?」

「誰にでも、ってことはないけれど、茜ってこの子ほうっておけないなぁって思ったら話しかけるやつだから……私が言うのも変な話か。ようは一目で気に入ったんでしょ、松島さんのこと」

「そうなのかな。ふふっ、そういうの嬉しい。えっと、中野さんもほうっておけない子だったの?」

「え? あ、うん。まぁ。私のことはいいよ。そういえば――――」


 紫苑はその後も目的の停留所にバスが到着するまで松島さんと立ち話をぽつりぽつりと続けた。「松島さんは話しやすかったわ。いい匂いだってしたし。全人類の三割強が彼女のような人であればいいのに」と紫苑は言う。残りの割合、その内訳にたとえば西原さんや茜、それに僕はどう組み込まれているのだろうか。


 そしてモール敷地内にある停留所、屋根がある場所へと二人は降りた。


「こういうの茜ちゃんだったら得意なんだろうなぁ」


 不意に松島さんが独り言を口にする。小首をかしげる紫苑に松島さんは「よかったら」と話した。


「私のことは、響子って呼んでほしいな」

「え? マジか」


 反射的にそんな言葉が紫苑から出た。そうきたかー、と。呼び捨てを頼むのが慣れていないのが一目瞭然のもじもじとした素振りをしている松島さん、その上目づかいに対して紫苑が返答を保留していられる時間は長くなかった。それはそうだ。特殊な事情でもない限り、ここで拒否することがあるだろうか。いや、特殊な事情ってたとえばなんだ。偶然、身内に同じ名前の人がいるからなんとなく嫌だとか、元恋人を寝取った女の名前だとか、そういうのか?


「い、嫌だったら今のままでもいいよ?」

「嫌だなんてそんな。きゅんとしただけ。本当よ。罪な子なんだから。ええっと、これからよろしくね、響子。私のことも紫苑と呼んで」

「ありがとう、紫苑ちゃん……!」


 二人は笑い合った。内心、穏やかでなかったのは数秒だけだった。紫苑は気を取り直した。そうよ、これでごくごく自然に西原さんのことを呼び捨てる機会がめぐってくるに違いない、と。そもそも前もって許しを乞う必要だって実はないのだ。まるで最初からそうだったように「朋香」と言ってしまっていいはずなのだ。そこでまさかあの子が「名前で呼ばないで」と明確な拒絶反応を示すなんてありえない。微妙な表情で「あっ、はい」って返されるのが怖くはあったが。


「と、ここまでが前置きなのよ」と紫苑は僕に言った。ショッピングモールへと行く前にバスで松島さんと出会って仲良くなった。お互いに名前で呼び合うようになった。それだけである。前置き、長くない?


「私と響子は西入口まで移動したわ。雨が降っていたのもあって、中に入ってすぐ近くにあった木のベンチに腰掛けた。スマホで確認すると、茜は少し遅れるかもしれないって話だった。一年生の頃からの付き合いだけれど、あいつが待ち合わせ時間の五分より前に来た試しなんてない。二十分以上の遅刻をしたこともなかったから、とくに心配しなかった。それよりも……わかるでしょう?」

「西原さんのこと?」

「そう、そのとおりよ」


 メッセージアプリのグループチャット上で、朋香がもうすぐ到着するのを簡潔に皆に伝えていた。朋香は連休前に学校で、転校してきた直後に家具や電化製品の一部と雑貨類をそのモールで買い揃えたと話していた。それでも毎日通っているわけではないし、西入口というのがどこか迷いはしないだろうか、と紫苑は心の内でお節介をやいていた。「紫苑ちゃん、そわそわしているね」と響子にくすくすと笑われてしまった程度にだ。

 そうして入口の外、ではなく内側から、つまりは勝手に外から来るだろうと思って紫苑が見やっていた方面とは逆から朋香が来て「おはよう、ふたりとも」と声をかけたとき紫苑は「わっ!?」っと飛び上がった。響子が笑いをこらえようとするも、失敗して吹きだしてしまった。


「紫苑ちゃんってば、そんな、ぴょんって、ふふふ……」

「だって!……ん、ん。お、おはよう」

「ごめん、驚かせちゃって」

「ううん、大丈夫。えっと――――新鮮」

「新鮮?」

「ふ、服が」

「ぷっ……紫苑ちゃん! 新鮮ってそんな、お魚やお肉じゃないんだから、『私服姿が』でしょう? ふふっ……朋香ちゃん、よく似合っているよ♪」

「ありがとう」


 紫苑は愕然とした。響子のにこにこ笑顔に悪魔をみた。いつの間に、この子は西原さんを名前で呼んでいるのだと不思議がった。どんなに記憶を探っても、彼女が西原さんに対して、名前を呼んでいいかと断りを入れているのを目撃した覚えはない。だとすれば、事前、すなわちつい先日、私が茜たちに声をかけられる以前から西原さんと響子は友人だった……? 疑惑が一瞬にして紫苑の脳裏を駆けた。


「あ……ごめんなさい、気に障った?」


 うってかわって、おそるおそる響子は紫苑の顔色をうかがった。紫苑の表情がこわばってしまった原因を彼女が知る由もないだろう。


「えっ、ううん、そんな。ただ、私も可愛い服着てきてよかったかなーなんて、あははは」

「紫苑ちゃんはそのままでも可愛いよ。それにそれだと茜ちゃんが浮いちゃうんじゃない? 茜ちゃんってカッコいい感じのお洋服が好きなんだよね」

「そうそう」


 紫苑が肯く。彼女が想い人たる朋香と会うというにもかかわらず、ラフな格好を(迷った末に)選んだのは茜の存在が大きい。響子は「カッコいい感じ」とふんわりとした表現で済ませたが、茜のファッションというのはおよそフェミニンとは遠く、本人曰くロックである。「お兄ちゃんにファッションの話を掘り下げたってしかたないよね」と言って紫苑はそれ以上は語らなかった。いずれにせよ、そんな茜と遊ぶ時は紫苑もいっしょにいてバランスの悪い恰好をしない。最初はそうでもなかったが近頃はそうしている。そのほうが楽だから。合わせたいわけではなく、気分の問題。

 僕は、好きな服着たらいいじゃんと思ったが紫苑に噛みつかれても嫌なので口にしなかった。

 そんなわけで、西原さんと会うための勝負服を着ていって茜に変に思われるのを避けるため、というのがその日、紫苑がフェミニンでもロックでもない服装をしていた主たる理由である。

「それ以外もあるんじゃないか」と僕が追及してみると「あの子の好みわからなかったし」といじらしく呟く紫苑だった。あの子というのはもちろん朋香のことだろう。


「で、西原さんはどんな服装していたんだよ」

「は? キモ。そんなの教えるわけないでしょ」

「ひどっ。松島さんの恰好は普通に教えたじゃねぇか」

「それはそれでしょ。ま、百聞は一見に如かず。今度会ったときに写真見せてあげるわよ。タダじゃないだけれどね」

「写真、頼んだどおり撮ってくれたんだな?」

「みんなでね。てか、お兄ちゃんのためじゃないし」


 画像を添付して送ってくれれば、と思ったが申し出ても却下されるのは火を見るよりも明らかだった。僕だって切望してはいないが。


「話を戻すけど、紫苑は西原さんの私服姿にドキッとはしなかったのか」

「したわよ。……したからこそ、すぐに響子のほうに視線を逸らさないといけなかったわ」

「うん?」

「ずっと見つめていたくなったのよ。でも、そうしたら引かれるでしょ、わかりなさいよ」

「ああ、うん、そうだな。それでその後は?」


 予定を五分過ぎて茜がやってきた。許容の範囲内だ。ちなみに十分の間に紫苑が朋香を名前で呼ぶには至らなかった。


「――――茜はその日、なぜか可愛くおめかししていた」


 紫苑は恨めしそうに僕に言った。

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