05 少女はその花の名前をまだ呼べない
結論から言う。僕の考えたプランはいずれも採用されなかった。
「お手本のような高校生の休日の過ごし方だわ」
午後七時。紫苑は開口一番にそう言った。電話越しであるから、どんな表情をしているかわからなかったが――――かと言って紫苑がビデオ通話をしたがったことは一度もない――――その口調はどこか不満気だった。夕食をとったばかりの僕のデザートとしては甘くない。
同級生四人で遊びに出かける計画になったのだという。発案者は、朋香を誘えずに連休前日の放課後を迎えてしまった紫苑ではなく、紫苑の友人だった。
「最初に、ショッピングモールに行くの。ここら一帯の中高生がこぞって休日に出かけるようなね。そこでぶらぶらして、お店を見て回って、ゲームセンターなんかにも行きたいって言っていたわね。でね、次はカラオケ。モールの中にはないのよ。そういうのって営業時間の関係なのかもね。ああ、それとモールの中で映画を観るのもいいかもって。特にどれを、って決めていないみたいだけれど」
紫苑はその友人が計画してくれた休日の過ごし方というのを話した。嬉しそうではない。
「ショッピング、ゲーセン、映画、カラオケ。聞く限り悪くない。それどころか最高に無難だと思うけれど?」
「なによ、最高に無難って」
「焼肉屋でまずはタン塩から入る、みたいな」
「知らないわよ。いや、知っているけれど。そんなの好きなものから食べなさいよ。ってそんなのはどうでもいいの」
「西原さんが乗り気じゃなかったのか? 人ごみが苦手なふうだったとか」
「それよ。そういう気遣いをね、私はしたかったの。なのに、茜ったらとんとん拍子に進めていくわけ。『西原さんもそれでいいかな?』って聞くには聞くけど、あんな満面の笑みで言われたら、おとなしめの西原さん、何も言えないって。人ごみは苦手なんじゃないかな、たぶん」
西原さんが大人しい子なのか僕はいまいち掴めていない。夕暮れの教室で窓の外を眺める系女子っていう認識。ああ、あと絵に関心がある。
「その茜って子を紫苑が止めればよかったんだろ」
「できればやっている。いい? 帰りのHRの後のことよ。私の意識はね、茜と松島さんが遊びに誘いに私の席まで来るまで、西原さんにあったの。やば、声をかけないとって。もう放課後じゃんって。お兄ちゃんの協力を無下にするのも嫌だなぁって」
「そりゃどうも」
「それで、視線もそっちに向いていたんでしょうね、西原さんに。茜がその視線を辿ったのか、平然と彼女に声をかけたわけ。信じられる? その日一日この私が声をかけたいと悶々としていた彼女によ? そのときの私は間の抜けた顔していたに違いないわ。かなり。で、西原さんは西原さんで何の疑いもなしに話に加わるし」
「不審に思われているほうが嫌だろ」
「…………はぁ。あのね、お兄ちゃん。それでも私はね、茜に感謝しないとって途中までは思っていたの。あの子に助けられたことって何度もあるから、進級してクラスがまた一緒になったときは安心したわよ」
「無遠慮に西原さんを誘って遊びの計画を立てたのがそんなに頭にきているのか? ふたりきりでなくても遊びに―――」
「ちがうのよ」
急に声のトーンを落とした紫苑に僕はつい口を閉じた。何が違うのか判断がつかなかった。
「どんな形であれ、連休中に西原さんに会うという最低ラインは達成されたわ。連休なのだから、遊びに行った際に、うまくタイミングを見つけて明日はふたりで会わない? って誘えるし、それはそれでいいのよ」
たぶん誘えないんじゃないかなと思う。四人で遊びにいって仲がどれだけ深められるかに依るけれど。
「じゃあ、何にそんなにイライラしているんだ?」
「していない。不服ってだけ」
「何がだよ」
「名前よ! 茜……あいつ、遊びの打ち合わせが終わってから、西原さんにさらっと言ったのよ。『そうだ、朋香って呼んでいい? あたしは茜って呼んで。そのほうが友達っぽいでしょ』って。で、西原さんも『うん』って」
「へぇ。それで紫苑は? 朋香って呼ぶことになったの?」
「呼べるか!」
呼べよ。絶好の機会だろ。そこは波に乗っておけよ。
僕は喉元まで出かかった言葉を慌てて飲みこんだ。乙女の純情を鑑みて。最大限、考慮して。というのは嘘で、単に紫苑を怒らせてもうるさいだけだと思ったからだった。
「想像してみなさいよ。その二人が名前で呼び合う傍らでさ、ぶすーっとしている私のこと」
「そこは笑顔でいろよ。にこにこしていれば、西原さんだって声をかけてくれるんじゃないか」
「私、そういうキャラじゃないんで」
「えぇ……」
「それを言うと、松島さんはすごいわよ。ほとんど話し合いに参加していないけれど、彼女が微笑んでいるだけでその場が和むから。癒し系ってああいうのを言うわけね。茜が手元に置きたがるのも頷けるわ。男子からは高嶺の花っぽい扱い受けているし。でもさ、ああいうのって怒らせたらめちゃくちゃ怖かったりするのよね」
偏見なのでは。苗字で呼んでいるあたり、紫苑とその松島さんはさほど仲がいい間柄でもないのか。茜という子については思い出してみれば紫苑から何度か聞いた名前である。
意中の先輩に振られて自暴自棄になってそれまでつるんできた子たちと不仲になってから、成り行きで紫苑と友達になったのだとか。要約するとなんてことない話なのに、たしか当時の紫苑は真剣に悩んでいたっけ。茜のために。根が優しくて臆病だからな、紫苑。自分の弱さを知られまいとツンツンしちゃっている系女子ってやつか。
……なんでもかんでも「系」ってつければいいってもんじゃないな。
「呼称ってそんなに大事か?」
「たとえば私がお兄ちゃんのことをお兄様って言いだしたらどう」
「何か欲しいものがあって、ねだろうとしているのかなーってなる」
「人をなんだと思っているのよ」
「なぁ、仮に西原さんから名前で呼んでほしいって頼まれたら呼ぶんだろ?」
テンパって断る未来もあるような、ないような。意識しまくっているようだからな、西原さんのこと。
茜や松島さんに変に悟られて困ってしまう展開も思い浮かぶ。
「それは……呼ぶわよ。もちろん。でもさ、変な感じにならないかな」
「つまり?」
「妙に熱っぽくなって、なにこいつって思われないかな」
赤面しているに違いない紫苑を想像してみると僕もなんだか妙な気分になった。最初からあだ名で呼びたがり、それを受け入れる人間もいれば、親しくなってもずっと他人行儀である人間もいて、距離感って人それぞれだよなぁってありふれた感想に行き着く。そこに恋愛が絡めば、いっそうややこしい。
「なんていうか、恋は病なんだなぁて紫苑と話しているとわかるよ」
「…………でもさ」
「うん?」
「もしもほんとにこれが恋で、だとしたら、それをさ、あの子に知られちゃったら……どうなるんだろうね」
トーンがさらに落ちた。気持ちに白黒つけたい、そう言っていたのは紫苑だ。運命的な美しさだとか、恋だとかについて大真面目に話していたのも紫苑だ。それでも日々の中で、西原さんに声をかけるのを躊躇う、そうしたくでもできないぐらいに自身の想いに惑い続ければ弱気にもなる。そうした戸惑いのなかで、どうにもならない心持ちを恋と呼んでも僕はいいと思う。ひとつの恋の形だと。この際、そこに性愛的な欲求が含まれるかは置いておくことにして。
「僕は気休めしか言えない」
「『気休めはやめてよ』ってなるやつ?」
「まぁ、そうかも」
「……聞かせて、お兄ちゃん」
「紫苑が西原さんに特別を感じたように、西原さんもまた特別な想いを抱いてくれる望みはある」
「一般的に?」
「どんな恋路にも希望があるという点では」
「それっていかにもモテない人間の発想よね、悪いけれど」
「世の中のすべての恋愛が必ずしも冒険でもなければ、ままごとでもない。そして無責任にも僕は信じたがっている。紫苑が幸せになれるのを」
「兄として?」
「そうでありたい」
「気休めでもないよりはマシだわ。ありがと」
そこで通話が切れるものだと予想していた。けれどもそうはならずに、紫苑は呟いた。「会いたくなっちゃった」と。誰に? と問わずに、僕は聞こえなかったふりをして四人の休日が上手くいくよう祈った。
その日のうちに朋香を名前で呼ぶのを目標にしたらと提案もした。紫苑は「善処する」と無機質に返答した。呼べたら何か褒美を出そうかと冗談を言うのは気が引けて、僕はみんなで写真撮ってきてよと次の提案をした。純粋に朋香がどんな子なのか、せめてその容姿を知りたかった。
僕の要求に今度は予想どおり「知ってどうするのよ」と言う紫苑に「どうもしない」と即答する。ただ、これからも相談に乗るのならどんな子なのかを知っておいて損はないだろうと正当化した。これには「前向きに検討するわ」と返す紫苑だった。
「結果はどうであれ報告してくれよな」
「わかった」
「なんだったら直接、様子を探りに行こうかな!」
「絶対やめてね」
「はい」
かくしてその日の電話は終了。
僕は僕で連休中の予定というのを計画したくなった。素敵な出会いを求めて遠出するのも一興かもしれない。ワンナイトラブとか憧れるお年頃だ。紫苑のことが頭にちらつくから、実際にはさほど情熱を燃やせもしないだろうが、しかし出会いを求めて行動するのが大切なのは間違っていない。
気になる子…………いくつか同じ講義をとっていて、数度世間話をした女子学生に声をかけてみれば連休の予定も埋められた可能性があっただろうに、残念ながら声をかけずじまいだった。
しかたあるまい、数少ない友人に声をかけて飯でも食べにいくか。紫苑のために調べるだけ調べてみた美術館もありか? しかしどうなんだ、世間一般の男子大学生(not美大生)は休日に美術館巡りするものなのだろうか。
これは美術館巡りが趣味と豪語する意識高い系女子(not10代)と繋がれるチャンスなのか?
翌日とその翌々日、予報外れの雨に気を削がれた僕はほぼ自室で過ごした。昔から雨の日には弱いのだ。強い人間と知り合った覚えはないけれど。
食料の買い出しに行くことすら面倒だった。プチ断食でもしようかなって思って馬鹿らしくなって最寄りのコンビニには出掛けた。
連休三日目。午後から急に晴れ始めた。
時間の浪費としか言えない昼寝は、カーテン同士のわずかな隙間から差し込む陽光と、紫苑からの電話で終わりを告げた。
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