第10話 返事は不要

「ルード!」

瞬時に天井へ飛ばした鎖を手繰り、手を伸ばした。高まる圧倒的な力の奔流の前には誤差でしかないかもしれないが、その場に留まるよりはマシだ。

レグの腕が思いの外強く掴まれ、慣れた転移の感覚に安堵したのも束の間。カッと目を灼く閃光と共に、轟音が響く。


――転移は、地点を決める必要がある。瞬時の判断が必要な戦闘には向かない。そう聞いていたはず。

視界が変わった瞬間、のし掛かる重みと臭いに目を剥いた。

「お前っ、何やってんだ!」

乱暴に押しのけられ、ルードが微かに呻く。

「……効率が、いい」

どうせ間に合わずに攻撃を受けるなら、一人ですむ方が良い。頑丈な方がいい。理屈は分かるが。

「……立てんだろうな?」

「無論、だ」

呼吸を乱したルードが、脂汗を流しつつ立ち上がる。レグは舌打ちして、最後の回復薬をルードの背中にぶちまけた。足りはしないが、ないよりマシだ。


あれが、ドラゴン・ブレス……掠めただけでこれだ。

だが、凌いだ。奴にとっても大技、連発はない。

……しかし、このままでは。

「ふふ、よくぞ保った。まだ倒れぬか?」

再び魔力が収束するのを感じ、悪態をついたレグが、単身突っ込んでいく。

しかし、短剣は男の腰に刺さったまま。

「くそっ!」

持ち味が活かせぬまま黒の剣に弾かれ、重い追撃を受けきれず吹っ飛んだ。

どん、と背中を受け止められ、すぐさま体勢を立て直す。

「策は、あるか」

呼吸を整えたルードが、いつもの無表情で即座に男との間合いを詰めた。

「そんなもんあった事ねえよ!」

切り結んだルードの足が、ズッと下がる。端正な顔には、玉の汗が浮かんだ。

これ以上、保たない。それは、レグも同じこと。


「ちっ……ルード!」

広い背中から飛び出したレグが、じゃらりと鎖を鳴らした。

「お前は――俺を信じてろ!」

視線をやることもなくそう言い切って、鎖を宙へ舞わせた。

どうせ、これでダメなら終わる。レグは、魔力を全て使い切るつもりで疾風を連発した。

「むうっ?!」

宙で個々にばらけた鎖が、次々弾丸となって男を襲う。

「目ぇつむって突っ込め!」

言われたルードが、微かに口角を上げた。

被弾覚悟で突っ込んだその剣が、裂帛の気合いと共に振り下ろされる。

凌いだものの、男の身体が大きく傾いだ。

「たおれ、ろっ!」

レグの鎌が、その白い首筋に届く。

「――っ!」

ぱっと散る飛沫の中で、レグの顔が歪んだ。首を掻き切る鎌の軌道が、腕一本の犠牲で逸らされたのを見てしまった。

そのまま地面へ叩きつけられる寸前、レグは鎌を投げた――ルードへと。

わずかに散った赤に怯むことなく視線を絡ませ、にっと笑った。

「捕縛、疾風!」

身を捻って体勢を立て直そうとした男が、不自然な体勢のまま、かくりと動きを止められ目を見張る。

血走った視界の中で、男は己の腰に刺さった短剣と石床が、鎖で繋がれていることに気付いた。

――そして、その胸元には、既に束まで埋まったルードの剣があったのだった。


「……残念、だ。も、っと……」

引き抜いた剣と共にごぽりと血を吐いて、男が呟いた。虚ろな顔はそれでも、口角を上げている。

その姿が朧気になり、横たわった巨大な龍の幻影が見え隠れしはじめた。

閉じられた空間が、解放されたのが分かる。

かける言葉は浮かばないが、どこか満足そうな龍の最期を、二人静かに見守って――いるとルードは思っていたが。

「よし、行くか!」

晴れ晴れとした顔で踵を返したレグを、辛うじてルードが捕まえる。

「おい、さすがに……」

ちら、と視線を流した先には、血濡れで泣きそうな顔をした男。未練の余り薄れていた姿が再び濃くなっているような気さえする。


「ぬし……ら。魔王、の……最期だぞ? もう、少し……」

血反吐を吐きつつ途切れ途切れに苦言を呈する男は、割と真面目なタイプなのだろうか。いや、そうではなく。

「……は? まおう?」

「魔王?」

訝しげな2対の視線に、男の方こそ訝しげに顔を歪めた。

「そう、だが……?」

集中する視線に満足したように、その姿は再び薄まり始める。

「待て! 待て待て!! 逝くな、もうちょい耐えろ! 俺の報償金!」

「ほう、逝くなと、言う、か……ならば」

にいっと弧を描いた口元を最後に、男の姿は崩れて光に溶けた。部屋いっぱいに広がった光が、徐々に収束し――

「へ? 龍は?」

報償金を想い、溢れ掛かった涙がピタリと止まる。

二人の困惑した視線が集中するそこには、本来横たわった龍が現われるはずだったそこには、ちょこんと座った灰色の猫がいた。


「「…………」」

紅い瞳で見上げて、にゃあと鳴く。間違いなく猫だった。

猫は、ドラゴンブレスを吐かない。絶対に、さっきまでは龍だったはず。

無言で視線を交わしてみても、状況は動かない。

「……行くか。……鎌、返せ」

疲れた顔で、レグはルードの腰に手を伸ばす。その、突き刺さった鎌へ。

「……痛かったが」

「だろうなあ」

そ知らぬ顔のレグをじろりと睨み、ルードは自ら鎌を引き抜いて止血した。

「ま、上手くいったから良かったってやつ? まさかお前に疾風使えると思わなかったぜ」

「信じろと言ったのではなかったか?」

途端にレグが視線を逸らした。なんせ、ぶっつけ本番の一か八かだ。

「あー、言った言った。俺を信じるとそういうことになんだよ。ひとつ賢くなったな?」

そううそぶいて扉へ歩み寄るレグに、灰色の猫がぴたりとついて行く。

扉に手を掛けようとした時、感じた魔力と共に、またも周囲の様子が一変した。


「なんだ? また転移か?!」

正直、戦闘できる状態ではない。傍らに互いがいることに密かに安堵し、周囲を見回した。どう見ても立派な内装、そして空の玉座。ここは本来、あの魔王がいるべき場所だったのではないだろうか。

そして――扉の外で響く激しい戦闘音。あまつさえ、聞き覚えのある声が響いている気がする。

彼らはちゃんと、生きてここを目指していたらしい。安堵すると共に、あることに気付いてレグの顔色が変わった。

「ハッ?! 魔王、いねえぞ……?! どうすんだよ、報償金! そうだこいつ! これを玉座に座らせれば……!」

咄嗟に猫を抱えたレグに、それは無理があるんではなかろうかと、ルードの冷静な瞳が物語る。


「――はははっ! 儲けものだ。本当に魔王を倒したのか!」

突如響いた声の方へ振り向けば、玉座に歩み寄る黒髪の青年がいた。

猫を抱えたレグの事など眼中にないように、玉座へと腰を下ろす。

「赤龍も青龍もいない。白龍はやる気などない。なれば、魔王は我だ! ふふ、感謝するぞ人間」

うっとりと玉座を撫でる青年に、レグが勢いよくガッツポーズを取った。

「そうか! お前が魔王だ! お前こそ魔王だ!! 間違いない!」

「え? あ、ああ……」

もう、勇者たちが近い。時間が無い。レグはキッと青年を睨み上げて声を張り上げた。

「お前の名はっ?!」

「な、黒龍のイルギ――」

「違うっ!!」

飛来した鎌は、完全に額の真ん中を狙っていた。間一髪躱した黒龍が、怯えた目でレグを見る。

「お前は、魔王だろう?! 唯一無二の魔王、そうだろ? 間違えるな!」

時間切れだ。まくしたてるレグを抱え、ルードが素早くその場を離脱する。それは、勇者一行が扉を開け放ったとほぼ同時だった。



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