第9話 魔王城にて

「――っな?! どういうことだ、これ。お前、どこに転移したんだ? とりあえず……下ろせ」

「俺ではない」

猫の子のごとくぶら下げていたレグを下ろし、ルードが臨戦態勢に入る。

「何だよ、お前が転移したんだろ?」

「違う」

もう一度否定され、レグは不審げに周囲を見回した。暗く、かび臭い石造りの廊下には、ぴたりぴたりと滴る水滴が、ぬめる水たまりを作っている。いずこからともしれない薄明かりで、石壁に幾筋も垂れた黒い染みが見て取れた。どう考えても、ここは洞窟のダンジョンではない。様変わりした周囲は、まるで地下牢のようだ。

「転移、させられた」

「はあ? どこへ」

結局、鍵が出現する予兆ではなかったのか。いや、鍵――? レグの脳裏を、嫌な想像がよぎった。

「まさか、赤龍を倒すこと自体が、強制転移の鍵……?」

それならば、行く先は――。

そんなことがあってたまるか。こちとら、勇者は満身創痍だぞ。思わず視線を走らせ、狼狽える。

「お、おい、勇者たちは?!」

「分からん。が、シールドがある。転移していないか、シールドに包まれたまま全員で転移しているか、だ」

レグは歯ぎしりして歩き出した。びちゃびちゃと通路に足音が響く。ここが地下牢なら、最下層だ。上を目指すだけでいい。

「どこへ行く?」

はわひひいふひかさがしに行くしかへえあおうねえだろう!」

きりっとした顔も、決めたはずの台詞も、全て台無し。

掻き込むように弁当を頬ばり、レグの頬袋ははち切れんばかりだ。ルードは、至極残念な顔でレグの変形した顔を見やったのだった。


「――くそっ! しつこいんだよ!」

振り向きざまにじゃっと放った鎌が、構えられた盾を飛び越え、無防備な背後から奴等を急襲する。いかにも兵士然として武装した魔物たちが、呆気なく転がった。

2人は魔物に見つかった瞬間から、腹を括った。侵入はバレているのだろう。だったら、勇者を探すついでにこちらが目立ってしまえば、勇者らの方には気付かれないかもしれない。または、気が付いた勇者がレグたちを見つけるかもしれない。

ならば、陽動するまで。

荒い息を吐くレグを、ルードが物陰に引っ張り込む。ほどなくして、また別の一団が通り過ぎていった。

青龍様のかたき! と息巻く軍勢は、もしや先ほど苦戦した青髪の男の眷属だろうか。そう言えば、四天王がどうとか言っていたような。


「見つかんねえ! どこだ、あいつら?!」

そもそも、この広い城内で彼らを見つけるのは至難の業だ。じりじりと上階へ進みつつ、レグは焦っていた。

「なあ、万が一魔王にぶち当たったらどうすんだ? 俺らが倒しても報償金入んの?」

ここへ来て揺るがないレグに、思わずルードの膝から力が抜ける。

「……『四天王』がいるんだろう?」

「そうか! そいつらを倒さなきゃ魔王と交戦はねえな?!」

さっき倒したのが一天王だとして、いや、もしかして赤龍も含むなら二天王。なら、残りは大事に取っておけばいい。

そう納得しつつ階段を駆け上がり、手近な扉を開けた瞬間、レグの顔が引きつった。

「ほう、ここまで来るか。我は――」

バタン。思い切り扉を閉じ、何か言いたげなルードを見上げて爽やかな笑みを浮かべる。

「ここじゃねえな!」

踵を返そうとした途端、閉じたはずの扉が大きく開いて、怖気立つような気配が周囲に満ちた。

「に、逃げても無駄だ、我が追う! だがしかし、城内が壊れてはかなわん。とっとと入るがよい!」

なるほど、だからさっきの青龍とやらも、やたら広々した部屋でぽつねんと待っていたのか。四天王も色々あるらしい。

「誰が逃げるか!」

しまったと思った時既に遅し。つい飛び込んだレグの背中に、ルードの視線が突き刺さる。

「よく来たな、勇者よ」

半ば安堵した表情で佇んでいたのは、紅い瞳に銀糸の長髪を垂らした長身の男。さっきの青髪が青龍なら、これは白龍だろうか。

勇者じゃ、ねえけどな?

こそりと呟いたレグの声を皮切りに、2人はまだ何か語ろうとする男へと斬りかかったのだった。


――先ほどの青龍も強敵ではあったが、これは。

戦闘時間は既に、これまでのどの相手よりも長い。

焦げた装備が嫌な臭いをさせ、左肩から滴る生ぬるい液体が、荒れた床へ花を咲かせた。傍らから聞こえる息づかいの荒さが、ルードもまたレグと似たような状況であることを伝えている。

ちらりと背後へ走らせた視線に勘づき、男が笑った。髪を乱し、衣装に傷はあれど、その不敵な笑みは変わらない。

「逃げられんぞ。空間は閉じられた。我が倒れるか、お主らが倒れるか。無粋はナシだ」

ぶわり、と再び膨れあがった魔力に歯を食いしばり、隙間なく飛来した炎の矢を弾いてすり抜ける。ジッと耳元で、脇腹で、音がした。前しか見ないレグの後ろへ、ルードが追いすがる。

「こんの、戦闘狂がっ!」

捨て身で超近接戦闘を挑んだレグへ、男は愉悦の笑みを浮かべて身を躱した。鎌を振るい、短剣を突き出し、鎖が急襲する。トリッキーな武器が生む変則的な猛攻は、レグを冒険者最高峰たらしめるものに違いない。


「良いな、ぬし、良い。楽しかろう?」

掠めた鎌で銀髪が散り、時折淡く紅いラインを刻む。だが、それだけだ。男の白い手が閃き、わずかに避けきれなかった魔の刃が、思いの外大きく脇腹を割いて抜けた。

「ぐ――疾風!」

放たれた魔法の隙間を縫うように投げた短剣が、途端に閃光となって走り、男がわずかに目を見開いた。銀糸がざっくりと断たれ、白皙の面にぱっと紅が散る。

辛うじて避けた男が口角を釣り上げようとした時、背後から金属音と重い衝撃が襲った。

「今のは、ちょっとだけ楽しいかもな?」

男が避けた短剣を鎌で打ち返し、レグがにやっと笑う。

深々と刺さったそれを忌々しげに睨み、男が繋がった鎖に手を伸ばした。咄嗟に短剣と鎖を切り離したものの、その末端はあえなく男の手に捕まった。

「う、おっ?!」

踏ん張った足が簡単に宙に浮き、驚愕に目を見開く。目の前へかざされた手の平がカッと光を帯び、レグの背中を冷たい汗が伝った。


被弾覚悟で、せめてと鎌を盾にした時、禍々しい光が遮られた。

放たれようとした魔法のただ中へ飛び込んで来た背中が、魔法ごとその手を切り払う。

「交代だ」

レグを背中に置き、流れるような剣技がレグのそれと入れ換わった。

「交代はしねえ! お前、そこにいろ」

壁のように目の前にある背中に貼り付き、レグはじゃらりと鎖を鳴らした。


「ちいっ……」

いつの間にか闇を凝らせたような剣で応戦していた男が、ルードの剣を弾いて素早く片手をかざす。

「撃たせるかよ! 魔法がなけりゃこっちのもんだ」

即座にルードの背後から鎌が飛び、鎖が走る。双方凌ぐ間にルードの剣が迫った。ぎりりと歯ぎしりした男が、唸り声を上げて黒の剣を振りかぶる。

「っぐ! 俺、は、盾か?!」

男の一撃は、異常に重い。受けたルードの足が沈むのが分かる。それでも食いしばった歯の間からそんな不満を漏らせるのだから、大したものだ。これをレグが受けるのは、無理だ。

ルードの隙を、レグが埋める。

レグの守備を、ルードが担う。

もはやパーティですらなく、二人分の能力を個として使う。


(くそ、マズイな……)

双方、猛攻を猛攻でいなす。それは一見均衡しているように見え、しかし時間と共に確実に勝敗の天秤が傾いていく。

なぜなら、相手は人間ではないから。その身の内に宿る力は、魔力は、そして体力は人の比では無い。

幾度目かの剣を受けたルードの身体が、微かに傾いだ。そのわずか半瞬の、間。

男が突如開けた口の前に、魔法陣が浮かんだ。

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