第8話 最後の主
「ふーん、ここで『神の雫』入れちまうんだ。どーすんの、魔王城」
最難関ダンジョンの最奥で、豪奢な宝箱に小瓶を収め、ルードは丁寧に蓋を閉めた。ソロであるレグには、売り払う以外価値のないもの。離れた魂すら呼び戻せるという蘇生の霊薬『神の雫』。王家にすら2つしか保管されていないはず。
「しかし、ここで倒れてはそもそも辿りつけん」
二人は通路の奥に視線をやった。間違いなく、このダンジョンの主がここにいる。なにより漂う、この肌を逆なでる気配が雄弁にそれを伝えてくる。
――手出し無用。ここへ来て、初めて下された命には驚いたものの、当然と言えば当然か。彼らは、魔王に挑もうと言うのだから。
ほのぼの勇者のおっとりした笑顔を思い浮かべ、本当に大丈夫かとレグは眉間に皺を寄せた。
あいつらは、ちゃんと育った。だが、本来はお花でも愛でていた方が、きっと似合ったろう。
「心配か?」
低い声が耳に響き、ハッと我に返って睨み上げる。
「別に! ……いや、待てよ? もしあいつらが全滅しても、俺の報償金はなくならねえよな?!」
「さあな」
無慈悲な台詞に、俄然レグが狼狽え始める。
「ちょっと待て、待てよ?! なあ、やっぱついて行こうぜ!」
「だめだ」
「くそっ! 前から思ってたけど、お前って鬼畜――」
皆まで言わせてもらえず、大きな手が口を覆った。そのまま転移が発動し、ちょうど角を曲がった勇者一行と入れ違うように場所を交代する。
じろりと剣呑な目で手を引っぺがして捨てると、レグはそっと彼らの様子を窺った。
「……これは」
宝箱を開けた勇者が、息を呑んで目を見張ったのが分かる。存外、こいつは頭が良い。分かったのだろう、その意味が。
「それ、何? 回復薬っぽいけど……」
拳闘士が勇者の手元を覗き込んで首を傾げる。
「うん……そうだね、これは全てを回復する薬、かな」
「ほう、すごいじゃないか。なら、俺たちがヤバイ時には、まずアウルが使え!」
「でさ、アウルがシャーナを回復しつつ安全を確保して、シャーナがあたし達を回復するってわけ!」
重騎士の男と拳闘士の女が、ぱちんと手を合わせていい笑顔を浮かべた。
「勇者様がいなくちゃ始まらないものねぇ。いざという時は、ちゃんとあなたに使うのよぉ?」
「そうですね。私も、アウル様が使うべきだと思います」
魔法使いと回復術師が、ほんの少し視線に気遣いを乗せて、勇者を見た。2人は知っているのだろう、この霊薬を。
「そんなことには……ならないようにしたいよ。さあ、準備は良い?」
おう、と気合いの入った声を響かせ、一行は通路の奥へと足を踏み出した。
「…………」
ふと振り返った勇者は、しばらく佇んで握った霊薬を見つめていた。
そして、ゆっくり上げた顔に微苦笑を浮かべ、深々と虚空へ向けて頭を下げたのだった。それは、まるでレグたちへ謝罪をするように。
「行ったか……頼むぜ、俺の報償金。ちゃんと生きて帰って来いよ! せめて魔王城まで行かなきゃヤバイだろ」
募る不安を隠すように、レグは軽口を叩いて勇者たちの消えた通路へ姿を見せる。
「……完全に、バレているな」
ため息を吐いたルードが、通路から何かを拾い上げた。何気なくその手元に目をやり、レグの剛毛の生えた心臓が止まりかける。
「ばっ?! な、あのヤロ……?!」
視線の先にあるのは、握られた小さな小瓶。……紛う事なき『神の雫』だった。
「渡さねえと!!」
小瓶を奪って走りだそうとしたレグを、鋼の腕がむんずと掴んで止める。
「もう遅い。勇者の選択だ」
「はあ?! 何を選択したってんだ!」
遠く咆吼と戦闘音が響き始めた通路を、ルードはゆっくりと進む。あくまで、渡しに行く気も加勢する気もないように。
「最後までついて来い、そう言っている」
賢いな、と呟いたルードの瞳は柔らかい。
「なん……」
何か言いかけたレグも、口を閉じて後を追った。最も、生き残りの確立が高い者へ託した。間違ってはいない。パーティ単位ならともかく、個々の能力で言えば、やはりレグとルードに分がある。そして、戦闘に参加しない者が生き残っているのは当然だ。
「重……。魔王城でも頼る気かよ。マジで最後の最後までお守りしろっつってんのか」
レグは、複雑な思いで手中の霊薬を見つめた。
「その霊薬を売れば、相当な金が入るぞ」
ぼそりと呟かれた台詞は、レグの心の内の代弁だろうか。にやりと笑って小瓶をしまい、傍らの男を見上げた。
「冗談。転移持ちに追われる生活なんて、ごめんだね」
肩をすくめてみせると、ルードがぱちりと目を瞬いた。
「……そうだな」
無表情な男が、フッと笑った気がした。
――響いていた戦闘音が、止んでいる。レグは、ハッと顔を上げた。
あれからどのくらい経ったのか。昼夜の差が無いダンジョン内とは言え、丸1日は経過したのではないか。焦燥をぶつけるように通路に近づく魔物を屠っていた2人は、顔を見合わせた。
堪らず駆け出したレグを、ルードが追う。
そっと戦闘の場へ足を踏み入れると、激しい破壊痕が目に飛び込んできた。そして、倒れ伏す数名。
その内、見覚えのない一人の身体がふいに揺らめき、長々と身体を横たえた巨大な魔物となった。
「赤龍、か」
畏怖を込めたルードの呟きが漏れる。地龍などとは違う、魔物の頂点たる四龍の一角。充ち満ちていた魔力も生命も今は抜け切り、ただ骸だけがそこに残されていた。
それは、最難関ダンジョンに相応しい主だった。
「生きてるか?!」
赤龍の前に倒れ伏していたのは、比較するには随分と小さな生き物たち。それらもまた、ピクリともしなかった。
そっと近づいたレグの表情が緩む。魔力はほとんど空でも、生命は抜けていなかった。規則正しく上下する身体に安堵して座り込む。
「赤龍をやるとはなぁ。やれんじゃねえ? 魔王も」
満身創痍の彼らは、それでも満足気に見えた。倒しきった途端、力尽きたのだろう。寝食もなしに戦い続けたのだから。そう考えた時、レグの腹が鳴る。飲まず食わずは、レグたちも同じだ。
「ルード、飯」
当然のように告げると、無言で箱が差し出された。
勇者一行が赤龍と戦闘を始めた後、ルードは一時報告に戻っている。どうやらその時にリリイから受け取った弁当らしい。
「マジで?! 割と気が利くじゃねえか!」
レグが飛びついた瞬間、周囲が大きく揺れた。
即座に弁当、ついでに勇者を庇い、レグが揺れる周囲に視線を走らせる。
「崩れる……わけじゃねえな。何だ?」
「分からん。だが、魔法の気配がする」
万一に備え、勇者一行を一カ所へ集め、2人がかりで素早く彼らの周囲にシールドを設置した。
「もしや、鍵……?」
原因を探ろうとした時、ふと呟いたルードの声で、眉唾物の話を思い出す。
「鍵はこいつらが手に入れたんだろ? もしかして今からお目見えってやつ?」
「いや、これは――」
カッと閃光が迸る直前、ルードは咄嗟にレグの首根っこを掴んだ。
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