第5話

 仁川の港は、楽浪土城らくろうどじょうと朝鮮半島の海岸域に点在する都市国家の中継地点となる良港だった。


 通りには多くの露店が並んでいて、港には沢山の船が繋がれている。


 日雇いの水夫や労働者が通りのあちらこちらに屯していた。仕事を終えて酒を飲んでいる者もいれば、仕事にあぶれて地面に寝ている者もいた。


 ナギたちは露店で食事を済ませると、荷物が盗まれないように馬車の周りを囲んで眠った。



 翌朝早く、スサノオはナギに連れられて港に出た。海は薄らと朝靄あさもやに包まれていた。岸壁に停泊している大きな船を選んで、出航の準備をしている水夫に「倭に行く予定はないか?」と尋ね歩いた。


 どの船も倭には行かないという。ただ1人の船頭が倭にはいかないがクヤカン国には行くと応えた。


「クヤカン国?」


「倭人がたくさん住んでいる国だ。倭国の商人たちが沢山いて、鉄製品を買い付けている。そこにいけば倭国に渡るのは簡単だろう」


「なるほど。倭国は鉄を知っているのか……」


 スサノオは、父親の顔にパッと光がさしたのに気づいた。倭国でも、鍛冶屋の仕事があるのに違いない、と思った。


「では、我らが家族、クヤカン国まで運んでもらいたい。礼は十分に出す」


「ヨシ、荷を積め。出航は明日の朝だ」


 船頭はナギの依頼を快く引き受けた。


 午後から、荷物の積み込みをはじめた。その量の多さに船頭が驚いた。


「たいそうな荷物だな。人も多い」


「鍛冶の仕事の道具だ。火おこし、ふいご、鋳型。どれも大きいから仕方がない」


「とても1艘には乗せられないな。もう1艘調達しよう」


 船頭は心当たりがある仲間の元に向かった。


 その会話を聞きつけた若い兵隊がナギの前に立った。因縁をつけて幾らかの賄賂を得るつもりなのだろう。


『お前は何者だ?』


「イザ村のナギと申します」


 ナギが低姿勢で臨む。


『仕事が鍛冶というのは本当か?』


「あ……、はい」


 ナギは嘘が付けない性分だ。


『どこへ行く?』


「クヤカン国でございますが」


『クヤカン国は、漢の外。鍛冶屋が出てはならぬと知らないのか?』


「あ、ええ。何分にも田舎ものですので」


 ナギが冷や汗をかきかき頭を下げていると、ヒルコが駆けてくる。


「おとうさま、どうしたの?」


『お前の娘か?』


 兵隊の目尻が下がっている。


 ナギが青ざめた。ヒルコは10歳の子供とはいえ、嫁に欲しいと言われたら断りにくい。


 何も知らないヒルコが兵隊を見上げて抗議した。


「おとうさまを、いじめないで。兵隊が民をいじめると、国が亡びるのよ」


 彼女は書物で得た知識をそのままぶつけていた。


『漢の兵にむかって、その口の利き方はなんだ』


 彼が手を振るった。怒りのためか、思ったより力が入っていたものらしい。


「ギャッ……」


 ヒルコは勢いよく飛んで石畳の上を転がると昏倒した。


「子供に向かって、なんてことを……」


 ナギが抱き起しても、ヒルコはぐったりしていて動かない。


「漢の兵隊のやつ。ひどいことをしやがる」


 強面の水夫たちが見つめていた。その視線を感じるのだろう。兵隊の声は震えていた。


『し、死んだのか?』


「……お前が殺したのだ」


 ナギがヒルコの小さな身体を抱きかかえて泣いた。


『クッ……、漢の兵に逆らうからだ。いいか、他国へ行ってはならんぞ』


 兵隊は怒った体を装いながら、名前を知られる前にその場を去った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る