第2話

 スサノオは、大きな楠木くすのきに上り、沈む夕日を見つめていた。自分の馬が欲しくて友達と野生馬を探しに出たのだが、野生馬がそんなに簡単に見つかるはずがなく、見つかったとしても、捕まえることなど奇跡に等しい。


 散々野山を歩き、収獲がないとわかると友達は呆れて帰ったが、スサノオはあきらめられなかった。せめて馬を見るまで、と大木に上ってあしの原を探していた。


「いた!」


 スサノオは、密集した葦が左右に別れ、筋になるのを見つけた。しかも2本。


 馬はどんどんスサノオのいる方に向かってくる。近づくと、馬が野生馬ではなく、人が乗った馬だと分かって消沈した。


 馬に乗って走るのは、飛脚か兵隊と相場が決まっている。それはイザ村に向かっているように見えた。


「なんだろう?」


 好奇心がうずく。大木の幹に抱き着くようにして、スルスルと下り、地面に足が立つと、村に向かって走り出した。


 葦は、スサノオの背丈よりも高い。馬の姿は見えなかったが、蹄が大地を蹴る音は鈍く響いて、どこを走っているのか、おおよその見当はついた。それは、どんどん近づいたかとおもうと、スサノオを追い越して遠ざかっていく。が、馬のいななきがしたと思うと、蹄の音は突然、止まった。


「丘の上だ」


 葦の原をぬけ出ると、案の定、2頭の馬が梅の木に繋がれているのが見えた。


「やめてください!」


 遠くから女性の声がする。


「かあさんだ」


 スサノオは、母親のただならない声を聞いて足を速めた。


 丘を登ると、1人の兵隊が仁王立ちでいる。鎧を脱いでいるところだった。


 更に近づくと、驚きで足が止まった。


 梅の木の下で、もう1人の兵隊がナミを押し倒し、その衣服をはいでいる。


 スサノオの頭に血が上り、喉が鳴った。


「かあさん!」


 声を出すと、足が動いた。


 立っている兵隊が振り返る。髭だらけの恐ろしい顔だ。


「スサノオ、逃げなさい!」


 スサノオの足は止まらない。


 母親に馬乗りになった兵隊に手が届きそうになった瞬間、立っていた兵隊の拳が横殴りにスサノオの頬を打った。スサノオの小さな身体は、あらぬ方に飛んで梅の木の根元にぶつかった。


 遠のく意識の中で母の声を聞いた。


「スサノオ。逆らってはいけない」


 ほどなくスサノオの意識は戻った。気力の欠けた意識の中で、瞼を持ち上げる。ナミの両足が宙にあって前後に揺れていた。


「かあさん……」


 声は出ても手足に力が入らない。


 目の前の兵隊が振り返る。


『ガキ。気が散るから、失せろ』


 中国語だった。


 スサノオは後ろ手に這って梅の木の陰に隠れた。



 2人の兵隊が満足げに立ちあがったのは、陽がとっぷりと暮れて満天の星が夜空を埋めてからだった。


『女を抱いたのは久しぶりだ。お蔭で、気が晴れた』


『女。漢民族の種を得たのだ。ありがたく思え』


 兵隊たちの声と笑いを、スサノオは震えながら聞いた。


 その笑い声は、馬の蹄の音と共に暗闇の中へ消えた。


「かあさん」


 ナミに抱きついたスサノオの目から涙がこぼれた。オレが強ければ……。情けなかった。


「心配かけたわね。かあさんは大丈夫だから、安心おし。それよりも、今日のことは誰にも言ってはいけないよ。お父様にも、お姉さまたちにもね」


 話すナミの頬も濡れていた。スサノオを抱く両腕の力も強い。


 母の胸の中で、いつか漢兵に復讐してやる、とスサノオは誓った。



 ナミとスサノオが家に帰ると、ナギが仕事場から顔を見せた。ナミは、ナギの視線を避けて台所に隠れる。


「スサノオ。かあさんに心配ばかりかけるな。父の仕事も手伝ってみないか」


 普段なら反発する父の言葉にも、スサノオは素直にうなずいた。


「とうさん。俺は、強い大人になりたい」


「ならば、父の言うことを聞け」


「鉄を打ったら、強くなれるのか?」


「おうよ。なれるとも」


「兵隊のように、強くなれるのか?」


「スサノオよ。男が強いというのは、兵隊のように力が強いのとは違う。家族を守り、食べさせていくのは、力が強いだけではだめなのだ」


「とうさんは、かあさんを守れないじゃないか」


 言ってしまってから、母親との約束を思い出した。


「どういうことだ?」


「何でもない」


「父さんが、母さんを守れていないとは、どういうことだ」


「それは……、話せない。約束したんだ」


 スサノオは、奥の部屋に走って逃げた。

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