本文(第一話)

 二十七歳、古崎作馬の朝は猫梨にゃおのアニメ声から始まる。


『こんにゃお~! ぶいふぇあ三期生の猫梨にゃおで〜す! ご主人やっほ~♡ 今日も来てくれてありがと~♡』

(こちらこそありがとう。配信してくれてありがとう。生まれてきてくれてありがとう)


 スマートフォンの画面には、天使の微笑みを浮かべた美少女が映っている。


 彼女がVTuber『猫梨にゃお』だ。

 中堅程度のVTuberグループ『ぶいふぇあ』に所属するバーチャルライバー。

 垂れ目がちの目元。ぴこぴこ動く猫耳。わずかにテンションの高い明るさと、ふわふわとした癒される声。

 二年前にデビューしてから緩やかに登録者数が増え、最近二十万人を突破した。


 彼女の配信が作馬の唯一の生きがいだった。


『今日はまったりソロでやろうかな〜。大会あるし、練習です』

(あ〜〜えらい。えらすぎる。頑張ってるにゃおちゃんほんとえらい)


 基本、一日中彼女の配信を流している。


 生配信をしていればそれを見るし、してなければ過去の配信で目についたものを適当に選ぶ。一日のうちの大半はその状態だ。通勤、仕事、休憩、退勤、家の中、寝る前。


 どんな事があっても猫梨にゃおの配信さえあればいいと思っている。

 それ以外は特にいらない。


「――あの、落としてますよー」


 その日の朝もいつもと同じように、配信を聞きながら駅のホームに立っていた。

 通勤も辛い。けど配信があれば乗り越えられる。


『なんか今日エイムいいかもな〜。割と弾当たる気がする! ……『気のせい』? ちょっと〜、FPSはメンタルゲーだからちゃんと持ち上げてよ〜』


 イヤホンから聞こえる配信では流行りのFPSゲームをやっていた。二ヶ月ほど前の配信だ。


「ねえー。おにーさーん。落としてるよー」

『あっ、あー挟まれた! やられちゃったなー! 裏にも一人いたんだねー』

(どんまい。次に行こう)

「……聞こえてないな。──えい」

「……ん?」


 くい、と腕を引っ張られて顔を向ける。


 見知らぬ少女が緊張した面持ちで作馬を見上げていた。制服を着ているから学生だろう。肩口で切り揃えられた髪が揺れている。まだ子供っぽさの残る顔立ちだ。ただ綺麗な顔をしているなとは思った。

 少女は作馬に向けて見覚えのある財布を突き出した。


「財布。落としてます」

「ん? ああ本当だ。ありがとう」

 

 イヤホンは外さないまま財布を受け取る。

 いつの間に落としていたのだろう。


「財布落としても気づかないって、だいぶふわふわしてますね。寝不足ですか?」

「…………ん?」

「イヤホンもつけてるからかな。さっきから何聞いてるんですか? なんか楽しそうにしてましたよね」


 少女がそのまま会話を続けようとするので、作馬は面食らった。普通落とし物を拾った後は、渡すだけで終わるんじゃないだろうか。


「……ただのゲーム配信だよ」


 会話に応じたのは周りの視線があったからだ。話しかけられているのに無視しているのは態度が悪い。とはいえ女子高生と喋るサラリーマンという絵面でいるのも居心地は悪いが。


「あ、そうなんだ。私もよく見ますよ。誰? 女の子?」

「……VTuberだし、知らないと思うけど」


 作馬は名前を教えることに抵抗があって、ぼんやりと伝える。

 VTuberを追っかけているというのは周りから理解されづらい。


「いやいや。VTuberくらいわかりますよ。私、業界でも詳しい方ですから」


 なぜか得意げな顔をされる。どこの業界だ。

 目の前の少女はいわゆる陽の側に属する明るい人間に見える。こういう子にVTuberの名前を言ってわかるものなんだろうか。


「猫梨にゃおだよ」


 そう伝えてから、後悔した。

 少女が驚いたように目を見張ったからだ。よくわからないが、何か不快にさせただろうか。まあどうでもいい。何を思われようが、関係はない。


 ただ、その後の反応には首を捻った。

 なぜかじわじわと頬が赤く染まりだして、照れるように目を逸らしていた。


「……ほ、ほ~ん」

「ん?」


 ……なんだ? その反応は。


 不審そうな作馬の顔に気づいて、少女は気を取り直すように笑顔を浮かべた。


「い、いや、えーと。猫梨にゃお、わかりますよ。猫がモチーフのVTuberですよね」

「ああ。『元々は大きなお屋敷で暮らしていた猫。ご主人が見ていた配信に憧れて自分も配信がしたいと願った結果、猫又パワーで』」

「ん、んん~っ!? ちょ、ちょっと待って! なんで公式ページの暗唱できるの!?」

「推しの紹介なら普通覚える」

「そ、そうなの? そうなのかなぁ……?」


 なぜか急に慌て始める。

 少し声が大きくなったために、周囲の注目も浴びてしまった。


「……まぁ、そういうことだ。じゃあそろそろ電車も来るから」


 話を打ち切ろうとする。変に注目を浴びたくもない。謎の女子高生に絡まれたのはこちらだ。どちらかといえば被害者と言ってもいい。


「あの、おにーさん」


 だが少女が引き留めてきた。

 笑顔なのに、どこか暗い表情をしていた。


「その子の……猫梨にゃおの配信がなくなったら、どうしますか?」


 とんでもない仮定に驚いた。

 そんなこと想像もしていない。

 一年半以上、猫梨にゃおは元気に配信している。配信の頻度も落ちていないし、不穏な話もない。


「……さあな」

「助けて……って言われたら、助けますか」


 だが少女は何かに縋るような顔をしていた。

 なぜ見知らぬ関係の自分に向けてそんな顔をするのだろう?

 そしてこの話には一体なんの意味があるのだろう?


「……俺にできることなら、なんでもするけど」


 少女は安堵したような顔で、そうですかと小さく笑った。



 ◇



 仕事中も作馬は基本的にイヤホンを付けて過ごしている。


『こんにゃお〜! ぶいふぇあ三期生の猫梨にゃおです! 今日は山登りゲームをしながら〜、と、あとは雑談もしながら〜って感じですね』

(ゆったりした配信は作業にちょうどいいな)


 職場の隅の机で、作馬は作業をしながら口元を緩めている。

 ここは特に名前を言われてもピンとこないIT企業のオフィスだ。都内にあるビルの十五階の西側にある。社員が五十名くらいは出社していて、ある程度喋っても許される緩い雰囲気の中で業務をしていた。


「作馬くんまたニヤけて……部長に怒られるよ」


 隣の席の来巻綾乃くるまきあやのが声をかけてくる。綾乃はお淑やかな雰囲気で誰からも人気の同僚だ。作馬から見ても、女優でも通じそうなくらい綺麗だと思う。

 ただ性格はいただけない。配信の視聴中に話しかけてくるなんて。


「綾乃。配信中はそっとしておいてくれ」

「……はいはい。わかりました。――あー、ぶちょー、作馬くんがまたー」

「ば、バカ! イヤホン禁止にされたらどうするんだ!」

「慌てるなら最初からつけなきゃいいのに」


 呆れた様子で言われる。幸い大きな声ではなかったので、部長は気づいていなかった。胸を撫でおろしてから、イヤホンを付けて業務に戻る。


 しかし配信を聞いてはいるが、今日はどうしても集中が途切れがちだった。


(……朝の、一体なんだったんだ)


 朝に聞いた、謎の少女の謎の言葉を思い出す。

 助ける、って誰からだ。


 あの子はもしかしたら猫梨にゃおの関係者なのかもしれないとも思う。中の子だろうか。でもすぐにそんな考えは振り払えた。

 だったとしても、自分に声をかける理由がない。


「作馬くん、今日はあまりニヤつかないんだね」


 綾乃がふと話しかけてくる。


「別にいつもニヤついてるわけじゃないだろ」

「ニヤついてるよ。……ほんとにその女の子好きだよね」

「そうだな。大好きだ」


 猫梨にゃおが好きであることに対しては、特に恥ずかしさなどはない。知らない人にはあえて伝えたりはしないが、綾乃はもう作馬の趣味のことは知っている。


「作馬くんさ」

「ん?」


 ふと、神妙な調子で綾乃が言った。


「その子を……妹ちゃんの代わりにしてるわけではないんだよね?」

「……ああ。灯理とは違う」


 少し似ている部分はあるにしても、流石に別人だとはわかっている。


「でもそんなに入れ込んでるんだ」

「推しだからな」

「じゃあ、その子の配信が無くなったらどうするの?」

「…………お前、今朝うちの最寄りにいたか?」

「え?」


 こいつもそれを聞いてくるのか。

 ……たぶん何も考えはないんだろうが。


「いや、なんでもない。……そうだな」


 綾乃はかなり軽い調子だ。話のついでに聞いた程度だろう。

 今朝の少女とは関係ない。


「過去配信を永遠にループする亡霊になるかな」

「……へー」

 

 綾乃が冷めた声で言って、自分の机に向き直った。

 興味ないなら聞くなよ。



 ◇



 作馬は元々、猫梨にゃおだけでなく他のVTuberにも興味はなかった。


 というよりも、大体のものに興味を持てなかった。昔からそうだ。同学年の皆が興味を持つ物、ゲーム、漫画、テレビ番組、恋バナ等。どれも嫌いとは言わないが、続けようという気にはなれなかった。


 早くに両親を亡くして、病弱な妹の面倒を見ないといけないという責任があったせいなのかもしれない。


 作馬が唯一熱心にするのは、妹――古崎灯理ふるさきあかりの世話だけ。


 灯理は兄のひいき目を抜きにしても、可愛い女の子だった。明るく溌剌としていて、おどけた調子でからかったりして、普通に学校へ通っていれば男子たちが放っておかないだろうと作馬は思っていた。


「お兄ちゃん見て。この子可愛いよ! 猫梨にゃおちゃんって言うんだって!」

「いや、誰だよ」

「人気急上昇中『ぶいふぇあ』の新人VTuberだよ! 大注目!」


 灯理はVTuberというコンテンツにハマっていた。病室のベッドの上から興奮した様子でタブレットを見せてくる。それが初めて猫梨にゃおの姿を見た日だった。


「……露出がすごいな」

「うえー、さすがお兄ちゃん。目の付け所がえっちだね」

「いや、じゃあ灯理はどう思ったんだよ」

「衣装えっちすぎんか? って」

「同じじゃねえか」


 その日以降、灯理は猫梨にゃおの話をするようになった。"推し"になったのだと言っていた。


「昨日のデビュー見た? 緊張してるの可愛かったな~。……あとコメントで褒めまくって照れてるのにちょっと興奮した」

「変態かよ」

「普通だよ。お兄ちゃんも興奮するからやってみなよ、コメント。可愛い! って。簡単だよ」

「なんでわざわざ変態にならなきゃいけないんだ」

「普通だって! みんなやってるから!」

「じゃあみんな変態だよ」


 ◇


「にゃおちゃん歌上手だな~。声が良いんだよね、声が」

「たしかに良く通る声だな」

「でも猫が"歌う"って言うのかな……。猫は"鳴く"……かな? するとこれは鳴き声?」

「歌うでいいだろ別に」

「鳴き声ということは……にゃおちゃん、鳴いてる? 良い声で鳴いてる!?」

「歌うでいいって」

「もーお兄ちゃんノリが悪いなぁ~」


 ◇


 灯理の病状が落ち着いていた頃、一緒にVTuberが参加するイベントへ行ったこともあった。もちろん目当ては猫梨にゃおだ。チケットで、二分間だけ会話ができた。


「感激だよ……にゃおちゃんとお話できるなんて……もう死んでもいいくらい……」

「洒落にならん」

「お兄ちゃんの番もあったよね。何喋ったの?」

「前の奴の付き添いだけだから気にしないで水でも飲んでくれと言った」

「ドライだな~……」

「あとは……お前のことも聞かれたな。妹さん可愛いですか? とか」

「なんでせっかくのイベントで私の話してるんだよぉ~」



 ◇



 そんな日々が無かったら、今こうして自分が猫梨にゃおにハマることも無かっただろう。


 仕事終わり。帰りの電車に乗り込み、作馬はいそいそとイヤホンを耳に付ける。

 今日は十九時から雑談の枠を予約していたはずだ。残業のせいで視聴が遅れてしまった。


 アプリから猫耳で天使の微笑みを浮かべたアイコンをタップし、猫梨にゃおのチャンネルに飛ぶ。


(……ん?)


 そして違和感を覚えた。今の時刻は十九時二十分。いつもならまだ配信しているはずなのに、生配信が見当たらない。

 だが最新のアーカイブが『15:12』と十五分程度の短い時間で終わっていた。これだろうか。


 作馬はそれをタップする。『――こんにゃお~! ぶいふぇあ所属。三期生の猫梨にゃおでーす――』雑談特有の緩い雰囲気と声音。始まりには違和感もない。いつもより少し、声が暗いような気もするが。


 何かあったとすれば最後だろう。

 そう思って、終わり際までスクロールする。


『どうした?』『tmt?』『倒れてない? 大丈夫?』


 コメントの雰囲気が違う。いつもの楽しげなものではなく、猫梨にゃおを心配している。

 右下には猫梨にゃおの可愛らしい姿があるが、魂が抜けたように動きを止めていた。


 一分ほど過ぎた後、右下に動きがあった。猫梨にゃおの顔が、魂が戻ったようにまた動き出す。戻ったようだ。『お!』『きた』とコメントが加速する。

 そしてぽつりと呟きが聞こえた。


『つまらないね。ごめん、ばいばい』


 そこで配信は終わった。


「……え?」


 ――意味がわからない。

 初めから配信を追いかけてみる。最初の方は特に違和感などなかった。いつもの天使的な可愛さの猫梨にゃおだ。ただ中盤から口数が減っていることがわかった。体調不良を心配するコメントもある。


 そのまま段々口数が減って、ついには押し黙り、『つまらないね。ごめん、ばいばい』と言って配信を終えた。


 どうしても作馬には意味がわからなかった。


 何が起きた?


 ネットでは二通りの意見があった。ゲームが”つまらない”のだと判断して怒っている人。猫梨にゃお自身が自分を”つまらない”と評したと思い、精神的な面で心配する人。後者が多いようだ。作馬も後者だと思う。


 いずれにせよ、今日の配信はぶつ切りで終わった。

 明日以降が心配だった。彼女は復帰するのだろうか。

 今日聞いた言葉がよぎる。


『その子の……猫梨にゃおの配信がなくなったら、どうしますか?』

『じゃあ、その子の配信が無くなったらどうするの?』


 どうするのだろう。

 何を糧に日々を生きていけばいいのだろう。


 ……いや。でも、まだ大丈夫だ。

 配信があれば問題ない。あるいは、SNSで何かしらの説明があれば安心できる。

 それを希望に、作馬は内面の不安を押し殺した。


 ――だが翌日も、その翌日も、『猫梨にゃお』の配信は無かった。



 ◇



 自分がやつれているなという実感はあった。


「作馬くん、本当に平気? 顔色がひどいけど」


 職場でも綾乃に心配され始めている。


「ああ、平気だ。……今日も元気に満ち溢れている」

「適当言わないで。……あの子の配信が無いから元気がないの?」

「いや……推しの配信が無いだけで……具合が悪くなるやつとか、いるのか?」

「君がそうでしょ」


 その通りだ。

 綾乃の言う通りで、猫梨にゃおの配信がないだけでだんだん体調が悪くなっていることがわかる。たぶん不安によるストレスだ。これから先、配信はあるのだろうか? そもそも彼女は無事なんだろうか?

 答えのわからない問いが巡っている。


「無理しないで休みなよ」


 仕事もたまにミスをするようになった。綾乃からも上司からも有給を勧められる。

 悩ましいところだ。家で何もしないと不安だけが募りそうだし。


「あー……キツくなったら言うわ」

「……そう。ほんと無理しないでね」



 ◇



 配信が無くなってから、もう一つ変わったことがある。


「あ、おにーさんおはよー。今日も目が死んでますね」

「……おぉ」

「うわー朝から暗いなー」


 毎朝、なぜかあの時の女子高生と駅のホームで合流するようになっていた。

 イヤホンを片耳だけ外して、視線を向ける。


「ちゃんと寝てますか? 最近ずっと具合悪そうですけど」


 少女が上目遣いで見上げてくる。


 だがセリフと違ってどことなく楽しそうな顔をしていた。毎回そうだ。


「お前……なんかニヤついてないか」

「え? そんな顔してます?」

「してる。俺の具合が悪いのがそんなに面白いか?」

「あー、男の人が弱ってるの……ちょっとフェチなのかもしれません」

「性癖を開示されても困るんだが」

「そうかも。気を付けます」


 言いながらも、口元が笑っている。いつも朝から少しテンションが高い。こちらの様子を見て心配そうな言葉を吐くものの、なぜかそれより嬉しさの方が勝っている風だ。


「今日もにゃおちゃんの配信を聞いてるんですか?」

「ああ」


 作馬としては、面倒なのが半分、気が紛れて助かるのが半分といったところだった。

 最近は黙って配信を聞いていると泣き出しそうになることもある。まだこの変な少女と話している方がいい。


「にゃおちゃん帰ってこないですね」

「……そうだな」

「今日もアーカイブですよね。おにーさん、他の配信者は見たりしないんですね」

「興味ないからな」

「……おお、なるほど。他の女には興味ないと」

「ん? まぁそうだ」

「……ふへへ」


 ……なんなんだよその反応。

 この少女はたまに変な反応をすることがある。だいぶ不審者だ。


「にゃおちゃんが……す、好きなんですね」

「当たり前だろ」

「あ……っ。えっと、今のもう一回言ってもらってもいいですか?」

「? 猫梨にゃおが好きなのは当たり前だ」

「んん~……っ」


 なぜか恍惚とした表情を浮かべている。

 こいつ、変態なんだろうか。



 ◇



 別の日。


「おにーさん。猫梨にゃおクイズがありましたよ。これやってみましょうよ」

「そんなのがあるのか……」


 もう見慣れた仲になった女子高生がスマートフォンを見せてくる。

 ファンが作った猫梨にゃおに関するクイズのページらしい。


「URL送るからLINE教えてください」


 滑らかに言われる。女子高生とLINEを交換するのはどうなんだろう。

 わずかに躊躇ったが、向こうから言ってきたのだからと思いスマホを差しだす。


「……はい」

「ありがとーございます」


 少ない友だちの欄に『水瀬涼奈』が追加された。

 デフォルメされた猫のアイコンだ。


「お前、水瀬って言うのか」

「そういえば名乗ってなかったですね。水瀬涼菜みなせすずなです。涼奈でいいですよ」

「よろしく、水瀬」

「おー、無視ですか」


 水瀬からURLと、リアルな猫が『よろしく』と言っているスタンプが送られてくる。

 開くと、『猫梨にゃお検定!』とかなりチープな作りのサイトが出てきた。大丈夫かこれ。

 水瀬が横から覗き込んでくる。身体がくっついているが、気にした様子はない。今までの距離感もおかしいし、気にしない性格なのだろう。


「第一問、『猫梨にゃお』の誕生日は? ……六月一日だろ。簡単だな」

「お、早いですね」

「第二問、『2021年3月10日のホラゲー配信にて、「フニャァー!」という悲鳴を上げたのは何回?』……チラズアートの奴か。フニャァー! は二回じゃないか? イヤァー! は多かったけど……お、合ってるな」

「え二問目から難易度おかしくない? 無理でしょ普通。悲鳴の種類なんてわかんないって」


 その後テンポよく問題を解いていき、十問すべて正解できた。

 水瀬が理解できない物を見る目をしている。


「……ちょっと引きました」

「お前が勧めたんだろ」

「見てくださいこれ。このサイト、コメントでめちゃくちゃ叩かれてますよ。『クリアさせる気ない』『問題がゴミすぎ』『小学生が考えてる』」

「難易度ちょうどよかったけどな」

「……おにーさん、だいぶ変態ですね」


 なぜか引かれてしまった。



 ◇



 そんな風に不本意ながら水瀬と仲良くなってはいるが、相変わらず猫梨にゃおの配信はない。


 体調も悪いままだ。最近、仕事が終わらないので残業も増えている。

 窓の外はもう暗い。社員も大体は掃けていて、オフィスはかなり静かだった。


「おーい、目が死んでる作馬くん」


 ぼんやりとパソコンの画面を見つめていると、不意に綾乃が席に近づいてきた。


「キミ、明日からもう来なくていいよ」

「ええ!?」


 く、クビ!?


「というのは冗談で。……まあ来なくていいのは本当なんだけど」

「同僚にクビを突きつけられるとは……」

「じゃなくて。休め、ってこと。流石に心配なの。部長にも言っておいたから。今日もあがっていいし」


 呆れた様子で腰に手を当てている。


「……なるほど」

「軽口が言えるなら元気かもしれないけど、ずっと顔色悪いからね。ご飯とか食べてるの?」

「あまり食べてないな」

「あ……じゃあ今度、何か作りに行ってもいい?」

「いや大丈夫だ。噂されたら面倒だし」

「…………あっそ、じゃあ早く帰れ」

「おい、口悪いな」


 むすっとした顔で綾乃が自分の席へ腰を下ろす。


 たしかに、具合の悪い奴がずっと職場に残っているのは周りとしても居心地が悪いか。配慮が足りなかった。流石に休むべきだろう。


「……休暇もらうか」

「うん。一日とかじゃなくて沢山取ってね。どうせ有給余ってるでしょ?」

「……そうするよ」


 有給はどうしても猫梨にゃおの配信を生で見たい時くらいにしか使っていない。まだだいぶ残っているだろう。

 部長に確認の意味で目を向けると、手を上に伸ばしてサムズアップが返ってきた。問題ないらしい。


「お大事にね」


 綾乃に感謝を伝えて、作馬は退勤した。



 ◇



 電車に揺られながら、ぼーっと猫梨にゃおのTwitterを眺める。

 配信が途絶えた日から更新はない。


 猫梨にゃおはVTuberグループに所属しているが、他のメンバーも彼女の詳細はわからないようだ。唯一、猫梨にゃおと同期の『狛犬こまり』が生存報告を受け取っているとだけ言っていた。


 でもなぜ配信しないかは謎のままだ。


 ネットでも段々と猫梨にゃおのことを話す人も減っている。内心では心配しているのかもしれないが、名前を呟く人は少ない。世間から忘れられているようで怖かった。

 猫梨にゃおはグループの中ではそこそこの人気だが、大手と比べるとそこまでのチャンネル登録数があるわけじゃない。


 このまま消えてしまうのだろうか。

 消えてしまった時、自分はどうすればいいんだろうか。


「おにーさん……ですね」


 ふと聞きなれた声がして顔を上げた。


「ん……水瀬か」


 一瞬、誰かわからなかった。制服姿じゃなかったからだ。

 水瀬は動きやすそうなタイプの黒いパーカーを着ていた。足元はジャージとスニーカー。かなり気軽な服装だなと思う。


「残業ですか?」

「ああ。残業してたら帰れと言われた。あと明日から来るなと」

「クビ?」

「具合が悪そうだから休めって」

「なるほど。おにーさんは配信が無くなってからずっと具合悪いですもんね」


 軽い調子で言って、隣の席に腰を下ろす。

 遅い時刻の電車内は、人も少なくがらんとしている。


「お前は何してるんだ? もう結構遅いだろ」

「んー……おにーさんを待ってたと言いますか……」

「は?」

「おにーさんって一人暮らしですよね」

「そうだけど」

「部屋ってどのくらいの大きさですか?」

「……それを聞いてどうする」

「引っ越しの参考にしようかなって」

「引っ越すのか?」

「いえ、予定はないですけど」


 ならなんで聞くんだ。


「八畳くらいだよ。普通のマンションだ」

「なるほど、じゃあ二人でも頑張れば過ごせますね」

「……ん? 一人暮らしだって言ったろ」

「――いえ、二人です」


 水瀬が顔を近づけてくる。


「おにーさん。私を家に泊めてくれませんか」

「は……?」


 どきりとして思わず目を見返す。大きな瞳がこちらを探るように覗いている。

 急に、何を?


「……だめだ」

「そうですか」


 静かに言って、ふっと視線が外れた。思ったよりも簡単に諦められたことに拍子抜けする。

 疲れているせいか、頭がうまく回らない。

 水瀬はどうして急にこんなことを言うのだろう。


「……この手は使いたくなかったんですけど」


 そう考えていたら、やけに不穏な台詞が聞こえた。

 水瀬がスマホをいじっている。そして俺に顔を向けた。表情はやけに静かだ。静かすぎるくらいだった。

 まるで、もう失うものが無い人間のような。


「おにーさん。せっかくLINE交換したのに使ってないですよね」

「……ああ。LINEはお前に限らず特に使わない」

「ですよね。見てみてください」


 胸のざわつきを覚えながら、LINEを開く。


「え──?」


 そこにはまったく身に覚えのないメッセージが展開されていた。


『今日も良かったよ』

『今度はえっちな画像も見せてほしいな』


 しかもこの気持ち悪い文面の送信者は『古崎作馬』だ。


「こ、これは?」

「そして私がえっちな画像を張ります」


 水瀬がスマホを操作すると、今着ている恰好でパーカーを胸の上までたくし上げたような画像が送られてきた。


「お、おい! 何してんだ!」

「私のえっちな画像です」

「バカ! 消せって!」


 慌てて画像を見ないようにスマホの画面を消す。

 しかし水瀬の方から自分のスマートフォンを突きつけてくる。


「おにーさん、最近よく残業してますよね。いつも辛そうな顔で電車に乗ってます。それこそ、スマホ抜き取られても気づかないくらい」


 すぐに察して血の気が引いていく。

 スマホをいじられていたのか?


「パスコードも0601。猫梨にゃおの誕生日ですよね」


 水瀬が囁くように言う。眼前には水瀬のスマートフォンの画面がある。

 そこには『古崎作馬』が送った変態メッセージと水瀬の画像が映っている。


「これ、完全におにーさんが変態ですよね」


 とんでもないことになった。


「家、泊めてください」

「いや……家は」


 目を閉じる。完全に自分の不覚だった。でも家に泊めるのはまずい。そうなったら、さらに言い訳できなくなる。


「でも……おにーさん……言いましたよね」


 腕に手が添えられる。その手がわずかに震えていることがわかる。


「助けてくれるって、言いました」


 助ける?

 水瀬を助けるなんて話をしただろうか?


『助けて……って言われたら、助けますか』

 数日前、初めて水瀬と会った時にそういう話をした。


 でも助けると言ったのはお前じゃない。


 猫梨にゃおだ。


 混乱する作馬の前で、水瀬が決意を込めたように胸の前で拳を握る。


 不安と期待をない混ぜにした視線が届く。


「私、猫梨にゃおです」


 信じられないような事を言われて、作馬は目の前が真っ白になった。

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②生きがいだった推しVTuberが失踪後、中の子がうちに押しかけてきた。 じゅうぜん @zyuuzenn11

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