23.(負け)ヒロイン

 三日間の醒夏祭本戦を終え、いくつもの戦いを繰り広げたスタジアムの中央には表彰用の空間が設けられた。

 その壇上には、今年の醒夏祭を優勝した一組の男女の姿がある。

 賞状授与。学園理事長の女性が、表彰状に記された男女の名前を読み上げる。

「賞状、醒夏祭優勝。浅見正也、ニア・ルキルシア両名」

「は、はい!」

「ん」

「ちょっ、ニア」

「? あ。はい」

 緊張で強張る正也に対し、ニアはどこまでもいつもの調子だった。

「何やってんだアイツら」

「あはは……」

 慧と宵月は、そのやり取りを観客席から眺めていた。


     *


 醒夏祭の表彰式を終え、放課後。夏休みを目前に控えた学園は授業が午前だけになるため、まだまだ日が高い。

そんな中、慧は中庭の木陰に一人立っていた。空は眩しい快晴で、容赦なく夏の暑さを降り注がせる。そのせいか、周囲に人の姿は無い。

 慧も待ち合わせ場所に中庭を選んだのを若干後悔していた。誰かに聞かれる心配が薄いのは有難い事だが、夜ならばいざ知らず、日中にそう長く居たい場所ではない。

七月の終わりらしい猛暑の中、慧は意識を青空の中に漂わせる。

 宵月にも、自分の身体にも無理を言って強引に出場した醒夏祭本戦。正也もニアも一切手を抜かず、全力を尽くしてくれた。

 結果は見事なくらいの惨敗だった。まずは慧が開始と同時に影のように忍び寄ったニアに対応しきれずにすぐに倒され、二対一になった宵月が善戦するものの、正也とニアの連携の前に敗れた。

結果の伴わない大口ほど情けないものもないだろう。慧は羞恥心と不甲斐なさで自己嫌悪する。

 それを吹き飛ばす様に強い風が吹いて、ざわざわと葉擦れの音が広がる。騒がしいその音とは別に、中庭の芝がかさりと鳴いた。

 慧がもたれている木の反対側にもう一人、人が寄り掛かる。そして空に放るように言う。

「……ダメでした」

 それは宵月の声。何気ない雑談をするように軽いトーンの声。

 慧はその場で空を見上げたまま、動かない。余計な事は言わずに、ただ宵月の言葉が出てくるの待つ。

「気持ちは嬉しいけど俺にはニアが居るから、ってキッパリとフラれちゃいました」

「……そうか」

「はい」

「……」

「……」

「……え?」

「え?」

 しばらくの空白のあと、宵月の言葉を待っていた慧が素っ頓狂な声を上げる。それが不思議だったのか、宵月も同じように声を出す。

「いや……、もっと、あるものかと……」

「ああ、今後も変わらず関わっていくので、慧も変に気遣ったりしなくて良いですよ」

「お、おう……」

 けろりとした態度の宵月に、慧はハトが豆鉄砲を喰らったような顔になる。

「あ、もしかして私が泣くとか思ってたんですか?」

 木の向こうから聞こえる不服そうな声。図星だった。

「思ってたんですね」

「……そりゃ、思うだろ。フラれる辛さは、分かってるつもりだし」

 他でもない宵月につい先日フラれたばかりの慧は素直に考えを曝け出した。

「宵月は、辛くないのか?」

「辛いに決まってるじゃないですか。本気で好きになって、本気で告白して、それでフラれたんですから」

「なら――」

「でもたった一回ダメだっただけです。まだ終わった訳じゃありません」

 それは強がりなどではない、小さい頃から周囲に認められず、それ故に誰にも頼らず、自分だけは自分を信じて前を向き続けた宵月の、本当の強さ。

 茨の道を独りで走り続け、擦れて傷だらけになって、その先で自分を見てくれる人たちに出会えた宵月の、本気の言葉。

「だから、泣いてる暇なんて無い。何度負けようとも、何回ダメでも、常に前を向いて絶対に諦めない。それが東童宵月、でしょう?」

 宵月は木に身体を預けるのを止めて、慧の前に回り込む。慧はそこで初めて宵月の顔を見て、晴れやかな顔の中で瞳が少しだけ赤くなっているのに気付いた。

「……ふふっ。そうだな、そうだった」

 慧はおかしくなって、堪らず笑い出す。

「何笑ってるんですか、まったく……」

 宵月だって分かっている。正也にフラれて、別れた後に一人で散々泣き腫らした後にここに来た。そんな自分の眼が赤くなっているであろうことなんて分かっている。

 だがそれをおくびにも出さずに宵月は、東童宵月を貫き通す。

 真っ直ぐに前を向く姿を見てくれる人達が居て、立ち止まってしまいそうになる背中をがむしゃらに押してくれる人が居る。

 私はもう、独りじゃない。

 だから宵月は歩き続ける。自分を信じて、憧れて、好きで居てくれる人が居ると知っているから。

「宵月」

「はい」

 慧は不満そうに唇を尖らせる宵月を見つめる。凛とした、けれどもどこかあどけなさの残る双眸と目が合い、慧の心拍数は一気に上昇する。

 これまでずっと逃げ続けてきた。自分に自信なんて一つも無くて、何も抱えずに生きてきた。だからこそ東童宵月という少女を知った時に、どうしようもなく憧れた。

 自分ならとっくに折れてしまっている。適当なところで自分に見限りを付けて、自分だから仕方ないと、自分を甘やかして腐っている。それほどまでの境遇にありながら、決して逃げず、遥か遠くの太陽を掴んでみせると疑わない。

 その強さに魅せられ、憧れて、好きになった。彼女の強さが結実するのを信じ続けた。

 だから慧は一歩を踏み出す。自分が恋し、信じ、憧れた背中に少しでも近づくために。

 たった一回ダメだっただけ。まだ終わった訳じゃない。その言葉は、慧に勇気をくれる。歩くべき道を指し示してくれる。

「好きだ。付き合ってくれ」

 夏空の下、輝かしい静寂の中。慧の声が真っ直ぐと宵月へ伝わる。

「……慧」

 宵月は小さく呟き、ほんの少しだけ頬を緩めて、それからジトっとした目を慧に向ける。

「フラれて傷心中の女の子を狙うの、ちょっとズルくないですか?」

「本気で好きだからこそと言ってくれ」

「ズルいのは否定しないんですね」

 宵月はため息を吐く。

「ごめんなさい。気持ちは有難いですが、好きな人が居るので貴方とはお付き合い出来ません」

 有耶無耶にせず、宵月はキッパリと告白を断る。

「……そうか」

 その丁寧な拒絶に慧の心はしっかりと傷を負う。二回目だからって辛くない訳が無い。でも、その辛さを噛み締めて慧はまた、前を見据える。

「応援してるぞ、その恋」

「はい、ありがとうございます」

 憧れの人の背中を追いかけ、その背を押し続けるために。

「でもいつか、絶対に振り向かせてやる」

 恋焦がれる人の背中を追いかけ、その隣に立つために。

「――えぇ、その恋、叶うと良いですね」

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負けヒロインちゃんと主人公未満くん 太田千莉 @ota_senri

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