20.ただそれだけ
観客席から降りたスタジアムの中央。
創像武装による負傷。しかし慧に与えられるのは
浅いながらも確かに切れた頬が赤く滲み、そこから一筋の真っ赤な血が垂れる。
「っ!」
慧は男と間合いを離す。頬を拭った手の甲に、赤い色が延びる。
保安想士が扱う創像武装は不殺の武器である。例え心臓を一突きにしようとも、奪うのは意識だけで命までは奪わない。
だがそれは不殺の武器として用いているからでしかない。
「初めてだろ? 物質態の創像武装で斬られたのなんて」
男は真剣な表情の慧を見てニタニタと笑う。
「だったらなんだ」
創像武装を握り直し、慧はニヤけ面の男を睨む。
「おー、怖い怖い」
男はおどけるように肩をすくめる。
「そうだなぁ、当ててやるよ。今お前は死ぬのが怖くてたまらないはずだ」
「何を――」
「その証拠にほら、足が震えちまってる」
「なっ……」
慧は自分の足の震えを止めようと片手で脚を掴むが、そもそも脚は震えていない。
カマを掛けられた、と気づいたのはそのすぐあとだった。
「ぷっ。だっせぇなぁ、どんだけ強気に振舞っても内心じゃビビってんだから」
「くそっ!」
短く吐き捨てて慧は一気に間合いを詰める。衝動任せの一撃は簡単に防がれた。ならばと、二撃三撃と攻撃を重ねるがそのどれもが男の創像武装に受け止められる。
「威勢が良いねぇ。でも――」
下から上へ切り上げる一刀、男はそれを上体を僅かに逸らして躱す。行き場を失った剣筋は自らの勢いのまま空を切る。
「軽過ぎだ」
無防備に晒された慧の胴体に男の長剣が迫る。斜めに振るわれる刃の軌道上に、慧が土壁を発生させる。土壁は刃を僅かに食い止めるものの、完全に止めるには至らない。
歪に波打つ刀身は強度不足の未熟な盾を両断し、そのまま慧の胴体を斬り付ける。
「ぐうっ……!」
慧の胸から血が噴き出す。鮮烈な痛みの衝撃で慧は意識を手放しそうになるのを、何とか堪える。
そこに男の回し蹴りが脇腹に突き刺さる。
「かはっ…………!」
慧の身体はサッカーボールのように無抵抗に蹴り飛ばされ、数メートル先の地面に血を撒き散らしながら仰向けに落下する。
「うえっ、血の処理めんどいの忘れてた……。血痕そのままにしとく訳にいかねえぇし、あー、だりぃ……」
創像武装を魔力に分解して虚空に溶かし、頭をボリボリと掻きながら、気怠そうに男は慧に近づく。
慧は身体を起こそうと奮起するが、身体のどこにも力が入らない。浅い呼吸を繰り返して、自由の効かない自分の身体に苦悶の声を上げるのが精一杯だ。
「おっ? まだ生きてんのか。頑張るねぇ」
「はぁ……はぁ……」
「良いねぇ、その苦痛に歪んだカオ。今まで見た中でもかなり傑作だ」
慧の顔を見下ろして、男は満足そうに歯を覗かせる。
「良いもん見せてくれたお礼だ。死ぬ前にお前が気になってた事を教えてやるよ」
「な……に……?」
「俺はな、ここをぶっ壊しに来たんだ」
「は……?」
「っつっても今すぐじゃ意味がねぇ。明日の醒夏祭、だったか? そこで盛大に爆発してぶっ壊してやるために、ちょいと細工をしに来たんだよ」
突然の突飛な話に、慧の切れかけの意識はついていけない。そんなことを気にする様子もなく、男は続ける。
「国の要人も大勢来る。そこでテロが起きれば混乱は必至だ。その隙に乗じて――俺らはルキルシア嬢を連れ戻す」
「ニアを……?」
男が口にした予想外の名前に慧は思わず聞き返してしまう。ニアの名前を知っていてその上、何やら随分と特殊な呼び方をしている。そこに、躊躇なく物質態の力を振るう想造者である事を踏まえて考えれば、自然と正体は絞られる。
「お前……、もしかして、ニアの――」
「なんだ? ルキルシア嬢を知ってるのか。しかも親しげに呼んじゃってまぁ……」
だが男は慧の言葉に耳を貸さない。独り言をボソボソと呟いて、それから慧を思い切り蹴り付けた。
「がぁっ……!」
慧の身体が地面をバウンドしながら転がる。
「雑魚が……身の程を弁えろ」
地面に伏せる慧の髪を乱暴に掴み、引っ張り上げる。
「ルキルシア嬢はお前らみたいな有象無象とは違う。彼女だけが本当の想造者だ」
それだけ言うと興味を失った様に慧の頭を放る。
「あぁ……良い気分が台無しだ……、もう殺すか」
心底つまらなさそうな表情でひとりごちて男は立ち上がり、創像武装を再展開する。
「ま、て……」
「んだよ」
慧は最後の気力を振り絞って、男に問う。
「ニアが目的、なら……ここを、醒夏祭を、狙ったのは……うぐっ……!」
やはりニア呼びが癪に障るのか、男は慧の手を踏み躙る。
「都合が良かっただけだ。別に醒夏祭とやらはどうでもいい、そもそも興味もない」
「そう……か……」
慧は男の返答に消え入るような声で反応を示す。スタジアムの天井を見上げる慧の視界に、不気味に波打つ刀身が入ってくる。場所は左胸。心臓を一刺しにして、確実に命を奪える位置だ。
「冥途の土産はもう充分か? じゃあな。死ね」
男は僅かに振りかぶって、慧の左胸を貫かんと一気に振り降ろす。
慧の身体はもう動かない。積もり重なったダメージが慧の身体の自由を許さない。このまま死を受け入れて、最期の意識の中で自らの実力不足を悔いて死んでいくしかない。
そう、思っていた。ついさっきまでは。
だが、まだ死ねない理由が出来た。
無慈悲で不気味に波打つ刀身を、慧は左手で掴み取る。裂けた手のひらから血が溢れ、剣先から左胸へ滴り落ちていく。
それと同時に、慧の手を起点として透明な氷が剣を伝って上へと駆け昇る。
「っ!」
このままでは自分の手も氷漬けにされると判断して、男は柄から手を離し飛び退いた。持ち主を失った創像武装を慧は適当に放り投げる。
「…………な」
慧の口が僅かに動き、微かに声が漏れる。
満身創痍の身体をゆっくりと持ち上げ、展開した創像武装を手にフラフラと立ち上がる。その間に男も放り出された創像武装を再展開して構え直す。
「…ざけるな」
「あ? 何言って――」
「ふざけるなぁぁぁぁぁぁ!」
慧の怒号がスタジアム内に響き渡る。
「あぁ、俺は確かに雑魚だ。何か突出した武器がある訳じゃない。特別な過去も、立派な信念も無い」
身体中が悲鳴をあげている。一瞬でも気を抜けばそのまま失神してしまいそうだ。
それでも、慧はここで倒れている訳にはいかなかった。それは死にたくないからとか、学園を守らなければとか、そんな大層な理由ではない。
「――でも、宵月を馬鹿にするのだけは何があっても許さない……!」
ただ一つ、宵月を愚弄し、あまつさえ自分と同じ一括りにして掃いて捨てた男を野放しにして死ぬ訳にはいかない。もはや目の前の男が誰であろうと、目的が何であろうと関係ない。必ず撤回させ、吐いた唾を呑み込ませてやる必要がある。
その怒りだけで慧はボロボロの身体を動かす。棒きれのような足に溜めた魔力を速度に変換して、爆発的に加速する。
半歩で距離を詰め、余った速度は刃に載せて振り下ろす。男はそれを創像武装の腹で防ぐ。甲高い金属音がスタジアムの空気を奮わせる。
「何があっても絶対に膝を折らず、例え俯いてもすぐに前を向く! 周りがどれだけ自分を嘲ろうとも、自分だけは自分を疑わない! そんな宵月が有象無象? その他の雑魚ども? ふざけるのも……、大概にしろっ!」
「くっ……!」
剣に言葉を載せているのか、言葉に剣が付いていくのか、慧自身にも区別も付かないがむしゃらな連撃。隙だらけのはずなのに、その隙を埋める様に次の攻撃が割り込んでくる。
男は反撃の機会を窺いながらも、一方的な守りを強いられる。
「俺もお前と同じだよ。俺自身、醒夏祭なんてどうでも良い。でもな、宵月にとっては大事な舞台なんだ。それを、お前なんかの勝手な事情で邪魔させる訳には――っ!?」
慧の動きがビタリと止まる。全身から力が抜けていく感覚に膝から崩れ落ちそうになり、創像武装を地面に突き刺して何とか身体を支える。腕にも満足に力が入らず、倒れないようにするのがやっとだ。
自分の身体の異物感に気づく。見れば、脇腹に小さな刃が深々と突き立っている。認識した途端、役割を終えたとばかりにその刃は魔力に戻って空気中に溶ける。
「はっ……、魔力由来の神経毒だ、キくだろ?」
男は額に汗を浮かべながら、それでも余裕を取り繕ってぎこちない笑みを張り付ける。その余裕そうな笑みとは裏腹に、急いた口調で創像武装を構える。
「随分手間を掛けさせてくれたな……。でも今度こそ終わりだ。じゃあな」
大振りな一太刀。慧を左右に両断する軌道。それを慧は理解しながら指一本動かす事が出来ず、ただ眺める事しか出来ない。
今度こそ死を覚悟した慧は思う。ああ、結局ダメだったと。
あれだけ格好つけようとも、結局自分は大切な物を守ることが出来なかった。許しがたき侮辱を撤回させることは出来なかった。
結局、自分には何も出来なかった。
死の恐怖は最早無い。あるのは未練と、自分への失望だけだ。
失意の中で慧はぼうっと、自分の命を奪わんとする鋼の煌めきを見つめる。
*
「こっち……!」
「ここって――」
前を走るニアの誘導に従って宵月が辿り着いた場所、そこは第一訓練場。明日から醒夏祭の本戦が行われる会場だった。
周囲を見回すが外には誰も居らず、魔力による身体強化で研ぎ澄まされた宵月でも、闇夜に何者かが潜んでいる様な息遣いや気配は感じられない。
「本当にここなんですか?」
「ん……。そのはず」
走り通しで僅かに息の上がったニアは肯定を返す。自分にニアと同じ感覚が無い以上、その言葉を信じるしかない。とりあえず外周一周を周るべきだろうか。そう考えて足を踏み出そうとして、耳が確かな金属音を捉えた。それは良く聞く、創像武装と創像武装の衝突音。
「ニア、中です!」
宵月はこの時間なら閉まっているはずの訓練場のドアに手を掛ける。ロックの解除されているドアは何の抵抗も無く宵月に道を開ける。
宵月はドアを大きく開け放ち、奥へと駆け出す。暗がりへの警戒もそこそこに、訓練場のスタジアムを目指す。
連続的に続くはずの剣戟のような音は先の一回を最後にもう聞こえてこない。
観客席のドアを開けて宵月の目に飛び込んできたのは、天窓から差し込む薄暗い月明かりに照らされる二つの人影。
一人は剣を振り上げ、もう一人はその前で膝を付くような姿勢。そして、その人影の輪郭を認識した瞬間、宵月の身体は力を溜めて僅かに沈み込む。
そして、宵月の脳内に深い闇が湧いてくる。
もう間に合わないかもしれない。もう助けられないかもしれない。
後ろ向きな考えばかりが宵月の脳を支配しそうになって、そうじゃない、と全てを振り払う。
私が、東童宵月が考えるのはそうじゃない。
絶対に間に合う。絶対に助けて見せる。そう自分の中に誓いを立てる。
そのためには考えている時間なんか要らない。一瞬でも早く踏み切って、少しでも強く地を蹴り飛ばし、あの剣よりも速く慧の前に辿り着く。
他でもない自分ならそれが出来ると、自分を信じる。
宵月は全力で地を蹴り、宙にその身を打ち出す。
絶対に、慧を死なせたりなんかしない。
*
無慈悲な鈍色を捉えていた慧の視界を、眩い金色が包む。
それから僅かに遅れて、蹴り付けられた地面が激しく啼いて、剣と剣のぶつかり合う金属音が追い付いた。
更に大きく遅れて慧は自分が生きている事に気づき、その金色を認識する。
一目見た時から忘れた事は無い、月の光をそのまま映したような黄金の髪。
「私のパートナーに手出しをするのは許しませんよ」
強い意志の籠った澄んだ声。慧が尊敬し、敬愛するその声。
薄弱な意識の中で、慧は絞り出すように彼女の名前を呟く。
「――宵月」
創像武装同士の鍔迫り合いに紛れてしまいそうなか細い声に、宵月は振り返らず応える。
「お待たせしました、慧。すぐにケリを付けますから、あと少しだけ待っててください」
均衡を保っているように見えた鍔迫り合いは、宵月は少し力を込めるだけで崩壊した。
「なっ!?」
男の創像武装を宵月が手首の動きだけで弾き上げる。男は抗おうとするが、創像武装は大砲に打ち出された如き速度で男の手を逃げ出し、遥か後方の観客席に突き刺さる。
「さようなら」
無防備になった男の左肩から右の胴へ、宵月の剣が閃光の様に駆け抜ける。本物の刃なら間違いなく即死の一撃。だが概念態の創像武装は命を奪わず、意識だけを削ぎ落す。
断末魔を上げる暇もなく、男の身体は力を失い地に倒れる。
「……随分待ったけど、もう良いか?」
あまりに一瞬の出来事に、朦朧とする意識の中で慧は軽口を叩く。
「えぇ、そうですね、ちょっと待たせ過ぎました」
宵月もそれに軽口で応じる。そして振り向いて、慧の身体をそっと抱き留める。
「もっともっと長い時間を慧は頑張ったんですから、もう休んでください」
耳元で聴こえる囁き。身体に触れる確かな温もり。それらと共に、莫大な安堵が慧を包み込む。身体を突き動かしていた気力が抜け、その空白を埋める様に疲労が雪崩れ込む。
意識を手放す直前、慧は宵月の声を聴いた。
「よかった……っ」
その声は微かに震えていた気もするが、それを考えるよりも先に慧の瞳は閉じられた。
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