19.夜風よりも早く

「……よしっ」

 少し時は戻って、女子寮の廊下。自室の前で宵月は深呼吸をする。平常心を装い、なるべく自然体を心掛けて、部屋のドアを開ける。

 寮の部屋は全て同じ間取りのワンルームで、ドアを開ければすぐに二段ベッドと個人用の机二つが左右の壁に沿う形で配置されているのが見える。そこの空間には足の短い丸テーブルがあり、宵月のルームメイトであるニアはその丸テーブルで本を読んでいた。

「ん、おかえり」

 宵月が帰ってきたことに気づいたニアは本から視線を上げる。

「ただいま」

 小さく笑い掛ける。ニアは気にする様子もなく本に視線を戻し、ページを繰る。

 慧が宵月を呼び出した時はニアも近くに居たため、明確な探りは入れられなくても何かしら質問はされるだろうと、内心ソワソワしていた宵月は、案外気付かれないものなんだな、と安堵の息を吐く。玄関で靴を脱ぎ、僅かな段差だけで区切られた室内へ入る。

 宵月は自分が使っている下段のベッド、その枕元に腰を下ろした。身体の力を抜いて体重を預けると、ベッドのスプリングが僅かに軋んで沈み込む。柔らかい布団に受け入れられる感覚に、宵月は気を抜いた。

「それで、ヨツキはケイとつきあうの?」

「っ!?」

 なので、ニアがまるで世間話でもするかのように重大で秘匿な話を切り出した事に息を詰まらせた。

「つ、付き合いませんよ!」

 一度安堵してしまった分その衝撃は大きく、夜にも関わらずつい大声を出してしまう。

 非常識だとすぐに気づいて宵月は慌てて自分の手で口を押さえた。

「……というか、なんで知ってるんですか。その……告白、されたこと」

 自分の言葉で顔を赤くしながら、通常の声量で宵月は改めて問い直す。宵月から見て、何か自分がボロを出した覚えはない。それなのに一瞬で何があったのか看破されたのは、いくらニアが洞察力に長けているとしても、流石に不可思議だ。

「しってたから。ケイがヨツキをすきなこと」

 一方で、ニアからすれば何も不思議な事は無い。慧の恋情も知っていれば、焚き付けるような事を言ったのもニアだ。食堂で慧が宵月を呼び出した理由に告白を結び付けるのも、そう難しい連想ではない。

「あと、ヨツキがわらってたから」

「え?」

 何で知ってるのかとか、いつから知ってたのかとか、頭の中に更なる疑問と混乱の生まれた宵月はニアの言葉に間の抜けた声を出してしまう。

「目とか口が、すごく嬉しそう。いいことがあったんだな、ってすぐ分かった」

「……あはは、隠してたつもりなんですけどね」

「んん。バレバレ」

「慧もニアも、すーぐ見破っちゃうんですから。私もポーカーフェイスの練習とかした方が良いんでしょうか」

 ニアや慧に何でも気取られてしまうのは、何というか面白くない。率直に言うなら悔しい。宵月は破顔を引き締めて、真剣な表情を演じる。

 宵月は精一杯真顔をしているつもりなのだろうが、ニアから見ればその違和感は一目瞭然だった。表情筋の不自然な硬直、笑いを隠すために引き絞った口角の僅かな歪み、そして何よりも瞳の奥の輝きが隠せていない。

ニアはこれらを言語化出来ずとも、本能的に読み取れる。

「にあってない」

「上手い下手ではなくて!?」

 そして綺麗に言語化出来ない代わりに、別の言葉で宵月を刺した。

「ヨツキはそういうことしないで、まっすぐなままが良い」

「……慧にも、似たような事を言われました、私のそういう所がす、好き、だ……って」

 ようやく引いてきた頬の赤色がまた戻ってくる。

「ん。わたしもヨツキのそういうところがすき」

「あ、ありがとう、ございます」

 ニアが言った『すき』という言葉に、宵月は更にドキッとした。脳内で先の中庭での出来事がリフレインする。慧から伝えられた言葉を、あの時の眼を思い出して、鼓動が速くなる。

「……ねぇ、ヨツキ」

 そしてニアは、その動揺に聡く気づいたニアは、宵月に問う。

「な、なんですか?」

「ケイのこと、どうおもってるの?」

「え……? それはもちろん――」

 大事な友人ですよ。そう答えようとして、息が詰まった。

 中庭でのやり取りで、宵月は慧を『私よりも私の事を信じてくれる大事な大事な友人』と、そう評した。

 でも、本当にそれだけ?

 私にとって、慧とは。宵月の中でその問いは波紋の様に広がっていく。

 黙りこくって思考を巡らせる宵月のスマホが、唐突に騒ぎ始めた。

「ひゃっ!?」

リズムの良い着信音と細かいバイブレーションで宵月は現実に引き戻される。

 ポケットから震えるスマホを慌てて取り出す。画面を見て、正也からの着信だと分かる。

「あ、ちょっと失礼しますね」

「ん」

 発信者が慧でない事に宵月は微かに安堵した。いま慧から電話が来たところで、アガってしまってマトモに話せるような気がしない。

 そんな事を思いながら宵月はベッドから立ち上がり、ベランダへ向かう。寮では洗濯物は各自で行う事になっているので、寮の全室に洗濯物を干すためのベランダがあるのだ。それは一階にある宵月たちの部屋でも変わらない。

 窓を空けて外へ出て、着信に応答する。

「もしもし、宵月です」

 中庭に居た時よりも、気持ち冷えた空気が宵月の頬を撫でる。部屋の中を冷やしてもいけないと、片手で窓を閉める。

『あ、もしもし? 急に電話してごめん』

 電話口から聞こえてきたのは画面の表示通り正也の声だ。

「大丈夫です。どうかしましたか?」

『宵月、今慧と一緒に居るか?』

 正也の声が少し低くなる。それに釣られて宵月も表情を硬くする。

「いえ、ちょっと前に別れて私はもう寮に戻ってますが……まだ戻ってないんですか」

『ああ』

「慧の方に電話は?」

『さっき掛けたんだけど、日中使ってたカバンにスマホ入れっぱなしだったみたいで』

「連絡も付かない、と」

『そうなんだ。別に慧も子供じゃないし心配しすぎかな、とも思うんだけど』

 言葉とは裏腹に、正也の声は若干沈んでいる。やはり心配なのだろう。

 中庭から女子寮と男子寮への距離はどちらもさほど変わらない。既に自分が寮に戻っていてニアと会話を交わすだけの時間があった以上慧が寮に戻っていないのは不自然で、宵月も少し心配ではある。

 ただ、今回に関しては話が特殊だ。中庭での出来事が出来事なだけに、フラれて傷心な慧がどうしても正也と顔を合わせづらくて寮に戻っていない、とかそう言った恋愛感情絡みの可能性も考えられる。

 もしも自分が慧の立場であった場合、同じ様に少し一人で居たくなるかもしれない。そう考えると宵月は無責任に、今すぐ探しましょう、と言う気にはなれなかった。

 とりあえず寮の消灯時間まではまだ少し時間がある。それまで待ってみてからでも遅くは無いだろう。そう考えを纏め、正也に提言しようとする。

「とりあえず――」

 そこまで口にしたところで、宵月の後ろで窓の開く音がした。振り返るとニアが神妙な面持ちで立っている。

「ちょっとすみません。――ニア、どうしました?」

 スマホのマイク部を手で塞いで、宵月が尋ねる。

 ニアは無表情ともポーカーフェイスとも違う、強張りを持った表情で端的に答える。

「気配がする」

「気配?」

「すごくイヤな魔力の気配……」

 本来、魔力というものに実体は無い。色彩も質量も温度も持たず、想造者が創像武装や別の事象へと創り上げる事で初めて知覚することが出来る。しかし想造者の中には魔力を魔力の段階で認知出来る者が稀に居る。そしてその稀な側の人間であるニアは、何かを感じ取ったようだ。

「嫌って、どんな風に?」

 宵月にその感覚は分からないので、ニアからの説明を求める。

「まっくろでドロドロしてて……、あの人たちにすごく似てる」

「あの人たち?」

「わたしがいた組織の人たちも、こんな魔力をしてた」

 かつてニアを暗殺者として働かせていた組織、そこで日頃感じていた魔力の気配とよく似ている。ニアはそう言った。

「で、でもあの組織は既に幹部が捕まっていて、もう組織としては壊滅したはずです」

 去年の十二月に行われた壊滅作戦。大規模な作戦であったそれには朝陽も参加しており、作戦が成功したからこそニアはここに居るのだ。そんな出来事を宵月が忘れるはずがない。

「それは……そう、なんだけど……」

『おーい宵月? 大丈夫か?』

 耳に当てたままのスマートフォンから正也の声が聞こえて、通話中だったと思い出す。マイク部を覆う手を外す。

「あぁ、すみません。その、ニアが組織の人員に似た魔力の気配を感じたらしくて」

『なんだって……?』

「行ってくる」

 電話口の正也の声が急に大きくなる。それとほぼ同時、ニアは着の身着のままでベランダの欄干を乗り越えて外へ駆け出そうとする。宵月はニアの手を掴んで止める。

「ま、待ってください! 行くってどこにですか!?」

「ちょっと見てくるだけ。すぐに戻る」

「それはダメなセリフですから! 正也、念のため先生たちに知らせてきてもらえますか? 私はニアを抑えてますから」

 片手でニアの腕を、もう片手に持ったスマートフォンで正也に呼び掛ける。手すりに半分身を乗り出した状態で宵月に制止され、それでも行こうとジタバタしていたニアの動きが止まる。

「ヨツキ、ケイと話してたんじゃないの?」

「いえ、正也ですよ? 慧がまだ部屋に戻ってないみたいで」

「……気配はよわいけど、もしかしたら……」

 少しだけ焦ったようなトーンでニアがぶつぶつと何かを呟く。何を言っているのかは分からないが、ひとまずニアが止まってくれた事で宵月は安心する。先のニアの言葉が真実にせよ誤認にせよ自分たちが無闇に動くのが正しいとは、宵月には思えなかった。

 学園の教職員は殆どが想造者で、衛醒学園と同様の養成校を卒業した保安想士でもある。だからまずはそっちに相談するべきだと、冷静に考える。

 落ち着いたニアは欄干に掛けた手を降ろし、宵月に向き合って告げる。

「さっき言った魔力の気配、ドロッとしたののなかにケイみたいな魔力もあった」

「それって……」

「もしかしたら、ケイがいっしょの所に居るかもしれない」

 宵月の身体は、考えるよりも先に動いていた。ニアを抑えていた手を離し、ベランダの欄干を片手で乗り越える。

「ニア、気配のする方へ案内してください! 私にはさっぱり分からないので!」

「……ん。こっち」

 宵月を追う形でニアもベランダから地面へ降りる。素足だとかそんな事を気にする余裕は宵月もニアも持ち合わせていなかった。

『ニア、宵月! 先生たちに伝えて、俺もすぐ向かう。少しだけ頼んだ!』

「了解です!」

 声だけはマイクが拾っていたのだろう。辛うじて状況を把握していた正也の張った声がスピーカー越しに聞こえた。その声に頷いて、ニアと宵月は夜闇の中へ走り出す。

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