17.負けヒロインちゃんと主人公未満くん

 無事門限までに学内へと戻った四人は一度寮へと戻り、それから食堂で再集合する。今日の出来事を話のタネにして盛り上がりながら、それぞれ食事を進める。

 その間、慧は平静を装いつつも頭の中では宵月の事しか考えていなかった。不自然にならないようにする外部へのリソ―スと、心を鎮める自身へのリソ―スでいっぱいいっぱいになり、ついさっき食べたものの味もマトモに覚えていない。いつの間にか頼んでいた食事をいつの間にか食べ終えていた。それくらいの感覚。

 皆が食べ終えた後もお喋りはしばらく続く。それに何となく応答して、機を窺う。

 自然と話が一段落つき、全員の呼吸が一致する。

「ふう。そろそろ戻りましょうか」

「だね」

「ん」

「あ、ああ。そうだな」

 宵月の言葉を合図に四人は席を立つ。

 こういう時、宵月は椅子を引きずらずに地面から少し浮かして動かして、それから立ち上がる。習慣付いたその丁寧な動きは四人にとって珍しい物では無い。それなのに、慧の目は自然とそちらを追いかけてしまう。

 食器の乗ったトレイを持って、宵月は返却口へと向かう。

 その後ろ姿を追いかけて、慧が呼び止める。

「あ、宵月」

「はい?」

 足を止めて首だけで振り返る。その動きに合わせて長い髪が揺れる。

「この後、ちょっと良いか? 話したいことがあるんだ」

「? はい、大丈夫ですよ」


     *


 ここでは話しづらいから、と慧は場所を食堂から外の中庭へと移した。夏とは言え、夜の空気はやや肌寒い。顔を上へ動かせば、雲一つない空に星々と月の輝きが見える。

「それで、話って何ですか? わざわざ場所まで変えて」

 少しだけ星空を見上げて、宵月は早速話を進めようとする。話がある、とここまで移動したので当然の反応なのだが。

「その……宵月は、凄いよな」

「……はい?」

 宵月が怪訝な顔をする。

「周囲から比べられ続けて、普通のやつなら折れてもおかしくないのにそれでも諦めずに、自分を信じて歩き続けてる。俺にはそんな事出来ないからさ、本当に凄いと思うんだ」

「……どうしました、頭でも打ちましたか?」

 心配そうな声色で慧の顔を覗き込んでくる。褒められているのにも関わらず、照れなどの感情は一切見えない。

「な、なんだよ、俺からこんな事言われたくないってか」

「いえ、言われたい言われたくないよりも違和感が凄くて……。貴方、本当に慧ですか?」

「失礼だな」

 しかしそう疑問を持たれても仕方ないくらい、柄にも無いことを言っている自覚はある。だからと言って遺憾じゃない訳ではないが。

「御託は良いですから、早く本題に入ってください」

「御託じゃないんだけどな……」

 慧は苦笑いで溜息を吐き、半ば諦める様に決意をする。

 これまでは散々『仲村慧』という人物を取り繕って来た。だがこれからは違う。

本心に素直に。そう変わるための第一歩がこの告白なのに、そこで尻込みをしていては意味がない。

 吐き出した分の息を吸い込む。夜の澄んだ空気が身体の余分な熱を冷ましていく。

 慧がこれまで言えなかった言葉。言おうとしても強固な自我がブレーキを掛けて、喉を震わせる事無く心の内で滞留していた言葉。

「宵月――」

 その一年以上隠して殺して、積もらせてきた想いを、取り繕わない素直な言葉で伝える。

「――好きだ」

「え……?」

「宵月の事が好きだ。絶対に諦めない宵月の姿勢が、何度でも立ち上がる宵月の強さが、俺にとっては憧れで……。宵月の事が大好きだ。俺と付き合ってくれ」

「……」

 宵月は呆然とした顔を浮かべて、それから口の端を緩めた。

「ありがとうございます。慧にそこまで想ってもらえているとは思いませんでした」

 残酷なまでに優しい笑顔の後、ですが、と繋げて言葉を続ける。

「私、好きな人が居るんです。なのでごめんなさい。慧とは付き合えません」

「……そうか」

「はい。本当にごめんなさい。……私の恋を応援してくれる人が居るんです、その人のくれた勇気を、裏切る訳にはいかないんです」

「その恋、どうせ実らないぞ」

「あっ、フラれたからって恨み節ですか? そういう男性はモテないって聞きますよー?」

「違う、ただの事実だ」

「尚更ひどいじゃないですか!」

 つんと唇を尖らせる慧と頬を膨らませた宵月が見つめ合い、馬鹿馬鹿しくなってふっと同時に息を吐く。

 宵月が空を見上げながら訊く。

「……慧は、少しでも可能性があると思っていましたか?」

「なんだ、まだやる気か?」

「真面目に聞いてるんです」

 強めの語気で一蹴する。いつまでもふざけているのも良くない。慧も真剣に考える。

「そりゃあもしかしたら、って気持ちはあったけどマトモに考えたら絶対あり得ない事くらい分かってたさ」

「じゃあその『もしかしたら』を願って、告白してくれたんですか?」

「どうだろ。もし仮にオーケーされてたらこっちから断ってたかもしれん。俺が好きなのは諦めない宵月だからな」

「なんですかそれ。めんどく……無茶苦茶ですね」

 ジト目をした宵月が浅く息を吐く。

「そこまで言ったなら濁す必要あるか? まあ、自分でもめんどくさいなとは思うよ。そもそも告白した当人に告白を成功させるつもりが無いんだから」

「なら――」

 宵月が言いたいことはきっと正しい。勝算の無い勝負なんてしない方が賢い。その末に、今までの関係が壊れてしまうかもしれないという恐怖があれば、なおのこと。

 では何故そんな愚かな行為を出来たのか。慧は既に答えを持っている。

「ちょっとでも近づきたいって思ったんだよ。俺も宵月みたいに自分に素直になって、一歩踏み出したいって」

 それを聞いた宵月は微かに笑う。

「そんなの……卑怯ですよ」

「どうしてだ?」

「そんな事されたら、ますます私の逃げ場が無くなります。慧に好かれる私であるために、私は正也から逃げる事が許されなくなる。そうでしょう?」

 流し目で慧を見つめる宵月。その艶っぽい視線に慧の脈動が早くなる。

「そうかもな。でも、別に俺から好かれる必要なんかないだろ」

「ありますよ。貴方は私にとって大切な相手です。私よりも私の事を信じてくれる、大事な大事な友人です」

「――卑怯なのはお互い様だ」

 今のはトドメに等しい。わざわざ友人という言葉を選んだ宵月の優しさと残酷さが慧の全身を包んで突き刺さる。

「慧に出会ってからですよ、こんなに私が意地悪になったのは」

「それは光栄なことで」

 舌をチロリと出してイタズラっぽく笑う宵月に負けじと、慧も皮肉を返す。自分が宵月の何かを変えることが出来た、そんな歪んだとも言える高揚感は悟られないように。

「まあ、そういうことだから。これからもよろしくな」

「今まで通り、で良いんですね?」

「ああ。フラれたから次の恋、ってなれるようなもんじゃないからな。一緒に組んでるこの人、私の事好きなんだよなーとか思いながら過ごしてくれ」

「絶妙に嫌なので考えませんが。……慧は変わらず、私の事を応援してくれるんですよね」

「ああ。想造者としても、一人の恋する女の子としても応援してるよ」

「良かった。なら私はまだ頑張れそうです」

 儚く呟く宵月。その姿は、もしも慧が宵月の背を押すのを止めれば、そのままここで止まってしまいそうな危うさを感じさせる。

「……ホントに卑怯だな」

 自らを人質に取ってまで、慧からの言葉を求めた宵月には慧も思わず舌を巻く。

「そうです、私は卑怯です。ですから、今のも無かった事にします。慧が憧れてくれている東童宵月はめんどくさくて、ズルくて弱い女の子じゃないはずですから」

「そうだな。俺が憧れたのはもっと凛々しい、一人でもひたすらに前を向ける東童宵月かもしれない」

「幻滅、しても良いんですよ? 今ならまだ間に合います」

「でも、俺が好きになったのは全部ひっくるめた東童宵月だ。強い所も弱い所も、ズルい所も真面目な所も、全部が好きなんだ」

 言っていて顔が熱くなるのを慧は自覚する。それでも慧は言葉を紡ぐのを止めない。

「だから宵月が望むならいつでも、何回でも言ってやる。俺は宵月を応援してる、宵月を信じてる。全部全部、俺の嘘偽りの無い本心だ」

 宵月はパクパクと口を小さく開閉して、何かを言おうとして、言葉の代わりに細い息を漏らす。仕方ないなぁ、とでも言うように安らかな呆れを映す表情。口元は緩やかな弧を描いている。

「ありがとうございます。改めて、よろしくお願いしますね」

 宵月がスッと手を差し出す。

「こちらこそ、よろしく」

 慧は宵月の手を取る。互いの手の温もりが、互いへと伝播していく。

 殆ど同じタイミングで二人の手から力が抜けて、自然と手が離れる。

「それでは、また明日」

「ああ、また明日」

 言葉を一つ交わして、手を振って、互いに背を向ける。

 遠ざかる二つの足音が、月夜の空気に溶けていく。

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