16.主人公くんと負けヒロインちゃん

 夕暮れの道を往く二人。揃った足並みに合わせて、正也の両手にぶら下がった紙袋たちが揺れる。

「荷物お願いしたままでしたね。持ちますよ」

「良いよ。これくらい重くも無いし」

 正也は腕を持ち上げて見せる。鍛えている正也にとってさほど重く無いのも事実だろうが、ニアの――彼女の手前、恰好付けたさもあるのかもしれない。

 宵月は提案を引っ込め、手持無沙汰の両手を後ろで組む。

「ニア、凄く楽しそうでしたね」

「ずっと楽しそうで嬉しい反面、ちょっと心配になるくらいだったよ。どこかで急に電池が切れて突然眠っちゃうんじゃないかと」

「それはもっと小さい子供にする心配じゃないですか?」

 恋人らしからぬ、まるで父親のような目線に宵月は苦笑を浮かべる。

 ちらっと後ろを見れば、少し遠くにニアと慧の姿が見える。何を話しているのかここからでは聞こえないが、二人がギクシャクしている様子も無い。正也に対してだけでなく、本当に自分の手を離れて、今の関係にすっかり馴染んだものだと宵月は妙な寂しさを覚える。それは例えるなら、娘の成長を目の当たりにした母親の心境などが近いのかもしれない。そこまで考えて、宵月の中で合点がいった。

「なるほど。こういう……」

「ん? 何の話?」

「いえ。私も久しぶりにはしゃいだなぁ、と思いまして」

「宵月のあんな声、初めて聞いたかも」

「その話はしてませーん」

「ごめんごめん」

 頬を膨らませる宵月に、笑って謝る。

「でも、宵月も楽しんでくれてたなら良かった」

 どこか他人行儀な正也の口ぶりに宵月は小首を傾げ、それから言葉の真意に気付く。気付いてしまう。薄く開いた口から呼気が漏れ出る。

「もしかしてですけど、自分とニアのデートに巻き込んじゃったとか思ってるんですか?」

「へっ!?」

「図星、ですね」

「……はい」

「別に巻き込まれたとか、そんなこと思ってませんよ。というかやっぱりデートだと思ってたんですね」

「…………はい」

 素直な返答。宵月は胸を突く痛みに気付かないふりをして会話を進める。

「それなら、むしろ私や慧が居て邪魔だったくらいに思うのが普通じゃないんですか? なんでそっちが申し訳なくなってるんですか」

「その、情けない話だけどデートだ、って意識した状態でニアと二人きりはまだどうして良いか分かんないから……二人が居てくれてめちゃくちゃ助かった」

「ヘタレ」

「ぐぅ……」

 的確かつ率直なお言葉に正也は呻き声しか出せなった。

「そういうの、ニアにこそちゃんと話した方が良いですよ」

「女々しいとか、思われないかな」

「その反応がもう……」

 宵月は先の言葉をもう一度重ねようとして、正也の弱った目を見て、手心でやめた。しかし今でも本心からそう思っているし、相手がニアで無ければその奥手っぷりでちょっとした不和が生まれてそうだとさえ感じる。

 だが裏を返せばそれほどまでに大切に想っているという事の証明でもある。それを知れれば、いじらしいと思う事はあってもマイナスな感情に振れる事は無いだろう。

「こういう所で正也が情けなくて女々しくて不甲斐ないからって、ニアは嫌いになったりしませんよ」

「なんか増えて……まぁいいや。そうかな」

「だってあの子はもう、貴方がすっごく優しくていざという時に頼りになる男の子だって知ってるんですから。女の子としてはそれで十分ですよ」

 そう言って宵月は、友人として正也を励ましたくて、そして少しでも女の子として意識をしてほしくて、精一杯の笑顔を向ける。

 夕焼けに照らされている正也の顔が少し強張ったような気がする。少しだけ呼吸のリズムが変わった気がする。そうであれば良いなと思ってしまう。ほんのちょっとだけでも、女の子として可愛いと思って欲しいと、願ってしまう。

 これからは恨みっこ無しだと宣言し合った以上、ニアに対して申し訳ないと思う必要は無い。宵月は心の中で自分に言い聞かせるがそれ以上に、これまでの距離感から一歩詰めた事による恥ずかしさが身体に熱となって込み上げてくる。

 正也の反応を求めるのもそこそこに、堪らず宵月は次の会話を切り出してしまう。

「あ。でも今度のデートは正也から誘ってあげてくださいね?」

 さっきまで我欲を剥き出しにしていたのにも関わらず、パッと口を突いて出たのはニアとの関係を後押しする言葉だった。一ヶ月ほどですっかりこのスタンスが肌に馴染んでしまったな、と宵月は改めて自覚する。

「分かった。……あのさ、ニアが他に行きたがってそうな……ごめん、自分で考えるからその目やめて」

「そうしてください」

 正也に向いていた、呆れと蔑みの混じった眼差しが解かれる。

 正也が沢山悩み考えて、選んでくれた場所ならきっとどこでもニアは喜ぶだろう。確信めいた予想はあるものの、それを外から言うのは野暮が過ぎる。宵月はお節介を焼きたくなる気持ちをグッと呑み込んだ。

「次のデートは、ちゃんと二人っきりで行くんですよ。もう私と慧は付き合ってあげませんから」

 代わりに、そんな事を言ってしまう。

「わ、分かってるって。うん、わかってるワカッテル……」

「心配だなぁ」

 既に緊張こそしているが、正也はちゃんと自分で決めてニアをデートに誘うはずだ。

 デート。今更その言葉が宵月の脳内に反響する。それを呼び水にショッピングモールでのニアとの会話を思い出して、宵月の視線が斜め下へ落ちる。視線の先は、今は紙袋の紐を握っている正也の手。

 宵月は後ろに組んでいた手を解き、少しだけ深く息を吸う。

「荷物、やっぱり持ちましょうか?」

「ん? 大丈夫大丈夫。気に掛けてくれてありがと」

「……いいえ。そんなんじゃないですよ」

 爽やかに笑う正也。宙ぶらりんになった両手を宵月は再び組み直す。自らの身体に沿って真っ直ぐ垂れた右手は、何もない中空だけを握り込む。

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