15.ヒロインちゃんと主人公未満くん

 ショッピングモールからの帰り道。視界の先では宵月と正也が肩を並べて歩いている。夕暮れで伸びた二人の大きな影が慧の足元に掛かる。

「良いのか、二人にしちゃって」

「だいじょうぶ。マサヤはウワキなんてしない。わたしにゾッコンだから」

「久しぶりに聞いたな、その言葉」

 その隣を歩くニアは晴れ晴れとした表情で真っ直ぐと惚気る。おっしゃる通りだと、慧は早々にからかい口調を引っ込めた。

「きょう、ヨツキと話した。これからはお互いにえんりょしないって」

「……あぁ、なるほどな」

 ニアの言葉は過程や事情などを全てすっ飛ばしているが、慧は自分の持ってる情報などから、その話が何に関する物で、どう着地したのか、おおよその形を推察する。

 宵月がニアに自分の気持ちを打ち明けて、また一つしがらみを取り払い、より純粋に正也へと恋心を向けている。

それは宵月の恋路を応援する慧にとっては喜ばしい傾向だ。

「でも遠慮しないって話なら、今も正也の近くにいるべきじゃないのか」

「せーさいのよゆー」

「どこで覚えたんだそれ」

 正妻の余裕。ニアのまったりとした平仮名めいた発音を、慧は脳内で漢字に直す。

 ニアの言う通り、そして今朝の正也の話の通り、正也はニアを心底大切にしている。きっとそれは宵月の告白であったとしても揺らぐことは無い。

 俗っぽさや語彙の吸収元はどこかなど、気になる点はあるものの、表現自体はそう間違った物ではないだろう。

 慧の疑問には答えず、ニアは話題を続ける。

「あと、ケイと話したかったから」

「俺と?」

 宵月と正也を二人きりにするのが本筋だと思っていた慧は、その言葉に面食らう。

「ようふく屋さんのこと。マサヤが何も言わなかったの、たすけてくれてありがとう」

「あぁ。やっぱ分かってたのか」

 やけにニアの反応が早かったので、もしかしたら、とは思っていたがどうやら気のせいでは無かったようだ。

「で、実際もしも正也があそこで褒めてたらニアは怒るのか?」

「んん。ヨツキなら、ちょっとくらいは褒めてもおこらない。……ちょっとだけきずつくかもだけど」

 本音を隠し切れないニアの表情には、嫉妬のムッとした色がほんの少しだけ見える。それが慧には何だか妙に眩しく見えた。

 正也は優しい、だが、少々優しすぎる。それこそ、大切な物をほんの少しすら傷つけないために、他のものへのダメージには気づけないくらいに。

 ニアの話とやらは以上だろうか、それなら前の二人に追い付いて合流するべきだろうか、そんな事を考えている慧に、ニアは新しい話を切り出す。

「あと、ヨツキが言ってた。だいじなのは気持ちをつたえることだ、って」

「おう、それで?」

「ケイはヨツキにつたえないの?」

 眉一つ動かさず、さも当然とでも言うようにニアがそんな事を言った。

 突然の事に、慧は地面を擦るような音と共に足を止めた。ニアもその一歩先で止まるが、ずっと前を歩く宵月と正也は気づいていない。

「……それ、いつから気づいてた?」

「わたしがマサヤに告白して、ちょっとしてから。まずヨツキがマサヤのことをすきなんだって気づいて、そのあとケイもヨツキとおんなじ目をしてるって気づいた」

「目?」

「ん。恋してる目」

「なるほど、わからん」

 ニアの感性は独特だ。慧にその感性は理解出来ないが、ニアはそれで実際に見抜いているのだから、わざわざ否定する意味もないだろう。

 慧はまた歩き出し、ニアもそれに付いていく。

「俺が宵月に告白して、成功すると思うか?」

「むり」

「だよなー」

 ニアの躊躇ない即答に、慧は傷つく振りすら忘れて同意してしまう。

「ヨツキはマサヤがすき。ケイのこともすきだけど、それは恋のすきじゃない」

「気持ちいいくらいに言ってくれて助かるな」

 判断基準は独特でも、ニアの観察眼はついさっき証明されたばかりだ。その観察眼に裏打ちされた無慈悲な追撃に、慧は苦笑いするしかなかった。

「……こんなこと、わたしが言っちゃダメなのはわかってる。でも、わたしはヨツキにしあわせになってほしい」

「ああ、俺もだ」

「だけどわたしはヨツキをしあわせにできない」

「遠慮は無し、だからか?」

「……ん」

 少しリズムを崩した間を空けて、確かな意志で頷く。

「でも、ケイならきっとヨツキをしあわせにしてくれる。わたしにはできないことをしてくれる。だから、わたしはケイのことをおうえんしてる」

 ニアの声が二人の間の空間を静かに揺らす。それを後押しするように、もしくは咎めるように強い風がニアと慧の髪をはためかせる。

「俺も……宵月を幸せにしたい。それこそニアと同じ――いや、ニアにも負けないくらいそう思ってる。宵月の事が、好きだから」

 改めて言葉にすると、慧の心臓はドクドクと激しく脈打つ。

「ん。がんばって」

 ニアはただ一言、そう言った。

 慧がこうして、宵月の事を好きだと誰かに打ち明けたのは初めてだった。

 自分一人で抱え込んでいた想いを外気に晒し、肯定されて、背中を押してもらえる。それがこんなに嬉しいものだと言う事も、初めて知った。

 背中を押されるだけで、それがもし叶わない願いだと理解していても向き合うだけの勇気が生まれるのだと、初めて知った。

 それと同時に、どれだけ無責任な事をしてしまったのかと過去の己を悔いた。

 慧の背中を押したニアの言葉には、いくつもの重みがあった。

 一歩早く前に出た自分が正也を射止めるという確信と、それにより宵月の幸福を一つ奪ってしまうという罪悪感、その代替とも言い換えられる存在を他でもない奪った自分が応援するという傲慢。その全てを呑み込んで、それでもニアは宵月の幸せを願って、慧の背を押してくれたのだ。

 その応援を無下にすることは許されない。

 慧の憧れる人は、それを良しとしないから。


 自分の気持ちに嘘を吐くのはもう終わりだ。

 慧の好きな人も、そうすると決意したから。


 理想を願うだけではなく、自らがその理想に近づけるように。

 視界の先で、正也と話す宵月の横顔が幸せそうに綻んだ。

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