14.変わっていく物、変わらない物
ゲームセンターの隅に設置されたベンチに腰掛ける四人。宵月はニアと慧に挟まれた席で放心状態になっていた。
「ホラーで怖がらない方がおかしいんですよぉ……。ホラーって言ってるんだから怖いに決まってるじゃないですかぁ……」
「よしよし」
自転車のタイヤから空気が漏れる様な弱々しい声で呟く宵月の頭をニアが優しく撫でる。
「というか、ホラー苦手なら何で言ってくれなかったんだ?」
一年以上一緒に居る慧も正也も、もちろんニアも、宵月が怖い物が苦手だとは知らなかった。もしこの事を知っていれば他のゲームを選んでいただろう。勝負とは銘打ちつつも、勝っても負けても何も取り決めの無いお遊びなのだから尚更だ。
慧の質問に、宵月はバツが悪そうに答える。
「だって……怖いのが苦手なんて恥ずかしい、じゃないですか……」
羞恥で顔を赤く染める宵月。よほど恥ずかしいのだろう、瞳は潤んで熱を帯びている。
そうして黙っていた結果大きな声を上げて、ああも取り乱していたのでは意味がないのでは。そう思いながらも、慧と正也は口にしなかった。
「それで叫んでたらいみない」
「ううぅ……、返す言葉もありません……」
ニアは容赦なく口にする。宵月の口から呻き声が漏れる。
「皆が居るなら大丈夫かもって思ったんです……。それに、折角ニアがやりたいって言ってる事に水を差したくなかったですし……」
「怖いのを怖いって言うのは、水を差すとかそういうのじゃないような」
「だな」
「ん」
正也の言葉に慧もニアも肯定する。
「ヨツキが、みんなが楽しい方がわたしも楽しい。だから、ヨツキも無理してかくしたりしないで」
「……はい、これからはそうします……」
いつもながらの平坦なトーンの中に潜む、本心からの言葉であるが故の熱のようなものを感じた宵月はぐったりとしながらも確かに頷いた。
「ん。ならおっけー」
ニアは優しく微笑んで、もう一度宵月の頭を撫でた。
「……慧」
「なんだ?」
「いっぱい叫んだら喉が渇きました。申し訳ありませんが、お茶か何か買ってきてくれませんか?」
「はいよ」
先のニアの言葉を受けてか、やけに素直な宵月の言葉に少しにやけながら、慧はベンチから腰を浮かす。
それに続いて正也も立ち上がる。
「あ、俺も行くよ。ニアも何か飲むか?」
「じゃあ、マサヤのおすすめ」
「難しい注文だなぁ。分かったよ」
苦笑しながらも正也は頷く。
「んじゃ行くか」
「おう」
正也と慧がベンチから離れていく。
その背中を見送る間も、ニアの手は宵月の頭に添えられていた。
「ニア、もう大丈夫ですから。ご心配をおかけしましたね」
「ほんとうに? もう泣かない?」
「さ、さっきだって泣いてはいませんからね!?」
「そっか」
かなり泣きそうだった事は伏せて精一杯に抗議する宵月の頭から、ニアは口惜しそうに手を退けた。
「でも、ヨツキがああいうのにがてとは思わなかった。ごめん」
「謝らないでください。悪いのは黙ってた私の方なんですから」
しゅんとした顔をするニアに、宵月は笑って返す。ニアにそのつもりは無いのだろうが、この話を続けるのは宵月にとって居心地が悪い。
気にしてませんよ、という意味も込めて宵月は早々に話題を変えに掛かる。
「そんなことより、デ……お出掛けはどうです? 楽しいですか?」
「ん。すごく楽しい」
「それは何よりです」
「……ヨツキは? 楽しかった?」
少し言いにくそうにしながらも、ニアは首を傾げる。
「もちろん。さっきのも併せて、こんなにはしゃいだのは久しぶりなくらいです」
「よかった」
安心したニアが脱力してベンチの背もたれに体重を預ける。本当に心配してくれていたのだな、と宵月は改めて嬉しくなる。
二人の間に心地の良い静寂が流れ。それから少しして、宵月がポツリと訊く。
「……正也とは、どうですか?」
「どう?」
ニアが小首を傾げる。
「そろそろお付き合いして一ヶ月でしょう? 何かこう……進展とかはあったのかなって」
「……ちょっと前、初めて、手……つないだ」
「……告白する前、正也に抱き着いてませんでしたか?」
「あ、あれは思わず抱き着いちゃっただけで……あらためて手をつなぐのはちがう」
恥ずかしそうに頬を染めて呟くニアに拍子抜けしつつも、宵月は内心で羨ましさを覚える。それは手を繋ぐ行為そのものに対する気持ちでは無く――少しも羨ましくない訳では無いけれど――きっと正也も同じくらいその時のことを大事にしているのだろう、という事が容易に想像出来たからだった。
こうして話を聞く事は出来てもそれは出来事を知っただけに過ぎない。
二人が初めて手を繋いだ、その一瞬一秒の記憶と世界の煌めきは正也とニア、二人だけの物だ。他者にはどうしたって踏み込むことは出来ない。そんな瞬間を共有している事、それが何とも喜ばしくて、やっぱり、羨ましい。
「ヨツキ」
「はい?」
「ごめんなさい」
そう言ってニアは視線を落とし、手を膝の上で所在無さげに緩く組む。
宵月はその手を自分の手で包み込む。
「もう……。どうしてまた謝るんですか? ニアが謝る事なんか、一つも無いんですよ」
「でもヨツキもマサヤの事がすきなのに、それに気づかないでわたしが先に言っちゃった」
罪悪感からか、ニアの言葉はどんどん尻すぼみになっていく。
「えー、じゃあ、私に正也を譲ってくれますか?」
「それは……だめ」
包み込んだ手の中でニアの手に力が入るのを感じて、宵月は微笑む。
「どうして? 悪いな、って思ってるなら私に譲ってくれたって良いじゃないですか」
宵月自身、これが意地悪な言い方だと分かっている。
「それでも、ダメ。正也はわたしの大切な人だから」
そして、こんな言葉でニアが折れたりしないのも分かっている。
「――ニア、覚えていますか? あなたがここに来た頃のこと」
「え?」
「貴方、最初は私にしか心を開いてくれなくて、凄く苦労したんですよ? どこに行くにもわたしにベッタリで、正也や慧に対しても警戒心全開で」
「……ん」
――それは四月の初め。春休みから同室で過ごして打ち解けたニアと宵月。新学期の初日に、宵月は正也と慧にもニアを紹介しようと三人を引き合わせた。
『はじめまして、わたしはニア・ルキルシア。よびかたはニアで良い。よろしく』
いつものように毅然とした態度でニアは正也と慧に自己紹介をした。ただ、その間には宵月が立っていて、壁にでもするように顔を半分だけ宵月の陰から出している。
『あ、あぁ、よろし――』
困惑しながらも正也が握手をしようと手を伸ばすと、半分だけ出ていた顔が全部宵月の裏に引っ込む。それはさながら、危険を察して巣穴に戻る小動物のようだ。
正也は壁にされている宵月の顔を見る。当然、宵月も困った顔をするしかなかった。
『……』
少しして、様子を窺うようにニアの顔が出て来たので正也は今度はゆっくりと手を伸ばす。が、変わらずニアはすぐに宵月の後ろに引っ込む。
それを見ていた慧は呟く。
『――無理だな』
『無理っぽいな』
正也も納得した様子で頷く。
『む、無理じゃないですから! ね、ニア? ちょっと緊張してるだけですよね?』
すっかり背中側に回り込んだニアを少々首に無理のある角度で見ながら、宵月はニアに意志を確認するが、ニアはふるふると首を横に振っていた。
『……無理みたいですね』
その日はお開きとなり、結局ニアが正也たちと普通に話せるようになったのは一週間ほどしてからの事だった――。
脳内に同じ出来事を思い浮かべて宵月は楽しそうに、ニアは少し恥ずかしそうに口元を綻ばせる。まだ三か月ほどしか経っていないのに、何だかずっと昔の事のようにさえ思える。
それくらい色々な事が変化した。
それはニアだけでなく宵月も慧も正也も、事の大小や、表に出る部分なのか本人の内側だけで処理される物なのかも様々だが確かに変化した。
「そんなニアが今は私よりも大事なものを見つけてくれた、それが何より嬉しいんです」
この気持ちに嘘偽りはない。宵月がニアを想う気持ちは間違いなく本当の物だ。
「――と、今までならここで終わってたんですが、もう隠すのは止めます」
でも、まだ言っていない気持ちもある。それを伝えなければ自分は、ニアと前に進めない。宵月は包み込んでいた手を離し、姿勢を正してニアに向き直る。
「聞いてくださいニア。やっぱり私、正也の事が好きです」
「……うん。しってる」
「冗談なんかじゃなくて、本当にニアから奪ってしまいたいくらい、大好きなんです」
「それは……しらなかった」
ニアが僅かに目を見開いた。ニアは言外の意思を汲もうとはするが、言葉の裏を読もうとはしない。それはあえてしないのか、そもそもそういう考えが無いのかは分からないが、それ故の素直な反応に宵月は何となく嬉しくなる。
「それで私、決めました。醒夏祭が終わったら、私は正也に告白します。今までずっと好きでしたって、全部全部伝えます」
「……ん」
迷いのない宵月の言葉にニアは何を言うべきかわからず、ただ曖昧な返事をするだけになってしまう。
宵月が正也に告白をする、それによりもたらされるであろう未来はニアか宵月のどちらかが恋人として選ばれ、そしてどちらかが選ばれない結末だ。そこには恋愛における勝者と敗者が絶対に発生する。
そうなれば、ニアと宵月は今までの様な仲では居られなくなってしまうかもしれない。今までだって、宵月の意志によって薄氷が保たれていただけだとついさっき知ったばかりだ。ではその支えがなければどうなるか。ニアはそれが怖かった。
今まで無理を強いてしまっていた立場で言えたことでは無いと思いつつも、宵月と仲違いをして、離れてしまうのが怖い。でもそれと同じくらい、正也への想いも手放したくない。二つの相反する気持ちがニアの中を渦巻く。
「ですからニアはこれまで通りでいてください。私に譲ろうとしたり、自分から身を引いたり、そういう事はしないでください」
そのため、予想外の宵月の発言にニアの頭は更に混乱する。
「……? 話がヘン。ヨツキはマサヤがすきだから、わたしはいない方がいいはず」
「何言ってるんですか。ニアだって正也と同じくらい、私にとっては大切なんです。そんな悲しい事言わないでください」
「で、でも、ヨツキがマサヤに告白して、それから……どうすればいいの?」
「どうもしなくて良いんですよ。もちろん、色々と変わることはあるでしょう。それでも、私たちは一緒に居ましょう」
恋か友情か、その取捨選択を出来るほど宵月は器用ではない。現に、一度試みて恋煩いのお手本の様に調子を崩した実績がある。
「同じ人を好きになって、どちらかが結ばれて、どちらかはフラれて。それで羨ましいな、良いな、って正直に言って、諦めきれなければまたアタックすれば良いんです」
だから宵月は貪欲に、恋も友情もどっちも諦めない道を選ぶ。
「ですから、まずは正也に選んでもらいましょう。ニアか、私か。ちゃんと告白して、ちゃんと選んでもらって、それからがスタートです」
深い闇を晴らす一点の光の様な清々しい表情で、宵月はニアに手を伸ばす。
互いに泥沼を演じたい訳でも、互いが嫌いな訳でも無い。ならば、きっとこれが一番健全な決着の付け方だ。どっちが我慢したりせず、どっちかが申し訳なさを抱える事も無く、対等な親友で、対等な恋のライバルで居られる。
宵月の提案から一呼吸おいて、ニアがその手を取る。
「……ヨツキの方が先にすきだったのに、ほんとに良いの?」
「好きになるのに早い遅いなんて関係ありません。大事なのはそれを伝えてるかどうかです。というか、さては自分が選ばれる気でいますね?」
「ん。だってマサヤもわたしのことをたいせつに想ってくれてるから」
「おや、言うようになりましたね」
「ヨツキが言った、しょうじきでいようって」
互いに少しムッと頬を膨らませて、顔を見合わせて、
「――あははっ」
「――ふふっ」
笑い合う。こうして笑えることが何よりも楽しくて、何よりも嬉しかった。
そこに丁度、飲み物を持った正也と慧が帰って来る。
「ほら、買って来たぞ――って、楽しそうだな?」
「ニアまでそんなに笑って、何かあったのか?」
「女の子だけの秘密です。ですよね、ニア?」
「ん。ヒミツ」
そうして揃って目線を合わせる宵月とニアの目尻には、透明な雫がキラリと光っていた。
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