10.ソワソワ イチャイチャ

 翌日、ショッピングモールのエントランス。休日で多くの人が行き交うそこで、慧と正也は人を待っていた。

 今日は宵月、ニアの女子組と慧、正也の男子組は意図的に出発時間をずらしている。同じ学園の敷地内に居るのだから一緒に出る事も出来たが、宵月の提案で男子二人が先に行って女子二人を待つ事になっている。大方、正也とニアのデートという側面を意識してのことだろう。

 エントランス端の壁近く、正也が上擦った声で問う。

「なあ、俺変じゃないかな? どっかおかしい所とかないよな……?」

 昨夜遅くまで正也の「何を着たら良いか分からない」という相談に乗っていた慧にとって、その台詞と服装は何度聞いて、見たことか分からない。もっと言うのなら今朝、寮を出る前にも同じことを聞かれた。欠伸を噛み殺しながら率直な感想を返す。

「ずっと辺りを見回してソワソワキョロキョロしてるその動き以外はマトモだ。安心しろ」

「真面目に聞いてるんだよぉ!」

 肩を掴まれ、ガクガクと揺さぶられる。なので慧もその手を掴み、言い返す。

「こっちも大真面目だから、さっさとその不審な動きを止めろ!」

 さっきから周囲の視線の痛さったら無い。ショッピングモール内に入ってくる人が軒並み、正也たちから距離を取って膨らむような進路を選んでいる。

 正也の動きがピタリとが止まった。慧の肩から手を離し、今度はゆっくりと周囲に目を配る。横を通るお客さんと目が合い、気まずそうに素早く目を逸らされた。

「……悪い」

 そう言って正也は肩身を縮こまらせる。さっきまでとは打って変わって、床の一点を見つめて動かなくなってしまった。

「……」

「…………」

 緊張なのか反省の意なのかは分からないが、そこまで静かになられるとなんだかちょっと悪い事をした気分になってきた。

「そういや、ニアとはどうなんだ? 付き合ってから一ヶ月経つんだし何かあったのか?」

「へっ? 急になにさ」

 正也の顔が勢いよくこちらを向く。

「ルームメイトに彼女が出来たらその動向くらい気になるだろ」

「そうかもだけど、今聞く?」

 照れとおかしさを混ぜ合わせたような表情で正也は笑う。

「その……手、繋いだ」

「小学生か?」

「誰がウブで女の子との距離感が掴めない小学生だ!」

「そこまでは言ってない」

 顔を真っ赤にして噛み付いてくる正也。自分でそこまで言葉を補填出来る辺り、自覚はあるのだろう。

「……ホント、どう接したら良いのか分かんなくてさ。俺だってその、色々考える事はあるけどやっぱり何よりもニアの事を大事にしたい、って気持ちが一番で、そう思うと何も行動に移せなくて――って、なんか違う話になってるな? これ」

 恥ずかしそうに頬を掻く。話を終わらせようとしているのだと分かりつつも、慧は更に踏み込む。

「良いだろたまには。それじゃあ、正也はどうしてニアと付き合ったんだ」

「……今日はやけに聞いてくるな」

 無言で続きを促すと、存外素直に話してくれた。

「そうだなぁ……。やっぱり、ニアが俺の事を好きだって言ってくれたから、になるのかな。ニアの事はその前から可愛いとかは思ってたけど、付き合いたいとか好きとか、そういうのでは無かったから」

 今でも付き合うってどういう事なのか分かってないけど、と付け足して曖昧に笑う。

「じゃあもしニアに告られてなかったら?」

「付き合っては無い、と思う」

「贅沢な身分だこって」

 大袈裟に肩をすくめて見せる。

「でも本当に贅沢な話だよ。誰かを護れただけじゃなくて、その相手に好きだなんて言ってもらえて……。だから決めたんだ、ニアの事は絶対に護り抜いてみせる。誰にも傷つけさせたりなんてしない」

 一分の曇りもない眼。ちょっと前まで慌てふためいていたのと同じ人物とは思えない穏やかで、けれど強かな声。

 それは自分自身を誰よりも信用していない慧には至れない強さだ。そんな正也の強さを慧は素直に尊敬し少しだけ、憧れる。

「ニアは幸せ者だな」

 好きな人にここまで想ってもらえて嫌なはずがないだろう。慧は正也を称賛する。

「そう、かな。そうなら良いんだけど」

 はにかみ笑いながら、正也は慧の言葉を半分だけ受け止める。

「わたしはすごくしあわせ」

 そして受け流された分を補強するように、二人の間に立つニアが肯定を重ねた。

「ニア!?」

 真っ先に声をあげたのは正也だ。居ないと思っていた人物が居た事への驚きが最初に出て、それから少し遅れて焦りの表情に変わる。

「ん」

 名前を呼ばれたのでニアは律儀に返事をする。だが正也はそれどころではない。

「ちょ、ちょっと待って。どこから聞いてた?」

「そんな事より見て欲しい」

 さっきの言葉を聞かれていたかもと気が気でない正也に対し、ニアは身体すらあまり動かさず淡々と質問を投げる。

 正也としては一刻も早く真相を明らかにしたいところだがニアの言葉を無視する事も出来ず、冷静さを取り繕う。

「見て欲しいって、なに、を……」

 そうしてようやくニアの服装を視界に捉えた正也は言葉を失った。

 正也の脳内に浮かんだのは、広大な草原に咲く一輪の花。お淑やかで、可憐で、綺麗な小さな白い花。自らを強く主張する訳でも無いのに、周りの全てがニアを魅せるための背景になってしまうような、そんな印象を抱かせる真っ白のワンピース。

 正也にまじまじと見られて気恥ずかしいのかニアが少し身体をよじると、それに合わせてスカートの裾がふわりと揺れる。

「……どう?」

 ニアが上目遣いで見つめる。緊張か動揺か、正也はいつもよりも張った声で答える。

「か、可愛い! 凄く可愛い!」

「ん……。よかった」

 ホッと息を吐いて、口元で緩やかな弧を描く。安堵交じりのその微笑みは今のニアの装いに良く映える。正也は言わずもがな、周りの人々からも先程までとは違う好意的な視線が注がれているのが分かる。

「作戦成功ですね、ニア」

 背後から声が聞こえた。宵月だ。

 ニアが来ているので、一緒に寮を出ているはずの宵月も近くに居る事は想像出来ていた。どこか誇らしげな声のした方へ振り向く。そこには予想通り宵月の姿があった。

 慧が宵月の私服を見るのは初めてではない。だから大袈裟に驚いたりすることは無いがそれでもいつも見ている制服姿と異なる、普段からの清廉な雰囲気はそのままにオフ特有の緩さをいつもより大胆に加えたような私服姿にはドキリとさせられてしまう。今だって自らの心臓が高鳴るのをハッキリと感じていた。

「ん。だいせーこー」

 ニアの表情が一層明るくなる。

「この服、ヨツキからもらったの」

「そうだったんだ、ありがとう宵月」

 改めてニアの姿を褒め、宵月に感謝を伝える。

「私が小さい頃に着てたお下がりなのでちょっと不安でしたが、二人ともお気に召したようで何よりです」

 ニアと正也の好感情を受けて、まるで自分の事のように喜ぶ宵月。

 二人のデートをサポートすること。今回の宵月の目標はそこにある。そしてさっきから正也の視線と意識はニアにばかり注がれている。それで良い。想定通りだ。

 心中で宵月はそう唱えて、自分も正也から今日の格好について何か言って欲しかった、という気持ちを押し殺す。今日の主役はニアと正也であり、自分ではない。それを宵月は理解していた。

「さて、それで最初の目的地は?」

 全員が揃い一段落したところで、話を進めようと正也が舵を取る。

「ショッピングモールって、何があるの?」

「あれ? 行きたいって言ったのニアでしたよね?」

「本で読んだから。友達でショッピングモールにおでかけするの」

「あー、なるほど」

 ニアが良く本を読んでいて、それに影響されやすいのは三人にとっての周知の事実だ。なのでその言葉だけで全員が納得した。

「ならとりあえず歩いてみて気になる所があったら寄る、って感じでどうかな?」

「だね」

「そうしましょうか」

「ん」

 それぞれ肯定を示し、ひとまずの方針が決まる。ショッピングモールの中へと進んでいき、自然とニアと正也の二人が並ぶ。

「今はどんな本読んでるんだ?」

「ふつうの、へいわな人たちの話。セーシュングンゾーゲキ、って書いてあった」

 そんな話をする後ろを慧と宵月が歩く。宵月は仲睦まじい二人を眺めており、慧からの視線には気づかない。

「宵月」

 前の二人が気にしない程度の声量で慧が宵月を呼ぶ。

「どうしました?」

「……ってるぞ」

「はい? すみません、もう一回お願いします」

 言葉の前半部分が聞こえず、宵月が聞き返す。

「……似合ってるぞ、今日の服」

「……ぷっ」

 慧からまさかそんな事を言われると思っていなかった宵月は思わず小さく噴き出した。

「お、おい。笑う事無いだろ」

 勇気を出した慧としては不本意かつ想定外の反応に一気に恥ずかしさが込み上げてきた。

「だって急に真剣な顔して何を言うのかと思ったら……ふふっ」

「あーもう、無しだ無し。忘れてくれ」

「ごめんなさい、驚いただけですから。……お気遣いありがとうございます」

「え?」

 宵月は前を一瞥して声のトーンを落として続ける。

「私も正也に何か言って欲しい、って考えてたのを分かってわざわざ言ってくれたんですよね?」

「それは……」

「いきなりでビックリしましたけど、正直ちょっと嬉しかったです」

「……なら良かった。こっちも慣れない事した甲斐があった」

 喉元まで出掛かった言葉を呑み込んで、宵月の思い違いに便乗した。その方が都合がいいと判断しての事だ。自分にとっても、きっと宵月にとっても。

 気遣いじゃない、本心だ。なんて言葉は自分の口からはどうしても出てこられない。正也のように少しでも真っ直ぐに自分に向き合えたら、それはやはり自分には叶わない理想なのかもしれない。

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