6.阿吽の呼吸

 醒夏祭の予選は複数の訓練場で並行して行われるが、予選の決勝及びその先の本戦は一つの会場で順番に行われる。そのため観客席にはこれまでよりも大勢の生徒が集まっており、行事としてもいよいよ本格的な盛り上がりを見せ始める。

 その内の第一試合、正也とニアの出る試合が今、始まろうとしていた。

 静謐な空気の中、試合開始のブザーが鳴り響く。

 開幕一番、正也は自らの創像武装を天に突き上げた。

 正也の創像武装、それは日本刀。薄く細く強かな刀身を携える柄から、炎が噴き出る。

 刀身を覆い隠し、なおも止まらない灼熱は一本の柱となり、スタジアム上に聳え立つ。

 正也が想造者として最も得意とするもの、それは炎。あらゆるものを巻き込んで、より強く燃え上がる熱い炎、それこそが正也の精神性の具現である。

 この事はこれまでの試合でもはや誰もが知るところだが、それでも対戦相手と観客を圧倒したのはその力の規模だった。天井を焦がさんばかりに伸びる紅い柱は、会場全体の視線を釘付けにする。

 まるでこの一撃で持てる全てを使い切るような、後先を考えない魔力の放出。

 高く立ち上る炎は、手元の僅かな揺れに追従して同じ様に揺らめく。それはまさしく、巨大な刀身に等しい。

「はああああああああああ!」

 裂帛した威勢と共に、正也は遠く離れた対戦相手目掛けて焔剣を振り下ろす。あまりに大味なその一撃は左右にあっさりと躱され、そのままの勢いで地面に激突する。広いスタジアムを端から二つに分断した焔剣は大地で爆発し、白煙に姿を変える。

スタジアム全体を覆う煙幕の中、再び一筋の白熱の輝きが迸る。

「まだ、まだあああああああああ!」

 初撃と変わらない魔力量の一太刀が、スタジアム全域を薙ぎ払うように真横に振り抜かれた。

もはやビーム兵器とも呼ばれるべき斬撃を放った刀からは、急速に熱が失われていき元の刀身が姿を見せる。

 魔力を使いすぎたのだろう。正也もふらつき、その場でたたらを踏む。

 そんな隙だらけの正也に、立ち込める白煙を飛び出して一人の男が斬りかかる。

「っ!」

 良く見れば、槌を振りかぶる男の左腕には厚い水の膜が張られており、それによって先の一撃を防がれたのだと理解した。しかし理解したところで、正也にはどうする事も出来ない。既に応戦するだけの魔力は無く、体重を預けている刀を構え直す時間も無い。

 ただ立ち尽くす正也の身体を、男の槌の様な創像武装が叩き潰す――事は無かった。

 それは何故か。理由は簡単だ。それよりも前に、想造者本人の意識が刈り取られ、想造者の精神によって創られる創像武装が存在を保てず霧散したのだ。

 意識を失った相手は重力の任せるままに倒れ込む。地面に臥した男の背中の左上と中央部にはそれぞれナイフが突き立てられている。

 倒れた男のすぐ後ろ、そこにはニアの姿があった。ニアは男の背からその小さなナイフを引き抜く。勿論これも創像武装であるため、歪な形状をした凶悪な刃に血は付いていない。

 ニアの創像武装、それは一対のナイフ。小柄なニアの手にもすっぽりと収まるサイズ感のナイフは、まさしく暗器と呼ぶに相応しい。

「よし、作戦成功だな」

「ん」

 魔力由来の白煙は徐々に空気に溶けていき、視界が晴れる。初期位置からさほど離れていない場所に、もう一人の相手の姿を見つける。

 正也とニアの足元に倒れる仲間を見て、彼はすぐに状況を察した。

「くそっ!」

 吐き捨てる様に叫んで、素早く駆ける。手に持つのは長槍。地面を跳ねるように距離を縮め、二人を丸ごと貫かんと鋭い刺突を放つ。

 それをニアは、左手のナイフで軌道を最低限の力で僅かだけ逸らして無力化し、右手のナイフを相手の右胸に滑らせる。胸骨の狭い隙間をすり抜け、的確に心の臓へと差し込まれた刃は有無を言わさず相手の意識を消し飛ばした。

 制御を失った身体がその場に倒れ込む。

『試合終了。醒夏祭予選Aブロック勝者、浅見正也、ニア・ルキルシア』

 勝負の決着を報せるアナウンス。それに続いて、会場から拍手と歓声が沸き起こる。

 盛大な拍手を浴びながら、正也とニアは目を合わせ、小さく笑い合った。


     *


 試合会場の控え室。そこには次に試合を控えた一組だけが入る事になっており、スタジアムを映したモニターも備えられていて、現在行われている試合を確認することが出来る。

 天井に埋め込まれたスピーカーからアナウンスが流れる。

『試合終了。醒夏祭予選Aブロック勝者、浅見正也、ニア・ルキルシア』

 モニターを見つめていた宵月がホッと息を吐く。

「正也たち、無事に勝ちましたね」

「だな。とんでもない試合のおかげで、こっちのモニターが殆ど機能してなかったけど」

「試合の八割が煙幕で見えませんでしたね」

 愚痴をこぼす慧に賛同して、宵月も苦笑いを浮かべる。

 慧たちに見えたのは最初の一振りと、その後の白煙越しの閃光、煙が晴れたあとの一瞬の応戦だけ。だが、それだけで何が起きたのか、どういう目論見の元で行われた行動だったのか、大体の予想は付く。

「さっきの試合、完全にニアのための試合でした」

「初っ端から派手な攻撃で注目を正也に集めて、その後に煙幕で視界を潰す。こうなれば自然と相手の意識は正也に向けられる。その上ダメ押しであんな攻撃されたら、余計にだ」

 正也の行動は全て、威力よりも視覚的なインパクトが重視されていた。事実二撃とも、対戦相手のどちらにもダメージを与える事は出来ていない。相手は二人とも、魔力を用いて上手い事直撃を防いだのだろう。

 だが大事なのはそこではなく、あくまでもあれらは陽動で、本命を通すためのブラフでしかないという事だ。

「視界も悪く、自分は相手の意識の外。ニアにはお誂え向きの環境ですね」

 長い間暗殺者をやらされていたニアにとって、醒夏祭のような形式の正面戦闘は本領ではない。相手に存在を気取らせず、ただ静かにターゲットに死をもたらす。暗殺者の本分はそういった隠密行動にある。

 ニアと戦った事のある二人は、戦闘中に見失ったニアを知覚することが如何に難しいかを知っている。視界を遮る煙幕などが無くても見つけるのは難しく、概念態によるダメージ特有の視界のチラつきを以て、初めて自分が攻撃されたのだと理解する。

 想造者として自己の存在の隠匿を得意とするニアの隠密行動は、その域の代物だ。

「本当に見事な連携です。去年、正也と私では本戦に届きませんでしたが、あっさりと勝ち抜いてしまいましたね」

 寂しそうに、あるいは羨ましそうに宵月が声を漏らす。

「なんだ、嫉妬か?」

「そうですよ。私、二アの事が羨ましくて仕方ないんです」

「……」

 物憂げな表情で、けれど明るくそう答える宵月に慧は言葉を返せなかった。

「なんですか、聞いてきたのは慧でしょう?」

「いや……、何かしら否定される前提で考えてたから驚いてる」

「でしょうね。何なら自分でも違和感が凄いです」

 何故か自慢げに胸を張る。

「でもこんな事言えるの慧だけですから。ちょっとだけ、見逃してください」

 いつもより少しだけしんみりとした調子でそんな事を言うものだから、慧の脈拍はそれに反比例するように微かに速くなる。

「俺だけって、そんな大げさな」

 慧の脳内に一人の名前が浮かび、そう言えば聞きたい事があったなとついでに思い出す。

「ニアはどうなんだ? というかニアには気づかれてないのか?」

 ニアの洞察力は並外れているし、それに加えて二人は寮で同室だ。勘付かれる機会は多そうに思える。

「ああ、それはバレてます。ニアと正也が付き合い始めて三日した頃ですかね、二人の時に突然、ヨツキもマサヤが好きなの? って聞かれました」

「相変わらずドストレートな……。それで?」

「好きだ、ってハッキリ答えました。ここで誤魔化すのは誠実じゃない気がして」

 分かるような分からないような、微妙な感覚だ。慧は首を捻る。

「自分も正也が好きだと言った上で、二人の事を応援するとも伝えました」

「じゃあやっぱりニアも――」

「ニアの事が凄く羨ましくてほんの少しだけ妬ましい、なんてことは流石に言ってません」

 慧が言い切る前に反証を示される。

「東童家への情念も、正也への恋心も、ニアへの羨望も、私が押し殺してきた想いを全部知ってくれているのは正真正銘、慧だけですよ」

「そう……か」

「もしかして、面倒くさいとか思われてます?」

 渋い顔をする慧に、宵月は少し声のトーンを落とした。

「んな訳あるか」

 慌てて否定する。

 むしろその逆だ。宵月にとって唯一の人物である、その特別感で高揚する心を表に出さないよう、さっきから必死で抑え込んでいる。

「なら良かったです。こうして何も隠さずにありのままで話せるの、正直新鮮で楽しくて」

 言いながら、宵月は無邪気に笑う。

 現在における周囲からの視線がどうであれ宵月は名家の生まれで、れっきとしたお嬢様だ。それ故に小さい頃から社交場などに顔を出す事も多かったようで、大人びた所作や礼節が身に沁みついている。言い換えれば良くも悪くも、普段の立ち振る舞いから子供らしさは感じられない。

 だからそんな宵月の歳相応とも言える屈託の無い笑みに、慧の胸は余計にざわめく。

 有り体に言えばめちゃくちゃ可愛いし、めちゃくちゃ嬉しい。この笑顔が自分にだけ向けられている、その事実に多幸感が止まらない。

 いよいよ自分の意志だけでは顔のニヤケを抑えられそうに無いので、右手の親指の爪で人差し指の側面を強く刺して、痛みで均衡を保つ。

「俺なんかで良いならいくらでもガス抜きに使ってくれ」

「じゃあお言葉に甘えて、もう少しだけ素直にならせてもらいますね」

 一拍。丁寧に息を吸う。

「あの時の感謝を伝えられていなかったの、気がかりだったんです。なので改めて……。私を信じ続けてくれてありがとうございます。貴方が居なければ私はきっとあのまま腐ってしまっていました。慧が私の隣に居てくれて、本当に良かった」

 そう告げて真っ直ぐにこちらを見つめる双眸に、慧は何かを答えようとして、

『まもなくBブロックの試合を開始します。出場者は移動をお願いします』

 試合進行を報せるアナウンスが聞こえた。

「よし。行きましょうか」

「……そうだな」

 勢いよく椅子から立ち上がる宵月に続いて慧も席を立つ。

 控え室からスタジアムに向かう通路で宵月の背中を見ながら慧は思う。きっと、あのアナウンスが無くても自分は何も言えなかっただろう。聞きたかった言葉を聞けた喜びと、理想を押し付ける事しかしない自分への自己嫌悪が喉でつっかえて、声が出なかった。

 ――ああ。なるほど。何もかもを曝け出している相手に自分だけが隠し事をしているというのは、確かに不誠実な気持ちになる。宵月の言っていた言葉の意味を、慧は身を持って実感した。


     *


 試合開始のブザーが鳴る。宵月は全速力でスタジアムを駆ける。やはり速い。

 自らの精神を武器にする想造者にとって心の状態は、何よりもずっと直接的に結果に響く。完全に復調した今の宵月には、不調だった頃の様子は欠片も感じられない。むしろ、不調になる前よりも動きにキレがある。

 宵月の行動は相手も予想していたようで、開幕すぐに魔力によって創られた氷柱や石塊の雨が宵月に向けて射出される。

「これくらい……っ!」

 宵月は道を阻む悉くを打ち払い、切り落とし、無理矢理こじ開けたほんの少しの間隙を縫って前へと進む。相手に剣先が届くまであと数歩。

 このままだと攻め切られると判断した相手が攻撃の手を緩めて後ろへ飛び退く。宵月はその隙を逃がすまいと脚に力を溜める。

その時だった。宵月に暗い影が落ちる。

「宵月! 上だ!」

 先に気づいたのは慧だった。叫び声に反応して言われるがまま宵月が見上げると、そこには巨大な氷塊が迫っていた。潰されれば一たまりも無い。そんな事を改めて考えるのがバカらしいくらいに大きな質量の氷塊。

宵月はすぐに回避行動を取ろうとするが足が動かない。足元を見ると、岩によって足首まで地面に接着させられていた。引き剥がすのも無理ではないが、それよりも氷塊が落ちてくるのが先だろう。

「このっ!」

 慧が氷塊目掛けて雷を数度飛ばすが、若干を削るだけで氷塊自体はビクともしない。

 堪らず舌打ちをしてしまう。何かに突出した一般的な想造者の能力と、器用貧乏な慧の能力では往々にしてこういう事が起こる。そもそもの出力量が違いすぎるのだ。

 慧が己の無力を呪っている間にも、氷塊は重力に引かれて落下を続ける。

 そして宵月を押し潰して接地する――寸前で静止した。

 ピシッ。

 続けて澄んだ高音が響いて、氷塊にヒビが入る。そのヒビは一番下から天に昇る様に上へ上へと広がっていく。そして頂点まで到達して、氷塊が爆ぜた。

 散った氷片がプリズムのようにキラキラと輝く。

 その輝きの真下から一つの人影が飛び出し、唖然とする二人を一刀の元に切り伏せた。

 意識を断たれた二つの身体が、力無く倒れる。

『試合終了。醒夏祭予選Bブロック。勝者、東童宵月、仲村慧』

 勝負の決着を報せるアナウンス。それから一間置いて、会場に拍手と歓声が沸き起こる。

 慧は宵月の所へ駆け寄る。

「宵月……マジか」

 最早笑うしかないと、引き攣った半笑いを浮かべている慧に対し、

「おや、貴方は信じてくれているんじゃなかったんですか?」

 そう言って宵月も笑い返した。

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