5.こいわずらい
醒夏祭は予選と本戦に分かれており、参加選手はランダムにブロックごとに振り分けられる。そこでトーナメント戦を行い、最後まで勝ち残った一組が本戦へ出場出来る。
そうして学園内の精鋭たちが覇を競う本戦は、学園外からの注目も高い。今後の日本の平和と秩序を護る人物がどんな者なのか。現職の保安想士は勿論、世間一般から各所のお偉方まで、広くからの興味の的となる。
自らの力量を周囲に示し、認めさせようとするならば少なくとも本戦出場くらいはしないとまず話にならない。
つまり宵月にとって予選は通過点でしかない。というよりも、ただの通過点でなくてはならない。目指すべきは、優勝ただ一つ。
色眼鏡を抜きにしても宵月の力量は高い部類に入る。そして同じ予選ブロックにはさしたる実力者の名前も無い。ならば不安な要素は自分が宵月の足を引っ張る可能性くらいで、それさえ無ければ予選は危うげ無く突破できる。慧はそう思っていた。
だからこそ、宵月の不調に誰より焦りを感じていたのも慧だった。
*
衛醒学園第二訓練場。醒夏祭の予選試合が行われる会場の一つであり、場内は今も盛り上がりを見せている。
その熱の外、選手控え室近くのロビーに慧と宵月は座っていた。試合を終えたばかりの宵月の顔には若干の疲れの色が見える。
「大丈夫ですか、慧」
「ああ……」
「お水、要ります?」
「いる……」
慧はバテバテの身体でペットボトルを受け取り、未開栓のキャップを捻って一気に呷る。くたびれた喉を冷えた水が心地良く流れていく。
「――っはあ! 生き返る……」
「今日もお疲れ様でした。でも、もっと体力をつけないと今後も大変ですよ?」
想造者の戦闘は純粋な運動量の他に、魔力という形で精神力を使うため通常の運動よりも心身ともにずっと疲労が溜まる。それなのに若干程度の疲れで済んでいる宵月の方がおかしいのだ。そう思うものの、言葉にするのも億劫なので甘んじて宵月の忠告を聞き入れる事にした。
慧のポケットに入れていたスマホが振動する。別の会場で試合をしているはずの正也からメッセージが届いた。
どうやら試合順の関係で先に白星を上げた後、こっちの客席まで来て自分たちの試合を見ていたらしい。その旨を伝える文章の最後に一言、宵月を心配する言葉があった。補記のように書いてはいるが、こっちが本旨である事はすぐに分かった。
「正也から。無事に勝ったってさ」
だから慧は本旨以外を伝える。直接聞いたところで、はぐらかされるのがオチだ。メッセージは少し考えて、何も気の利いた言葉が浮かばなかったのでとりあえず、大丈夫とだけ打って返信した。
「流石はあの二人ですね」
いつものような柔和な表情で二人の勝利を称える。
「私も、もっと頑張らないと」
そう意気込む宵月の姿はぎこちなく、強張りが見える。
「……こんな所で負ける訳には行かないもんな」
「ええ。私は優勝しないといけないんです。それが、私の目標なんですから」
まるで自分に言い聞かせるような虚飾を感じさせる声は、慧の心にモヤをかける。
というのも予選が始まってからのここ数日、試合中の宵月には失態が目立つ。
それも一人での無策な突撃や相手の能力への対処を間違えたりなど、どれも普段の宵月ならしないようなミスばかりだ。宵月の地力や慧の対応力で何とか勝ちはしているものの、先の事を考えればこのまま見過ごすのが正しいとは思えなかった。
これで本人としては、不調を隠し通せているつもりなのだから声の掛け方も難しい。万全とは言えない脳で考え、答えを弾き出す。
「宵月、その……何かあったか?」
盛大に間違えたと思った。こんな宵月の姿を見たのは初めてで、困惑していた上に疲労も重なっているとはいえ、あまりにも芯の無い質問をしてしまう。
この聞き方では流石にはぐらかされるだろう。また機を見計らって聞いてみるしかない。そう考えていた。
「……気づかないフリ、してくれませんか?」
だから、困ったように笑う宵月の返答を聞いて慧はその悠長な考えを捨てた。宵月は想像以上に思い詰めている。それこそ簡単な誤魔化し文句すら口に出来ない程に。
「正直、そう言われなきゃ今この場は誤魔化されても良かったんだけどな」
「ああ。それは勿体無い事をしました」
力無く微笑する宵月。
「……慧には散々迷惑を掛けましたね。まずは謝らせてください。すみません」
ベンチから立ち上がって深々と頭を下げた。たっぷり三秒の後、ゆっくりと顔をあげる。
「それで、えっと……その……今から言う事、笑わないでくださいね?」
「うん? おう」
さっきまでの真面目な雰囲気を残したままに、熱を感じさせる表情で釘を刺した。宵月は一呼吸おいてから、
「私、正也の事が好き……なんです……」
蚊の鳴くような声でそう告げた。恥ずかしさからだろう、耳の先まで真っ赤に染まって、眼はやや潤んでいる。
「……知ってるよ」
そんな事は前から知っている。それこそ、始まりの瞬間からずっと。
宵月が恋に落ちたその時から、宵月の恋が成就するように陰ながら支えてきた。宵月の手が望む未来を掴む事。それが慧の望み。だから心の準備はとうに出来ている。そのつもりだった。
けれども初めて宵月本人の口から聞くその言葉は重い衝撃となって、慧の心を強く撃ち付けた。だがそれを悟られる訳にはいかない。辛くとも平静を装うのにはもう慣れている。だから今更何かを取り繕う必要も無い。いつもの様に慧は返す。
「とっくに知ってるよ、そんなの」
「驚きましたよね、実は……。って、え? へ?」
「宵月が正也を好きな事くらい、前々から知っている」
「……冗談、ですよね?」
「正也が気づいて無いのが冗談だろってくらい分かりやすいぞ」
「本当ですか?」
「マジ」
「うそだぁ……」
短く答えると、宵月は手で顔を覆ってしまう。
掌の隙間から声にならない、悶えるような声が漏れ聞こえてくる。追撃する気は流石に起きなかったので、話を進める。
「それで? まさか恋煩いで戦えません、って訳じゃないだろ?」
「……違います、と言い切れないのがまた嫌ですね」
顔の覆いを解いて自嘲的な溜息を一つ。
「独りで闇雲に姉さんの背中だけを追い続ける私に、新しい道を指し示してくれた。独りじゃないって、正也が手を差し伸べてくれました。そんな人は初めてだったから、私はそれが凄く嬉しくて、その隣に並び立てたら、ってそう思うようになったんです」
ミシリと、慧は心が軋む幻聴を聞いた。分かっている。人を惹き付けるカリスマ性も、他者を照らすだけの優しさに満ちた輝きも、正也にはあって自分が持ちえない物だ。別に宵月は自分を嫌っている訳じゃない。むしろ、友人として篤い好意を持ってもらえている。その事はしっかりと理解しているがどうしても、あの日の宵月の瞳に映る姿が正也ではなく自分だったら、と卑しくも思ってしまう。
混濁する慧の胸中に宵月は気づかず、続ける。
「ですが今、その場所にはニアが居ます」
「……ニアが憎いのか?」
「そんな訳ありません」
あえて選んだ強い言葉を、それよりも力強く否定される。それは慧の予想通りの答え。
「ニアはここに来るまで、ずっと辛い思いをしてきました。だからこれからは沢山幸せになって欲しいんです」
宵月の言葉に慧も異論は無い。だが、それは宵月も同じであるはずなのだ。宵月だってニアと同様、報われるべき過去を背負っている。
「心から祝福したい。二人の恋を応援したい。なのにどうしても自分の気持ちを諦めきれなくて……。最近、ずっと考えてしまうんです。あの二人にちゃんと負けられれば、この気持ちに諦めをつけられるかもしれない、って」
そう溢す宵月の顔は、とても安らかだった。もう全てを受け入れてしまっている。そういう穏やかな微笑。
「ダメですよね。皆さんにあんな大口を叩いておいて、心の内では負ける事ばかりを考えていたんです」
「そうだな。それこそ冗談だろ、って話だ」
「……ええ。返す言葉もありません」
慧の酷烈な口調に傷つく様子も無く、ただ静かに首肯する。
「だから諦めるなんて、絶対に許さない」
「え?」
「醒夏祭の優勝も、正也への想いも、諦めさせたりなんてしない」
慧は毅然とした態度でそう言い切る。罵声でも浴びせられると予想していた宵月はキョトンとしている。
「どういう、つもりですか」
「そのままだよ。優勝だってするし、正也に告白もしてもらう」
突然の展開に宵月は取り乱し、大声で反論をする。
「む、無茶苦茶です! それに、正也に告白をした所で成功する訳がありません!」
「まあ十中八九、無理だろうな」
今の正也にはニアという心に決めた相手が居るし、正也には二股出来るような器用さも軽薄さも無い。フラれるのはほぼ確実だ。
「ならっ!」
「でも、今更自分の意志だけじゃ諦めきれないだろ?」
「それは……」
図星だったのか、宵月は気まずそうに視線を逸らす。
正也がニアと付き合いってから約一ヶ月。きっと何度も自分でけじめを付けようとしたのだろう、諦めようと決心したのだろう。だが、どうしても気持ちを捨てきる事は出来なかった。だからこうして、外部に決意を任せようとしている。
その気持ちは痛いほど分かる。慧自身、そんな葛藤はこの一年間で嫌になるほど繰り返してきた。そして未だに諦められていない。宵月の恋路を応援すると決めたつもりでも、ふとした瞬間、心の片隅で諦めきれない自分が顔を出してしまう。
きっと片思いとはそういうものなのだ。
「それに、負けるつもりで戦ってたんじゃ勝てるものも勝てなくなる。ならせめて、フラれようとも醒夏祭には優勝してやるくらいの気概で臨まないと勿体無い」
「勿体無いって……醒夏祭の事を何だと思ってるんですか」
訝し気な表情で宵月が問う。
「東童家最高の想造者、東童宵月の通過点の一つだな」
さも当然の様にそう言うと、宵月は数度目を瞬かせた後、呆れ半分といった様子で僅かに、けれど強かに笑う。
「それ、本気で言ってますか?」
「ああ」
今更確認されるまでも無い。ずっと本気で信じ続けてきた事だ。
「さっきまであんなに弱気で、情けない姿ばかり見せてきたんですよ?」
「ならこれから巻き返せば良い」
それに自分の方が何倍も情けない。宵月に諦めるという選択肢を選んで欲しくなかった。それだけのエゴで、慧は自分が選べていない道を宵月に選ばせようとしている。一年以上、自分はフラれるだけの覚悟を決められていないのに、それを宵月には決めろと迫っている。
「……今でも誰かに背中を押してもらいたくて、大丈夫だと言って欲しくてこんな問答をしているんですよ?」
「じゃあそのまま言ってやる。宵月なら絶対に大丈夫だ」
その言葉に根拠なんて無い。自分に出来るのは無責任に背中を押す事だけ。憧れの存在に、憧れであり続けてくれと願う事だけ。
慧は自分の醜悪さに呆れる。宵月を立ち直らせるための言葉はいくらでも言えるくせに、自分の恋情を伝える言葉は一向に喉を震わせようとはしない。
そんな体たらくだから余計、宵月に心惹かれてしまう。
「ああ……。ここまで言わせてしまったら、もう退けませんね。こんな私に期待してくれている人が居る。それを裏切る事だけは絶対にしたくありませんから」
どれだけ悩もうとも、どれだけ苦しもうとも、最後には自分の気持ちに嘘を吐くことなく、真っ直ぐ前を見据える事が出来る。一歩を踏み出すことが出来る。
その姿を慧は好きになったのだ。自分では決して辿り着く事の出来ないその強さに憧れたのだ。
「それにもしかしたら正也だって、ニアより宵月の方が強いって分かったら案外コロッと落ちるかもしれないしな」
胸の内で膨らむ感情に気づかれまいと、軽口が口をついて出る。
「そんなに簡単だったら良いんですけどね」
一分の可能性も無いよもやま話だと分かっているから、宵月は溜息交じりに笑い飛ばす。その表情にはもう先ほどまでの様な翳りは無い。
「……まぁ、そんな人じゃないから、私は好きになったんですが」
ボソリと、ここに居る誰に聞かせる訳でも無く、けれど嬉しそうに呟いた。
「今のは聞かなかった事にした方が良いやつか?」
「分かってるなら聞かないでください」
そう言って宵月は立ち上がる。
「慧、今から一戦、出来ますよね?」
「選択肢すら無いのか」
醒夏祭の期間でも、トレーニングルームの使用は認められている。そこで快気祝いという訳じゃ無いが、肩慣らしに剣を交えようというつもりだろう。
慧は依然としてダルさの残る身体に鞭打って立ち上がる。この手の精神由来の疲れは筋肉痛や外傷とは異なり、ある程度までは一晩グッスリ寝れば翌日まで症状を引きずらないので、明日の試合に響く事も無い。
慧が立ち上がったのを見て、宵月は満足そうに歩き出す。
「こういう時、慧はちゃんと付き合ってくれるって分かっていますから」
「そうかい」
実際その通りな上に、どんな形でも宵月が自分の事を理解してくれているのが嬉しかった、なんてバレるのはあまりにも格好悪いので余計な事は言わずに、曖昧な返事で濁した。
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