3.月の満ち欠け

 あの後、正也とニアも交えて順繰りに模擬戦を行い、身体的にも精神的にも疲労を背負った慧たちは食堂に来ていた。学園の食堂は営業時間内なら自由に使用が許されているため、夕食には少し早い今頃でもまばらに人の姿がある。

「さて……」

「何悩んでるんだ?」

 食堂に備え付けられたテレビから流れるニュース番組をバックに、壁に貼られたメニュー表とにらめっこをしている慧に正也が後ろから声を掛ける。

「新メニューに挑戦してみるか、定番どころでお茶を濁すか……。正也ならどうする?」

「真剣な顔をしてると思ったらそんなことか」

「そんな事とは何だ。俺の心持ちに関わる大事な問題だぞ」

 慧は至って真面目に説く。

「ここで日和って安全択の定番メニューを頼むと、俺はちょっとの冒険すら出来ない臆病者なのか、と自嘲気味になってテンションが下がる」

「なら新メニューの方を頼めばいいんじゃないか」

「かといって冒険して俺の舌に合わなかったら冒険するんじゃなかったな、ってテンションが下がる」

「相変わらず厄介な思考回路を……」

「厄介とか言うな、テンション下げるぞ」

「何の脅し文句なんだ、それ」

 呆れ顔を浮かべて軽く笑う。そんな事を言いつつも、先に行こうとはせず足を止めている。こんなやり取りになんだかんだでも付き合ってくれる辺り、本当に人が良い。

 浅見正也の事を一言で表すのなら好青年という言葉が良く似合う。爽やかな顔立ちに、穏やかな性格で我が強い訳でもない。そのくせ困っている人を見ると見過ごせず、自分の身を差し置いても助けようとする。保安想士を目指すのも、誰かを護れる人間になりたいから。そういうタイプの人間だ。

「正也はもう決めてるのか?」

「うん」

「じゃあ同じのにするか」

「大事な問題とやらを人に任せちゃって良いのか?」

「良いんだよ、食事なんて腹に入ればどれも一緒だ」

「さっきまでの力説が一気に意味無くなったなぁ」

「別に嘘じゃないぞ。ただそれよりも今は空腹が勝っただけで」

「はいはい。でも、テンション下がってもこっちのせいにしないでくれよ?」

「それはないから安心してくれ」

 カウンターで調理員の人に正也と同じ物を頼み、一足先に座っていた宵月とニアに合流する。ちなみに正也が頼んだのは、ボリューム満点の唐揚げ定食だった。

「ごめん、お待たせ」

「んん。らいひょうぶ」

 フォークを口に咥えたままニアが答える。手前の皿にはジャンクな赤色をしたナポリタンが盛られている。

「みたいだな」

 正也が顔を緩ませる。

「すみません、先に頂いてました」

「良い良い。時間掛けてたのは俺と正也の方だし」

「慧の優柔不断に付き合ってただけだけどね」

 宵月たちの正面の席に並んで座る。椅子を引く音に混じって、テレビからやけに耳に残る警告音のようなメロディが鳴った。

画面は旬の食べ物の特集からスタジオへと切り替わり、真面目な面持ちのニュースキャスターの元にバタバタと原稿が手渡され、それを淡々と読み始める。

「速報です。本日正午頃に発生した、想造者複数名による銀行立てこもり事件。犯人が従業員や利用客を人質に取っていた事からしばらく膠着状態が続いていましたが、現場に駆け付けた保安想士の東童朝陽氏が犯人グループを無力化。そのまま確保となりました。人質も無事に解放され、この事件による怪我人は居ないとの事です」

口早にそれだけを伝えると番組は元の進行へと戻り、何を食べたのか分からないグルメレポーターの幸せそうな表情が映し出された。

「やっぱすげぇなぁ、東童朝陽」

「単独突入で複数人を相手にして、それで被害ゼロだもんな」

「歴代の保安想士でもトップクラスの想造者犯罪の検挙率だって話だぜ」

「流石は名家、東童家の生まれだ」

 離れた席に座る生徒たちが話を弾ませる。憧れの存在の輝かしい功績を称える無邪気で明るい声。

「…………」

 宵月は手に箸を持ったまま、テレビの方を見て動かない。その瞳は先ほどの生徒たちのように煌びやかな光を宿してはいなかった。

「宵月」

「あ……すみません、ちょっとボーっとしてました」

 慧が呼びかけると、宵月はハッとしてからはにかんだ。

「アサヒって、やっぱりすごい人なの?」

 いつの間にかナポリタンを食べ終えていたニアが口の端にケチャップを付けたまま、小首を傾げる。

「凄い人、なんて言葉で括って良いのか迷うくらいには凄い人ですよ」

 ニアの口をティッシュで拭いながら、宵月。

「というか、本人から聞いてないんですか? 確か保護されてから三ヶ月くらいは一緒に住んでたんですよね」

「ん。ヨツキとアサヒが姉妹ってことはおしえてもらった」

「それ以外……東童家の事とかは聞きませんでしたか?」

「トウドウ……ヨツキとアサヒの上の名前?」

 ニアは本当に知らない、と言った調子で疑問気味に答える。

「間違っちゃないな」

「だね」

「本当に間違ってないだけじゃないですか……」

 宵月は呑気な反応をする男子二人に軽くツッコむ。

「そうですね、ええと……」

 説明をしようとして、宵月は逡巡の後に閉口する。自分の口からどう言ったべきか悩んでいるのだろう。尊大な物言いにはしたくないが正しく伝えるためにはそうもいかない。もしかしたら朝陽もこれを嫌ってニアに何も話さなかったのかも、と一瞬考えてしまうくらいには、丁度良い言い方が思いつかない。

そんな、言葉に詰まっている宵月の代わりに慧が口を挟む。

「東童家ってのは世界的に活躍する想造者を数多く輩出してきた、日本における想造者の名家だ。そんでもって、宵月たちはその名家の由緒正しきお嬢様」

「ヨツキ、お嬢様だったの? 知らなかった」

「まあ……一応は」

「おおー」

 ぽっかりと楕円に口を開けて感心した様子のニアに、宵月は照れの混じった愛想笑いを返す。それから慧に諫めるような視線を向けるが、慧は気づかない振りをした。

「姉さんはその東童家の長女で、若くしながら様々な作戦の前線を任される超優秀な保安想士です。それこそ、海外の犯罪組織を壊滅させる作戦が持ち上がった際、国を超えてお呼びがかかるくらい」

 そう言って、ニアを見やる。

 ニア、フルネームをニア・ルキルシア。透き通るような銀色の髪を持つ小柄な少女は、幼い頃に両親を亡くし、それから約半年前まで海外の犯罪組織で暗殺者として働かされていた。だが組織の壊滅に伴い、そこから解放された。

 ニアの働かされていた組織の壊滅作戦、それに駆り出されたのが宵月の姉である、東童朝陽だ。解放されてからは、本人の意志と様々な援助によって日本にやってきて、保安想士の養成校である衛醒学園に、二年次から籍を置いている。

 もちろん、無理矢理とは言え悪事を働いていた人物を無警戒に編入させる訳には行かず、編入手続きを成立させるまでにはそれなりの時間とかなりの手間を要した。その間、身寄りのないニアは組織壊滅作戦で前線を張っていた朝陽の下で監視兼保護をされていたのだ。

「とまぁ、姉さん――東童朝陽の凄さに関してはこんな所ですかね」

 宵月は手をパンと叩いて、場の空気を切り換える。

「あまり長話をしていても、ご飯が冷めちゃいますし」

 そう言って宵月は微笑む。きっと宵月としてはちゃんと笑えているつもりなのだろう。そういう無理が滲んで見える笑い方。

「……」

 ニアにはその過去ゆえに人との真っ当な関わりが少なく、コミュニケーションが不器用なところがある。だがその一方で暗殺者として培われた観察眼によって、人の感情の機微を読む事には長けていた。そして頭も良く回る。断片的な情報を組み合わせて結びつけるのも得意。

それらのちぐはぐな噛み合いから、ニアは数段飛ばしでコミュニケーションをとることがたまにある。

「……ヨツキ」

「はい?」

「ヨツキはアサヒのこと、きらい?」

 それは、丁度このように。

 宵月の反応や言葉から朝陽との間に何か確執のようなものがある事には気づいても、『ならば触れないでおこう』ではなく、『どうして辛そうなのだろう』『何か助けになれるかもしれない』という優しさ故の気持ちが先行して、それをオブラート無しの直球ど真ん中に質問を投げる。ニアとはそういう人間なのだ。

「……いえ、嫌いなんて全然。むしろ昔からずっと尊敬しっぱなしで、自慢の姉です」

 ニアと出会ってから三ヶ月以上、それは宵月も分かっているので呆気に取られつつも、気を悪くすること無く答えた。

「でも……そうですね。丁度良い機会ですしもう少し、姉さんと私の話をしましょうか」


     *


 食べ終えた食器を下げ、席に座り直す。コップの水を一口含んでから宵月は話し始める。

「先ほども言った通り私たちの家、東童家は優秀な想造者を多く輩出していて、そこで産まれた私たちも当然、想造者としての才覚を期待されて育てられました」

 想造者の能力は血筋に影響される点が大きいとされている。慧や正也のように、両親が共に想造者でなくとも能力が発現する事はあるが、片方でも想造者ならば多くの場合その子供も想造者としての力を持って産まれてくるらしい。

「そして姉さんは幼い頃からその期待を裏切る事無く、それどころか期待以上の素晴らしい力を発揮し、今も第一線で日々活動を続けています」

 東童朝陽。現代の日本において、彼女の名を知らない人はごく少数だろう。類い稀なる魔力操作のセンスに加え、見る者の目を奪う美貌と悪を決して赦さない強い正義心を兼ね備えたエリート中のエリートだ。

 だが輝かしい話とは裏腹に宵月の顔は明るくない。陰を落とした表情の中、口元だけが僅かに上がって笑顔を保とうとしているのが尚更その曇りを際立たせる。

「そんな立派な姉さんの後に産まれた私の事を周囲は『朝陽の妹』としてしか見てくれませんでした。常に私の上にかつての姉さんの姿を重ねて、私にもそうであれと期待していたんです。でも私はそれに応えられなかった。知っていると思いますが、私は魔力の扱いがどうにも苦手で、どうしても姉さんのようにはなれませんでした」

 自嘲気味に笑う宵月。その視線が一瞬だけ慧を見た。

「期待以上の姉に対し期待外れの妹だった私を見てくれる人なんて居なくて、ずっと独りぼっちで、私は姉さんのようになれなかったダメな子だと、そう思い続けてきました」

「そんなことない」

 言葉を遮るようにニアが声を出す。

「アサヒはアサヒですごい……んだとおもう。でも、ヨツキはヨツキですごい。だから、ヨツキがダメな子とか、そんなことはない」

 どこまでも真っ直ぐで、ひたすらに純粋なニアの言葉に宵月はパチパチと目を瞬かせ、そして笑みを浮かべる。

「ありがとうございます。……そしてごめんなさい。ちょっとズルい言い方をしちゃいましたね」

「え?」

 今度はニアが目をぱちくりとさせる。

「実はニア以外にも、私に同じ言葉を掛けてくれた人たちが居ましてね」

「そう、だったんだ」

 ニアの表情に安心の色が浮かぶ。自分以外にも、自分の友達を心配してくれる人が居て良かった。そんな温もりに満ちた顔を慧は直視出来ず、混み始めたカウンターに漫然と視線を逃がした。正也も同じようで、何もない方向を向いて頬を掻いている。

「私は姉さんのようにはなれない。だからこそ姉さんには無い、私だけの何かを見つければ良いんだ、って。ですよね、二人とも?」

 愉しそうな弾んだ声色の宵月。その眼は慧と正也を交互に見つめる。

「…………まあ、言った……かな」

 しばらく口を噤んで押し黙っていたが、その視線と空気に耐え切れず正也が蚊の鳴くような声を漏らした。そろそろ観念するしかなさそうだ。

「そうだな」

 はぁと深く息を吐いて肯定する。

 去年、まだ慧たちが一年生だった頃。入学したての宵月は姉である朝陽への劣等感や周囲からの圧力で常に気を張っており、近寄りがたい雰囲気を放っていた。

 そんな中で三人はちょっとした衝突を繰り返しながらも、やがて互いに信頼出来る友人同士となり、結果として宵月は苦しみから解放された。

 そしてその過程で、確かにさっきのような事も言った。その事は慧もしっかりと覚えているし、正也も同じだ。

 あれは自分たちにとって欠かすことの出来ない大切な出来事だと、慧は自信を持って言える。

 その一方でこの話は出来るだけ掘り返したくなかった。宵月との大切な過去を無かった事にしたい訳ではない。だが、あの時の自分たちの口から出た歯の浮くような台詞を思い出したくない。この一点に尽きる。

 雰囲気と空気に流された過去の自分を呪っていると、宵月は優しく微笑んだ。胸の中を渦巻く恥ずかしさが収まるまではそっちを向くまいと決めていた意志が簡単に揺らいで、その可憐な笑みに目が惹き付けられる。

「二人があの日の事をどう思ってるのか。私には分からな……いやまぁ大体分かってるつもりでいますが、それでもあの言葉は私にとっては凄く嬉しかったんですよ。私をちゃんと東童宵月として見てくれる人が居る、そのことだけで私は救われたんです」

「別に特別な事を言った訳じゃない」

 照れ隠しでそんな風に言ってしまう慧に、宵月はつい笑みをこぼした。

「ふふっ、そうですね。だって、これから皆が知るんです。東童は朝陽だけじゃない、宵月も凄い想造者なんだ、って。その一歩として私は、今回の醒夏祭で――優勝してみせます」

 そう、宵月は声高に宣言した。

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