告白

 中学三年生のわたしが、演劇部の脚本担当として最後の公演を臨むその一カ月前になって部を追いだされたその理由。


 まだ篠宮さんには話していませんでしたよね。軽トラがどうのこうのと出鱈目言って誤魔化していました。覚えてくれていますか? 

 ですよね、きっとそう言ってくれると思っていました。あれはもう忘れてください。実のところ、あんなふうに揶揄してくる男の子たちとの悶着なんてなかったんです。わたし、嘘つきですね。


 どこから話せばいいんでしょう。結論から、ええ、手短にまとめてしまうのであれば、あっ、そんなのできないでしょって顔していますね。そうですね、なんだかんだ話が長くなってしまいますからね、わたし。

 って、こういう前置きがいらないんでしょうね。

 えっと……演劇部をやめたわけ。それはある意味で、篠宮さんと似たような経験があったからなんです。中学生のときの篠宮さんと、です。

 つまりは恋愛沙汰ってやつです。ありふれた出来事。ただ、そうですね、役者が少し変わっていました。少しだけ。マイノリティという意味で。


 わたしは公演に向けて後輩を指導していたんです。

 例のあたためていた台本での公演が成功したおかげで、わたしがトラと一時的に呼ばれていたのは嘘ではなく、一転してわたしは校内でそこそこ有名な生徒になって、入部してきた一年生たちも、わりかし羨望を向けられもしたんですよ。

 それで他の部員に言われるがままに、可愛いひよこちゃんたちの指導を生意気にもしていたんです。日に日に、わたしから何か教わろうとする人は減りました。厳しかったんです。いえ、言葉足らずですね。わたし、理不尽でそれに気まぐれな指導ばかりをしちゃっていたんです。

 もっと言うと、調子の乗ってしまっていたんでしょうね。

 だから全然うまくいかなかった。

 

 自分よりも背の高い一年生を不条理に妬んでいたつもりはないですが、とにもかくにも信用は落ちていく一方でした。

 結局、わたしは台本さえ書けばいい。演出面での助言をしてくれればいい、って風潮が部内で出来上がりました。ついでに触れておくと、どんなにわたしが一度、成功を収めた台本を作成していたからって一番に輝いていたのは舞台に立った演者のみなさんで、わたしは裏方なのは間違いなかったんですよ。


 そんなわたしに、一人だけ熱心についてくる一年生の女の子がいました。

 藍沢先輩に教えてほしいって。まっすぐに。事あるごとに、そんな剛速球のストレートをわたしに投げ込んでくるものですから、わたしも断らずに付き合ったんです。結果として放課後に彼女と過ごす時間が長くなりました。藍沢先輩じゃないとダメなんです、そう言いだした頃には「手遅れ」だったんでしょうね。その時に至ってもなお、わたしは彼女の気持ちを理解できずにいましたが。


 察しのいい篠宮さんならおわかりですよね。

 その子なんです。その時点では他に誰か、男の子が介入してくることなしに。

 その女の子が、わたしにとっての中学最後の公演一カ月前に告白を、ええ、愛の告白をこのわたしにしてきたんです。

 

 びっくりでした。もしも公演予定の劇が恋愛ものであったなら、その役を演じて遊んでいると、冗談なのだと笑ってあげられもしただろうに、公演予定の劇には恋愛要素はありませんでした。

 演技一切なし。等身大の彼女が、わたしにその想いをぶつけてきたんです。

 びっくりでした。あ、さっきも言いましたね。


 わたしは……ごめんなさいと答えました。あなたの好きに答えられないって。彼女は「もしも私が男の子だったら違いましたか?」と聞いてきました。

 怖いぐらい真剣な眼差しで、今も忘れられない表情で。わたしは……わからないといいました。だって、わからなかったんです。でも、彼女にしてみれば、そして後々、冷静になったわたしからすると明白でした。すなわち、わたしは彼女を恋愛対象として見たことが一度もない。その子が男の子だったら、なんて仮定できっこない。そうあってほしいと思ったことは一度もなかったんです。


 彼女にとっての失恋。

 そこで話が留まれば、わたしは演劇部に居続けていたでしょう。

 でも、そうはなりませんでした。


 


「篠宮さん」


 ベッドに横たわり目を閉じたまま、藍沢さんが私の名を呼ぶ。ベッドのそばで、彼女の手を握り続けている私の名を。


「なに? ちゃんと聞いているわ。大丈夫、ここにいる」

「ですよね。この手の温かさは、幻じゃないですよね」

「そう。……続けて。全部聞かせて」


 前に彼女の昔話を聞いたときとは逆に、私は促す。聞きたいと、そう感じた。この子が抱えてきたものを。


「彼女からの告白から数日経って、その子の様子が変であるのに気がつき相談に乗ったのは部長の男子でした。もしも彼が冷たい人であったなら、と仮定してもしかたないですね。

 詳細は省きます、なにしろわたしですらその全貌、経緯を隅々まで知っているわけではないのです。起こったこと、作り上げられた状況としてはシンプルでした。わたしが悪者。ふふっ、ちっちゃな暴君。やっと人喰いトラの怖さを彼らは知ったようでした。わたしは、ええ、わたしがそのいたいけな女の子を傷つけたということだけがあたかも歴然とした出来事として皆に広まったのです」


 その子の気持ちに応えられなかった。

 それだけなのに。藍沢さんに罪はないはずなのに。

 その部長の男子がきっとお節介で、正義感があって、もしくはその女の子に下心でもあったのか、とにかく藍沢さんにとって悪い状況へと導いていった。


 ひどい。私がそう言ってしまわないのは、藍沢さんがそうは言わないから、泣き言を口にしないから。たぶん、と私は考える。たぶん、この子は罪悪感を抱いている。彼女の気持ちを理解できなかったことに対して。多少なりとも。その未知に触れるのを拒んだのを。


「そうしてわたしは、演劇部を追い出されました。時間をかけて居場所になったそこは、誰一人、味方のいない場所になってそれで……弱いわたしは逃げ出したんです。そうです、これはわたしの弱さです。彼女とよく話し合って、いいえ、彼女だけではなく皆と話し合い、誤解を退け、たとえ傷つき合っても明るい未来を目指すべきだったんです。わたしは傷つきたくなかった。出ていってほしいと言われて、安堵さえした。離れられるって。そう思ったんです」


 彼女が咳をする。目を開け、上半身を起こして咳を続ける。でも手は離さない。だから咳がそのまま漏れる。私は空いている手で彼女の背をさする。

 やがて咳が治まる。彼女の顔色は悪い。その目にいつもの活力がない。これまで私を何度も見据えてきて、時に吸い込まれそうにもなるあの瞳ではない。


「――――ここからが本題だって言ったら、笑いますか」


 藍沢さんが枯れた声で言う。


「どういう意味?」

「あの時と同じなんです」

「あの時?」

「ええ、図書室のときと」

「えっと……」


 どういうことだ。じゃあ、ここまでは前振り?


「話していなかったトラの件。つまり逃げたわたしと、とある少女の失恋の一件は前置きに過ぎません」

「じゃあ本題って……?」

「それは――――元気になってから言いますね」

「は?」


 彼女が笑みをつくる。

 私の間抜けな顔を見たかったと言わんばかりに、得意気に。


「こんな勢い任せで言うのは嫌ですから。だから、元気になって、それで演劇がうまくいって、篠宮さんの最高の笑顔を見ることができて、わたしが……もう逃げないって心を決められたそのときは、伝えます。ですから、それまでどうか待っていてください。お願いします」


 深々と。頭を下げた。

 私は戸惑いながらも、今日はこれ以上詮索しても無駄だと確信する。いや、ちがう。今、私には彼女の言う「本題」について、ひとつ想像していることがある。

 けれど、それを言葉にしてしまうわけにはいかなかった。


「わかった。待っている」

 

 私も渇いた声で答えた。うまく声が出てこなかったのだ。平常心を保てず、変わらぬ私を演じるので精一杯だった。


「ただ、今はチャンスだと思うんです」

「え?」

 

 何度、間の抜けた声を私に出させるつもりなんだ、この子は。

 藍沢さんは指を絡める。ぎゅっと。離しはしないと声を出さずに示してくる。


「今日の篠宮さんは甘いので、もう一つだけ我儘を言ってもいいでしょうか」


 この目だ。

 いつも以上に藍沢さんらしい瞳が返ってくる。そこに浮かんだ熱と色に私はぞっとする。ううん、そんな不快感ではなく、そうよ、これは悪寒でも恐怖でもなく、魅了されてしまったのだろう。


「なによ」

「そんな身構えなくても。普通のことですよ」

「……なによ」

「そろそろ名前で呼び合えたらなぁって」

「え、そんなこと?」

「むしろ今のところ、誰も篠宮さんを名前で呼んでいないのが奇跡ですよ」


 照井さんもなぜか遠慮しているし、他の先輩たちも苗字で呼んでくる。例外が生じるとするなら、生徒会の二人だ。あの二人は藍沢さんを名前で呼ぶから。


「もしかすると、みんな、私の名前覚えていないのかもね」

「夕暮れの夕に、夏風邪の夏で、夕夏。素敵な名前ですよね」

「夏風邪を引いて、夕暮れに寝込んでいるのはあんたでしょ」


 夕暮れとするにはまだ日は高いけれど。


「花恋」


 私は試しに彼女の名を口にする


「ひょわぁっ」

「なんて声出しているのよ」

「と、突然すぎますよ。心臓が飛び出すかと思いました」

「あんたの名前はそんな恐ろしい呪文なわけ」

「もう……ずるいですね、篠宮さんは」

「呼びなさいよ」

「へ?」

「あんたも……ん、ん。花恋も私のこと、ちゃんと名前で呼びなさいよ」


 なにその顔。さっきまでの顔色の悪さ、どこいったの。それでもって、その赤みって熱にうなされているからなのよね。そうだって認識しておいて今はいいのよね。


「ゆ、夕夏、さん」

「そんな緊張するな、馬鹿」

「うう。急に恥ずかしくなっちゃって」

「花恋から言い出したんでしょ」

「なんでっ、そっちは平然と言えるんですかっ」


 本当は……っと、私は口をつぐむ。

 本当は、さ。もっと前から呼びたかったのよね。だって、綺麗な名前だもの。花に恋する。恋する花。それとも花のような恋?


「……夕夏さん」

「なに?」

「これ、しばらくはふたりきりのときだけでいいですか」

「任せるわ」

「……えへへ」


 もうすぐ夏が終わる。舞台本番まで残り一カ月余りだった。

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