新学期と美術部と電車と

 二学期が始まって数日が過ぎた。とっくに花恋の夏風邪は治っていた。ここだけの話、浴衣も着てもらった。……可愛かったけれど、高校生には見えなかったな。


 久しぶりに会うクラスメイトの中には、すっかり日に焼けている子もいれば、髪型や雰囲気から察するにいわゆるイメチェンしたような子、全然何一つ変わらない子もいた。

 そんな話を花恋と昼休みにしてみて、私たち二人はそんなに変わっていないわね、なんて言い合った。同時に、変化があるにはあったという意見は一致した。

 もう少し夏休みを満喫したかったな。遊びに出かけたかったな。

 そんな私の胸中は、私と親しくないクラスメイトたちが声高らかに教室で代弁してくれる。担任教師に限らず、どの先生もいつまでも夏休み気分でいてはダメだと物申してくる。彼らからすれば私たちのような長期休みはなかったんだろう。


 演劇部の活動もなければ図書委員の仕事もない放課後。そういえば図書委員の仕事、文化祭までが私の任期なんだよね。後期は部活を理由にどこの委員会にも所属しないつもりだった。もともとが帰宅部の子か文化部のうちで忙しくない子で大半が構成されているのが、うちの委員会活動だ。例外としては保険体育委員であるが、彼らは運動会や球技大会の運営要員として駆り出されるぐらいで図書委員ほどに定期的な活動はない。


 文化祭が終わったら、か。自分で考えてみてその文化祭がもうすぐであるのを意識した。直前になったら文化祭準備にクラスの一人として協力するにしても、注力しなければならないのは演劇部の活動だ。


 花恋が、家の用事があるだとかで足早に一人で帰ってしまったので私もたまには一人でゆっくり帰ろうとしていたところに、照井さんが隣のクラスからやってきた。誰か私の知らない女の子を連れている。うん? 見覚えはある気がする。えっと、どこでだっけ。照井さんが紹介してくれる。美術部の子であるそうだ。そして照井さんのクラスメイト。なるほど、夏休みのときに一度、美術部に顔を出した時にいた気がする。照井さんはその子と友達になったらしい。私やあの子と違って、徐々に親交の和を広げている彼女だった。根は外向的なのかもしれないな。


「し、篠宮さん。よかったら、今日は美術部の見学に行ってみない? 舞台セットの制作進捗、気になるよね……?」


 照井さんがきょろきょろとしながら訊ねる。


「あれ? 藍沢さんは?」

「ああ、あの子だったら先に帰ったわよ」

「ええっ!? 喧嘩でもしちゃったの!?」

「なんでよ。家の用事があるんだって」

「そ、そうなんだ。そっか、よかった」


 なぜ照井さんが安堵するかはわからない。美術の子も首をかしげているではないか。


「ぜひ一緒するわ。えっと、よろしくね」


 美術部の子に軽く自己紹介して、三人で美術室へ向かった。

 廊下を歩きながら聞き知ったことには、夏休み前には専ら福田先輩だけで舞台背景や他のセットをせっせと描いたり、作っていたのが、夏休み期間に暇を持て余した美術部所属の何人かの生徒が協力者として加わり、二学期からはいちおうは正式に活動に組み込まれたのだという。

 無論、強制ではない。では何をもって正式なのかと言えば、演劇部の部長である木下先輩とそれから顧問の真壁先生、そして美術部の部長と顧問との間で話し合いがされて決定されたことなのだった。

 文化祭の準備で、手先の器用さをクラス内で頼られるシーンも多いだろうに忙しいのではないかと懸念する私であったが、当の美術部の女の子は「みんな、けっこう暇しているんで。クラスじゃ陰にいる人ばかりだし」とあっけらかんと言うのだった。




 美術室を訪れると、福田先輩が既に作業中だった。

 真夏に目にした、描きかけの雪山の景色はもう完成間近であるらしかった。ステージの背景部分となるそれは、九枚ほどの大きなキャンバス(というより板かパネル?)に分けられているが、それは私に歴史の授業で習ったような煌びやかな屏風を思わせた。


「さすがに狩野永徳の洛中洛外図や、尾形光琳の紅白梅図屏風とは比べ物にならないけどな」


 福田先輩はそう言いつつも、どこか嬉しそうだった。

 私の知らない美術部員が「山の絵であれば葛飾北斎の富嶽三十六景があるし、雪景色だったら広重の東海道五十三次にあった気がする」と言い、どう反応したらいいか迷っていると、別の子が「なんで日本ばっかなんだよ。モネだって描いているぞ」と口を挟む。かと思えば端っこからは「名画を知っているだけで偉いとか思ってそう」などという声も聞こえてきた。やいのやいのとおしゃべりを始める。

 美術部は美術部で、なかなかに面白い人たちが揃っているのかもしれない。


 それから福田先輩を含めた美術部員たちと、私と照井さんは劇について話をした。手伝ってくれている部員たちは、福田先輩があまり話してくれないので、やや不満もあったようで私は簡単に演劇部でしていることについて説明する。「やっぱ主役の人って可愛くないとだめなのね」「そう僻むなよ」……そういう会話が挟まるのだが、苦笑いを浮かべつつスルーしておいた。照井さんもそうしているし。福田先輩は何度も欠伸噛み殺しているし。

 途中で話題が今、放送中のアニメについてになると照井さんが生き生きしはじめたのがわかった。そして連れてきてくれた美術部の子も。そういう繋がりでも仲良くなったわけか。

 好きなことを好きなふうに熱く語る照井さんは楽しそうだった。合唱部にいたあの短い期間においてはそれができなかったんだろうなって、それでも話してみたら合わない人たちから虐げられてしまったのかな、そんな過去はもう捨ててしまえばいい。

 

 過去、か。

 花恋があの日話してくれた過去を思い出す。年下の同性からの告白。居場所を失った彼女。花恋と同じ中学校出身の生徒は少ないらしい。引っ越ししてきた私と同じ子はたぶんゼロだろうから、それよりは多いのだろうが、花恋があえてこの高校を選んだのだと思うと少し胸が痛んだ。

 逃げ出したと彼女は言った。この高校を選んだのもそうなのかな。

 でもここに来てくれなかったら、私は彼女と会えなかった。現実に反する仮定をいくらしてもどうしようもないが、もし花恋があの日、図書室で声をかけてきてくれなかったら、今の私はまだ独りだったのかな。


 いや、そんなことよりも。

 本題。

 あの子はそう口にした。私たちの演劇がうまくいったら、私の最高の笑顔を見ることができたら、その時に伝えるって。

 受け身でいいのか。私は心構えをしておくだけでいいのか。

 想像通りの内容であるのなら、私は――――。




 その日の帰り道。

 駅で桜庭会長とばったり出くわした。隣に七尾先輩の姿はない。


「いつでもいっしょにいられるわけではないからね」

「それはそうですね」


 そんな短いやりとりで終わるのかと思いきや、彼女は車内で私の隣に腰掛けた。今日は生徒会活動はなく、家に一度帰ってから塾に行くのだと言う。そうか、木下部長と同じで会長は三年生で受験生なのだ。


「最後の文化祭を前にした最後の休息日だよ、今日は」

「塾があるのにですか」

「それはそれ。明日から平日は文化祭の準備でかかりきり。その分、塾を土日のスケジュールに振り替えてもらっているから、土日もいっぱいいっぱい。まぁ、それができるのも個別指導形式ならでは……って、まぁ、それはいいとしても。ボクとしては海美とデートできないのはつらいね」

「はぁ」

「興味なさげだね」

「不快にさせたらすみません。えっと、興味がどうこうではなくて……」

「ほんとに付き合っているって言ったらどうする?」

「え?」

「ボクと海美。恋人同士だとしたら」


 整った顔立ちからは何も読み取れない。不器用な花恋にはできない、器用な無表情がそこにあった。


「あの、従姉妹なんですよね? 七尾先輩と」

「そう。ついでに言うなら、女同士」


 言われなくてもわかっている。


「冗談だよ。ボクのほうは、けっこう本気だけれど」

 

 桜庭会長が七尾先輩を、二つ下の従妹を恋愛対象としてみている? そんなのってフィクションの中だけではないのか。読むのを断念したティーンズラブに、従兄に惚れた女の子の話があった気はする。


「……それ、どうして私に軽々しく言うんですか」

「君が疎いだけで、噂好きな子だったら知っているんだよ、この話」


 自嘲気味に笑い、今日はしっかりとかけている眼鏡の位置を指先でわざとらしく調整する。


「ボクと海美はさ、王子様とお姫様って言われることもあれば、気持ち悪く思われることもある。裏でキスどころかヤっているんじゃないかって」


 だから、どうして私にそんなことを言うんだ。私はとりあえずは目つきで抗議してみる。


「前にさ、海美に告白したことがあるんだ。フラれちゃったんだよね。そういう対象とは見れないって。それが半年前。最近になって、押せばいけるんじゃないかって思いもするんだよね。もう一回告白してみようかなって思っている。ねぇ、どう思う? よければ参考までに意見を聞かせてほしい」


 口許だけ笑い、でも桜庭会長の目は笑うどころかどことなく哀しげで、それってつまり七尾先輩への想いを募らせ、滾らせ、耐え忍び、我慢しているってことなんだろうか。

 名前を知らないあの女の子、かつて花恋に想いを打ち明けた子もそういう段階があったのかな。


 年の差が二つ。

 桜庭会長が卒業してしまえば、当然、七尾先輩といっしょにいられる時間はぐっと少なくなる。今だって別学年だからそう多くは共に過ごせないだろうに。

 いつから好きなんだろう。どういう状況下で従妹に親愛以上の想いを芽生えさせるものなのだろう。そういうのって、どこにでもありふれた恋と同じで理屈よりは感情のおもむくままなのかな。

 

 訊くかどうか迷った。けれど、やめておいた。


「私が言える意見はこうです。巻き込まないでください。それはあなたと七尾先輩の問題です。私はべつに……おふたりが交際し始めたとしても、どうも思いません」

「そうなの?」

「なんで不思議そうにするんですか。私、おふたりのこと全然知らないんです。七尾先輩とも友達と言える仲でありませんし。もちろん、共演者として、同じ演劇部員としての仲ならそれなりに深めているというか、話すこともありますが」

「そうだね。海美から聞いているよ。ちょっとボクに似ているって」

「私がですか?」

「うん。そういうのってやっぱり気づかないもんだよね」

「気づくも何も、もしかするとそれは……」

「それは?」

「いえ、憶測というより思いつきですけれど。七尾先輩は案外誰にでも桜庭会長っぽいところ、見つけてしまうんじゃないですか。えっと、彼女なりにあなたを想って」

 

 私の言葉に目をパチパチとさせた会長は、それから、にへらっと笑った。品性や知性が急下降したような笑みだった。 


「それ今度、海美に言ってみるよ」

「勝手にしてください」


 桜庭会長が席を立つ。たった一駅だった。


「ねぇ、篠宮」

「なんですか」

「もしも、花恋が君に愛の告白をしてきたらどうするんだい?」


 私の答えを待たずに彼女は去る。

 

 どうするって。どうする?

 

 そんなの。なんであなたに言われなきゃならないの。そんなの……。


 ……。

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