あつく燃えて①

 夏休みが過ぎていく。

 

 台詞さえ頭に入れてしまえば、後は演者同士でもっとこうしたらああしたらと話し合ったり、藍沢さんからよりいい台詞の案や演出上の提案があったりを繰り返していく。主演と言っても比較的短い舞台なので、台詞はすぐに覚えられた。

 

 中学生の時に炎天下でテニスラケットを振っていたのを思い出す。部活を引退したのは秋ごろだから、まだ一年も経っていない。それなのに遠い日のことのように感じるのは、実際に遠い土地にいるからだけではないだろう。

 演劇部の部室で蝉の鳴き声に負けじと声を出す。ソフトテニスをしていたときのような、皆がそうしているから、先輩や顧問が言うから、そんな声を出すのが正しく、運動部の作法であるから出していた声とまるで違う。

 伝えるために。届けるために。

 ハルの気持ちを。その怒りや悲しみ、ユキへの想いを全部。

 

 演じる。それは案外、私に向いているのかもしれない。

 ようやくそうした感覚が私に出てきている。実感として。

 誰よりもとは言わない。プロ顔負けの演技をしているのだという自負はない。

 むやみやたらに褒められることはない。毎日、反省点があり、改善点が見つかる。

 けれど、それでも、ああ、そうだ、向き不向きじゃなくて、楽しいって心からそう思えているんだ。


 ハルだったら、と何度も何度も考える。

 雪山で姉と共に寒さに身震いし、心まで凍てつくような辛苦を受け、そして妖しげな少女に出くわしたとき。どんな表情をして、どんな言葉が出てくるのだろう。

 姉と死別し、自分だけ助かって、心を麻痺させたまま、雪乙女に憎悪を抱く日々を過ごしていたとき。ユキと再会して、どんな気持ちが湧き上がってそれをどう表現するのがハルなんだろう。

 友達になることを対価として強いられて、徐々に打ち解け合う日々。ハルの心の動きをなぞる。その表も裏も。自分のものにして、演じる。

 クラスメイトたちとの会話、そこにある変化。重ねていくユキとのやりとり、そこにある迷い。

 ユキがいつもの公園で待っていなかった時、ハルはどう思ったんだろう。

 アキに連れられ、訪れたその部屋で息も絶え絶えで伏しているユキに会ったそのとき。まずはどんな気持ちを抱いたのだろう。


 ハルとして。この物語の主人公として。ユキがその最期に求めた笑顔のお別れ。

 私はどう演じればいいんだろう――――。




 夏休みが半分終わる頃、藍沢さんの様子が変であるのに気がついた。具体的にどう変なのかは説明しづらい。一言で表すなら、よそよそしい。そして、何か隠しているふうだった。でも何を?


「う~ん……るるは、気づかなかったなぁ。アイちゃん、いつもみたいに軽口叩いているしねぇ。あ、でもシノちゃんには前よりもそういうおふざけって言わなくなっているのかも? もしかしてぇ、倦怠期ってやつなのぉ?」


 部室での稽古の練習中、それとなく宮尾先輩に相談してみるとそんな回答が返ってきた。二人で並んで部屋の隅に座っている。藍沢さんはお手洗いにいったところだ。木下部長も福田先輩もいないので女子だけ。


「おふざけが減っているのはあの子なりに気遣いだと思います。自分で言うのもあれですが、私、ここ最近の練習はかなり集中していますし」

「そうだねぇ。シノちゃん、日に日に、うまくなっているもんねぇ。役を掴んでいるってわかるよぉ。ええと、帰り道はどうなのぉ? 一緒に帰っているんでしょぉ?」

「普通ですね」

「アイちゃんの普通……つまり?」

「あれこれ冗談言ってくるから、私がツッコミを入れる、みたいな。って、べつに漫才やるつもりないですけれど。そういえば、気になるのは……いえ、勘違いかな、これは」

「なになに、言ってみてよぉ。るるに教えて、可愛い後輩ちゃんたちのこと」

「ん、ん。えっと、その。前よりも藍沢さんが、ふとしたときに、こっちを見つめてくるといいますか」

「え~、のろけなのぉ?」

「違いますって。たとえば駅まで歩いていて、ふっと、会話が途切れたそのとき。じーっと私を見てくるんです。それで『何か言いたいことがあるの?』って聞いたら」

「聞いたら?」

「『見蕩れていました』って」

「やっぱり、のろけじゃーん」


 宮尾先輩はニヤニヤしていた。いつもニコニコの彼女がキャシー先輩みたいにニヤッとするのは珍しいかも。


「ねぇねぇ、ここだけの話。どうなの?」


 声をいっそう潜める先輩。


「ど、どうというのは?」


 つられて私も声を小さくする。蝉の鳴き声に負けてしまう。 


「たとえばさぁ、ほんとにアイちゃんに面と向かって好きだって言われたら、どうするのぉ?」

「え…………え?」


 問われた内容を理解するのに時間がかかった。


「あれれ? シノちゃん、そういうのダメっていう人?」

「ダメっていうか……好きって、つまり、友達としてですよね」

「今の流れでそう思う?」

「……」


 思わなかった。でも、そんなの考えないでしょ。

 藍沢さんが私を慕ってくれているのはわかるけれど、そこに恋愛感情があるかは別だ。もしあったら? そうしたら、どうするかなんてこれまで思いもよらなかった。

 同性だから。それが大きい。同性愛者にとりわけ差別意識はないけれど、それが自分の日常に入り込むのは違うって気がしている。それをふまえたうえで、もしも藍沢さんがそうだとしたら……答えは出なかった。

 それはまぁ、たしかに藍沢さんの恋愛対象が女性だったとして、彼女が愛の告白を誰かにするとしたら、その候補には親しい間柄である私も含まれるのだろうが、けれどそういう「親しい」と「好き」は別れているんじゃないの。よくわからない。


「ごめんねぇ、シノちゃん。そんな顔しないで」

「どんな顔していました?」

「えっとね、うーん……ちょうど、ハルがユキと仲良くなっているのを自分では受け入れたくない、そう独白するときの表情に似ていたかな」

「でも」

「でも?」

「私は、なんて言えばいいんでしょう、あの子と仲良くなるのは悪くない気分です」

「それはそうだよねぇ。ごめんねぇ。るるったら、恋愛に結び付けちゃって」


 宮尾先輩は女の子を好きになったことがあるんだろうか。どうだろう。あるのなら、こんな場で、すなわち小声で話しているとはいっても少し離れたところにキャシー先輩や七尾先輩、それから照井さんがいるのに、話題を振るだろうか。そういうのって密やかに交わされるものなのではないか。

 ああ、でもこれが一種の差別かもしれない。プライベートな件であること以上に、女の子同士での恋愛経験なんて異常だと思って「秘密」と結び付けたのだから。


「話を戻すけれどぉ、直接、訊いてみたらいいよぉ。アイちゃんに」


 宮尾先輩が声の大きさを戻して、近づけていた顔も離す。


「えっ。なっ、なにをですか?」

「シノちゃん、混乱しているんだねぇ。ごめんねぇ」


 この短い時間に三度も謝られてしまった。それが数えられる程度には冷静、そのつもりだった。


「アイちゃんの様子が変だって話。本人に訊いてみたらってこと」

「あ、そうですね。その話でした。でも、答えてくれるでしょうか。あの天邪鬼が」

「ええ~? それ、シノちゃんが言うのぉ」

「へ?」

「アイちゃんは素直だって、前にシノちゃんが言っていなかったぁ? むしろ、シノちゃんのほうが、ちょぉーっとひねくれているというか、鈍感だよねぇ」

「そんな、先輩まで……」

「ふふふっ、可愛いなぁ。あ、戻ってきた。じゃ、今日の帰り道にでも訊きなよ、後輩ちゃん♪」


 宮尾先輩が立ち上がり、キャシー先輩に睨まれて戸惑っている様子の照井さんに助け舟を出しに言った。


 暑い。どういうわけか、顔が特にあつい。


「宮尾先輩と何を話していたんですか?」


 戻ってきた藍沢さんがそのまま声をかけてくる。座っている私を見下ろして。


「ハルがそのまま普段の私にも憑いているのかもって」


 そのまま事実を伝えるわけにもいかず、部分的な事実、それらしいことを言う。


「なかなかにゆゆしき事態ですね、それは」

「そう?」

「だって、それだとユキを大切に想うわけじゃないですか」

「いや、ハルという役にこの身をのっとられそうとは言っていないわよ」

「最近の篠宮さんは楽しそうですね」

「わかる?」

「もちろんです」

「藍沢さんのおかげよ。――――なんでそんな苦虫を噛み潰したような顔するのよ」

「していません」

「他の人だったら読めなくても、私だったら読めるんだから。あんたの表情」

「またそんなことを言う」

「なによ。なんか文句あるわけ」

 

 私は立ち上がる。腹を立てたのではない。しだいに雲行き怪しげな彼女の面持ちに、真剣に対応したほうがいいのかなと思ったのだ。でも、なんて言えば?


「さあ、練習を再開するわよ」


 ぱんっ、ぱんっ、と二回。キャシー先輩が手を叩いて言う。

 そうして私と藍沢さんとのやりとりは中途半端に終わる。

 帰り道、訊いてみないと。そう決めた。




 真夏の道を二人並んで歩く正午過ぎ。

 訊けずじまいのまま、駅まで来てしまった。おいおい。

 

「ねぇ、藍沢さん。今日ってこの後、家の用事でもある?」

「いいえ、ありません。数学の課題はもう諦めようかなって」

「まだ夏休み半分あるでしょ、ちゃんとしなさいよ。都合が合えば手伝ってあげるから」

「そういう篠宮さんがそれほど数学が得意でないのを幸か不幸か知っています」

「うっ。そ、それはおいておきなさい。よかったら、このままどこかでお昼とらない?」

「この時間帯にこの時期だとどこもいっぱいですよ?」

「じゃあ、少しどこかで時間潰してから遅めのランチってのは?」


 とはいえ外を歩くのはうんざりだ。せっかくだから以前、観劇しに行ったときの最寄り駅、つまりここら一帯では栄えている駅前まで乗り継ぐのもいいかもしれない。定期の外とは言ってもそんなにお金はかからない。


「ひょっとして篠宮さん、遠回しにデートに誘っているんですか?」

「違う。まだここであんたと別れたくないだけ」


 しまったなと思った。この言い方どうなんだって。


「訊きたいことがあるのよ」


 慌てて私は言い足す。ついさっきまでそれを口にできずに、この駅まで来たというのに、いざとなったら口からついて出た。


「なんですか?」


 藍沢さんが気構えるのがわかった。緊張。そんな態度をとられると、こっちまで愛想笑いができなくなってしまう。私は肩をすくめてみせて「ここじゃなんだから、やっぱりどこかお店に入りましょう。そうでなくても涼しい場所で腰掛けたいわ。どう? 賛成してくれる?」


 肯く藍沢さんだった。

 そうして私たちは人気のない涼しい場所を探して歩きはじめた。

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