生で観るほうがいいけれど
オーディションの結果、配役は以下のとおりとなった。
ハル:篠宮夕夏
フユ:樫井玲子
ナツ:七尾海美
アキ:木下純
クラスメイトA:宮尾るる
クラスメイトB:照井歌織
藍沢さんと福田先輩は本番では音響と照明を引き受ける。
人手が足りないので宮尾先輩や照井さんは出番がないときは同じく演出面での手助けを、部長は舞台裏で進行補助を務める予定である。このあたりも練習が必要だろう。桜庭会長は「もしどうしてもということなら、人を貸すよ。大切な海美の晴れ舞台を失敗させたくないからね」と言ってくれた。
会長に、演劇部に個人的な確執があるというのは藍沢さんの誇張だったのだろうか。おそらくは七尾先輩絡みなんだろうが、そもそも七尾先輩が演劇部に入った経緯が知れない。藍沢さんが動き出すまで部は活動をほとんど凍結していたのだから、動機らしい動機はないのかも。
その七尾先輩だが、オーディションでは私とキャシー先輩に敗れた後に、また平然とナツ役に立候補したときには驚いた。同じくナツに立候補した宮尾先輩が「ええ~?」と言い「もしかして全部の役の、練習をしてきたんですか」と訊く藍沢さんだった。それには「そうよ」と応じた七尾先輩。アキの台詞も覚えているそうだ。
「花恋ちゃんの台本が思ったより、よくできていたから。独り芝居が捗ったの。全部覚えたわ」
冗談ではなく真顔でそう口にする七尾先輩に、藍沢さんは少し照れた表情で「光栄です」と返していた。たしかにオーディション中、台詞を忘れるような素振りは一切なかった。もっとも、これについては照井さんが台詞を飛ばしてしまったぐらいしか今回のオーディションではなかったのだけれど。会長が「海美は記憶力がずば抜けているからね」と胸を張っていた。
そうして配役決定を経て、演劇部の正式なスケジュールを部長が発表して、その日は解散となった。
夏休み中は基本的に週二ペースで集まるとのことだった。
本番の舞台となる講堂については八月下旬に三日間の貸出許可を申請中のこと。真壁先生が話を進めているから問題なく許可は降りるだろうと話す部長。まとめると十日間ほど夏休み中に練習がある日程となっている。
「きょ、強化合宿みたいなのってないんですか」と言ったのは照井さんだった。ユキ役で落選した際には落ち込んでいたのが、夏休み中のスケジュールを聞いているうちに元気になったみたいだった。後で直接聞いたことには、夏休み中に合宿して技術を磨きつつ、仲を深めるというのは青春アニメの定番なのだとか。興奮する照井さんに対して福田先輩が「ないだろ。そんな大舞台ってわけでもないし」とさらりと指摘した。
美術担当としては、合宿と言ってもたとえ校内で催すにしたって、制作が優先になって皆との交流が疎かになるのも目に見えている。校外であれば暇するだろうし。まぁ、そうは言っても実際に私たちが演じているのを目にするのは必要なことなんだろうな。木下部長が「礼司も美術室にこもらずに、こっちに顔出せよ」と敢えて皆の前で言ったのはそれ相応の意図があるに違いない。
負担としては福田先輩にかかる部分は大きい。美術部の暇しているやつに手伝ってもらうと話してくれていたが、協力的な人たちが多いといいな。どうせやるなら、ちゃんとした舞台がいいものね。
美術関連でいうと、衣装については桜庭会長が触れていた。
「ハルとそのクラスメイトは制服でいいとして、残りの子はどうする気なんだい?」
「七尾先輩が演じることになったナツについては心配いりませんね。雪山での回想では、それらしい恰好を、日常での回想では私服を。工夫を凝らすとすればユキでしょう。かと言って悪目立ちさせるのもわたしとしては不本意ですね。あたかも雪女の装束を身に纏うなんて露骨というより無骨さはこの舞台の雰囲気に合いませんから。ユキ役に選ばれたキャシー先輩としては何か案がありますか?」
「あー……そうね。私服で、全体的な白を基調にしたコーデってのは?」
「キャシーちゃんの白いワンピース姿ってことぉ? 可愛いねぇ!」
「なるほど。ではその方向で進めましょうか。ちなみにキャシー先輩はその手の服、もちろん秋冬もので、お持ちなんですか?」
「……ないかも」
「じゃあ、るると買いにいこうねぇ♪」
そんなふうに話がまとまった。
照井さんが「篠宮さん、もしね、その制服で舞台に立つのが嫌だったら言って! わ、私、もっともっと可愛い制服を準備してあげられるから!」と言っていたが遠慮しておいた。十中八九、アニメのキャラクターのコスプレ衣装だと思う。藍沢さんはその手がありましたねみたいな表情をしていたけれど無視しておいた。
あっという間に夏休みに突入した。
期末考査の結果は、可もなく不可もなしといったところで、夏休みの課題も多く出されたことで勉強からは逃げられないのを痛感した。
せっかくの高校一年生の夏休みだから満喫しないとですね、と言って終業式の日に別れた藍沢さんがさっそく私を観賞会に誘った。参考になりそうですから、と映像化されている舞台を観に来ないかということであった。今の時代、タブレットが小さな映画館となり、舞台となる。
個人メッセージのやりとりだったが、私は確認する。
『照井さんには声をかけたの?』
『篠宮さんとしては照井さんが一緒のほうがいいんですか』
なんか嫌な聞き方だな。確認した私が悪いのか?
『どちらでも。大勢のほうが楽しいって感覚はいまいちわからないから』
『それ私以外に言わないでくださいね。痛い子って思われますよ』
『マジ?』
『マジです。場合によっては。ちなみに私はふたりきりがいいです』
『なんでよ』
『大勢の方が楽しいって感覚がわからない人が、それを聞くんですか』
『もういい 時間と家の場所教えなさいよ』
そうして私は藍沢さんのお家にお邪魔することとなった。手土産いるのかな。
藍沢家も一軒家だったが照井家とは違って、リビングやダイニングを見ることなしにすぐに藍沢さんの部屋へと招かれた。玄関に入って、階段で二階に上がった先。
「立派な本棚ね」
室内でまず目に着いたのは藍沢さんの背丈よりも高さのある書棚だった。地震対策しておかないと危ない。下敷きになってしまったらひとたまりもないだろう。ベッドの位置取りからすると、書棚が倒れてきても大丈夫なようにはしているみたい。
全体として柄というのが少ない。敷かれているラグマットも薄いグレーの無地のもので、カーテンはアースカラーのうちで緑色系のものを、ベッドカバーはそのカーテンの色合いに近しいこれまた自然を彷彿とさせるカラー。
「本、何冊ぐらいあるの?」
「四百冊程度です。一日一冊読めば一年と二カ月ほどで読み切ってしまう数ですね」
「実際にはそのペースで読んだのではないでしょう?」
「ええ。ここに並べてあるのは、中学生のわたしがお小遣いをはたいて、新品で買い揃えたものだけです。そういう意味では三年間で読んだと言えますね」
読書経験としては図書館で借りて返したものも多く、それに古本屋で安く買って読み終えると片づけたものもあるらしい。
「あ、玄関で渡せばよかったわ。はい、これ。水羊羹」
「なかなか渋いですね。もしかして手作りですか」
「え? 違うわよ。水羊羹って夏の季語なんだってね。って、あんたなら知っているか」
「篠宮さんは好きなんですか」
「わりと。迷った挙句、自分の好きを押し付けちゃってごめんね」
「もっと押し付けてくださっていいのに。篠宮さんの好きを。とりあえず神棚に供えておきますね」
「食べてよ」
「常温保存でもいいみたいですが……冷蔵庫に入れてきます。あの、箪笥漁ったり、机の引き出し開けたらダメですからね。いくら篠宮さんでも、そういうのは……」
「漁らないし、開けないから。失礼ね。早く行きなさい」
藍沢さんが出ていく。箪笥とは言ったが和箪笥ではなく、ホワイトピンクのキャビネットがあるだけだ。気にならない、気にならない。
今日にしても勉強会をした日にしても、私たちは着飾ってはいなくてラフな恰好をしていた。だから、藍沢さんがいわゆる勝負服持っているのかな、どんな服なのかなって少し思いはしたけれど、思っただけだ。
ふと鼻をくすぐる香り。いい香りだ。冷房がよく利いた部屋で、漂うこれはなんだろう。香りの発生源を探ると、部屋の中央に置かれたテーブル上に行き着く。小さく低い円形の缶に入っているのは、マシュマロにも見える白い石ころ。確かにそこからいい香りがする。
私は腰を下ろして興味深げにそれを見つめる。
「食べちゃダメですよ。それ、アロマストーンです」
戻ってきた藍沢さんが言う。食べようとはしていない。
「シトラス系と迷いましたが、ウッディー系の香りのオイルを垂らしてみました。不快でしたら、蓋を閉めてください。……意外って顔していますね」
「まあね。藍沢さん自身からこの手の、えっと、アロマっていうのかな、そういう香りって普段あんまりしないなって」
「そんなに嗅いでいないくせに」
「それはそうでしょ」
「でも篠宮さんの言ったこと、当たっていますよ。わたしは自分自身に香りを纏ったり、残るのは好きではないんです。いいですか、こういうアロマストーンっていうのは……」
水羊羹を入れるついでに冷蔵庫から持ってきてくれたであろう飲み物をテーブルに置くと、藍沢さんが私の隣に腰かける。
「効果の範囲と時間は比較的小さく短いんです。これぐらいの広さの部屋であれば、このテーブル周辺から離れればそれほど意識しなくなりますし、今の季節は空調も利かせていますからね。部屋全体に香りを浸透させようとすればそれに合った手段、ようはそれに適したフレグランスがあります。ですが、わたしはそれを好みません」
そして彼女は鑑賞の準備をし始めた。タブレットとタブレットスタンド。
「気持ちを落ち着けたかったんですよ、今日はとくに」
「今から観るのってそんなに昂ぶってしまうような舞台なの?」
「篠宮さん、冷たいですね」
「道中は暑かったから、まだ冷えてはいないわよ」
「そうではなく。あなたとのふたりきりなんですから、心が落ち着かないんです」
「うん? あ、そう。ごめんね?」
「もう……。クッション、二つ用意するの忘れていました。篠宮さんが使ってください」
「ありがと」
丸いクッションに座り直す。
タブレットの目の前。隣の藍沢さんが肩を寄せてくる。
「くっつかないでよ」
「冷房つけているんですから、これぐらいがちょうどいいんです」
「着込めばいいでしょ」
「そんなに嫌ですか」
「……べつに」
アロマの匂いがしなくても。
私は思う。
あんたは、なんていうか、そのままで充分にいい香りするんだっての。
肩を寄せてきたら、それを意識しちゃうじゃない。
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