話したことないのに何回か告白されている
放課後、演劇部の顧問であるという真壁先生に、藍沢さんと共に挨拶しに行った。
担当教科は二年生以上の理系の数学。入学してから私との接点は一切なく、その顔も廊下ですれ違ったことがあるかな、というレベルでしか記憶になかった。
三十手前の未婚の男性教師で、ほどほどに男前であるから女子生徒からの人気もそれなりにあるのだと藍沢さんが事前に教えてくれた。人間性や心根までは知りませんが、と付け加える。他に運動部の顧問も兼任しているが、弱小演劇部に名義を貸してくれている。演劇部については放任主義をとっている。つまり、さほど気にかけていない。
「藍沢から執拗にお願いされての結果ではないんだよな?」
職員室にて、真壁先生は私に入部届を渡す前にそう確認してきたのだった。
藍沢さんの信用問題に関しては、昼休みに部長の反応からも察していた。私は何か言おうとする藍沢さんをひとまず制する。
「私の意志です。お忙しいのは承知していますが、真壁先生にもご助力をお願い申し上げる機会もあるかもしれません」
「たとえば?」
「え? えっと……」
「わたしたちは今度の文化祭に講堂のステージで演劇をするつもりです。そのためにようやく重い腰をあげたところなんです。成功させるために、本番当日以外にリハーサル等のためにステージを使用したく思っています。普段は放課後に吹奏楽部や合唱部の練習場として開放していますよね?」
「ああ、そうだったな」
「生徒同士での交渉はこちらが不利なのは明らか。そこで、先生の口添えがあれば、と」
「口添えも何も、講堂の使用はもとより生徒間のみで決めていい事項じゃない。顧問である俺から話を通さないといけないわな」
「生徒会の圧力ってないですよね?」
「藍沢、漫画の見過ぎだ。うちの生徒会に、教師になり替わって生徒の行動を規制する力なんてねぇよ。まぁ、ただ……吹部の顧問って、山下先生だったよな。気乗りはしないな……」
「篠宮さんの晴れ舞台がかかっているんです。どの曜日、いつ頃なら使ってかまわないかだけでも確認とっていただけませんか。そうでなければ、真壁先生が一年生女子を泣かせたと吹聴しなければなりません」
「さらっと脅迫するな! つーか、お前さんの晴れ舞台でもあるんだろうが。舞台に立たなくてもな。わかったよ、本気みたいだしな。今のうちから頼んでおく。ほい、篠宮。これ入部届。二度手間だし、ここで書いてけ」
「は、はい」
私が入部届に必要事項を書きこんでいる間に、真壁先生は藍沢さんに「で、どんな劇なんだ」と質問する。藍沢さんは「残念ながらまだ形にはなっていないんです。部員間で、台本の一部について意見も別れています。まとまったときに、お知らせしますよ」と、しれっと言ってのけた。
そして私たちは職員室を後にする。
「ありがとね」
廊下を歩きながら私は言う。真壁先生とのやりとり。礼節というか、社交辞令の一種のつもりだったものに、つっこまれてうまく返せなかった私。藍沢さんが繋いでくれた。内容から察するに、あのタイミングでなくても、話す予定はあったのだろうが助かったのは事実だ。
「もう一度、できれば耳元で優しく囁いてくれませんか」
「それ、あんたなりの照れ隠し? とにかく、ああいう面も考えていたのね。私、全然気が回らなかった。そうよね、ステージで練習しないとよね」
「惚れ直しました?」
「うん、見直した。けれど、台本の件は嘘ついたでしょ。一部についても何も、まだ出来上がっていないのに」
「嘘も方便ですよ。それとステージの使用許可云々は、実は前に部長から聞いていた話だったんです。部長が一年生の頃は文化祭でちゃんと演劇部が演劇をしていたそうで。練習場所としてステージを週に一度は使わせてもらっていたと」
「へぇ。吹奏楽部や合唱部の人たちって音楽室に入りきらないの?」
「パートごとの練習がありますからね」
「あ、そっか。あと、真壁先生が山下先生と話すの気乗りしないって言っていたのは? 何か知っている?」
「単に怖いからではないでしょうか。山下先生は二年の学年主任で、真壁先生と比べるとお年が二回りぐらい上で貫録のある女性ですからね。贔屓とまではいかないですけれど、吹奏楽部の生徒たちを大事にしているのはなんとなく噂で聞きました」
「そういえば……うちのクラスの女子がそんな話、していたような」
私たちは話しながら、演劇部の部室へ向かった。
特に用事がない限りは、これから毎日、私だけであっても部室で基礎練習を積んでいくこととなる。修行パートですねと藍沢さんはどこか興奮していた。
「ねぇ、台本書かないとだったら、私に付き合っている暇はないんじゃない?」
ごく自然に、部室まで二人でやってきてから私は藍沢さんに言う。一人にしてほしいとは思っていない。ただ、彼女が台本を書き上げなければ、すべては水の泡なのだ。
「うーん……。わかりました、宮尾先輩やキャシー先輩が来てくれる日は、退散するとします。でも今日みたいに篠宮さん一人のときは、いてもいいですか」
「ひょっとして監督ってこと? 大丈夫よ、サボりなんてしない。たしかに誰か人がいたほうが身が入るってものかもしれないけれど」
「篠宮さん、それは照れ隠しですか」
「はい? どうしてそうなるのよ」
「伝わりませんでしたか。わたしは、できれば篠宮さんのそばにいたいって。つまりそういうことなんです」
「わかんないわよ……」
なによ、つまりそういうことって。冗談めかして言いなさいよ、そんなの。いつもの無表情で、まっすぐ見つめて口にする台詞じゃなくない? なんで私もドキッとしてんのよ。
「ほら、はじめるわよ。柔軟体操から。手伝いなさいよ」
「着替えないんですか?」
「き、着替えるわよ!」
藍沢さん命名・るるストレッチを終えると発声練習に移った。ちなみに命名に宮尾先輩の許可はとっていない。
お手本となるキャシー先輩はいないけれど、スマホにダウンロード済みの参考動画をもとにして、発声の質を高める。たかが一日で劇的に変わりはしない。続けないとね。継続は力なりだ。
そういえば、キャシー先輩はいつからこういう声の出し方を習得しているのだろう。
「ふぅ……。ねぇ、キャシー先輩って藍沢さんと同じで中学生、ううん、それ以前から演劇に関わっていたかどうかって知っている?」
「ええ、知っていますよ。前に渋々、話してくださいましたから。ああ見えて隙がある人なんです。だからわたしも安心して冗談を言えるんです。それはさておき、キャシー先輩のことは本人から聞いた方がいいでしょうね。わたし、怒られちゃいます」
「それもそうね」
おしゃべりな藍沢さんだけれど、口が軽くはなかった。
「ところで。台本を書く上で有用そうなので、篠宮さんについても訊いてもいいですか。台本を書くのに役に立つと思いますので」
「わざわざ二回言うと、かえって怪しいわよ。何が知りたいの?」
「中学生の時は、ソフトテニスをされていたそうですが、強かったんですか」
「弱かったわ」
「緩めの雰囲気だったとは聞きました。でも、篠宮さんは練習を真面目にするタイプですよね」
「それでも得手不得手はあるでしょ。テニス、向いていなかったのよ。それに……」
口を閉じる。遅かった。藍沢さんは興味深げな目つきをする。案の定、「それに?」と訊いてきた。……べつにいいか。全部、昔の話で、この学校には同じ中学の子は誰もいないのだから。
「部内にね、馬も合わなければ、反りも合わない、そんな相手がいたの。私も意地張って、すました態度をとっていたせいで、ぎくしゃくしっぱなし。だから……練習、やる気がなくなっちゃって。最後の大会はそれでも個人戦で一回戦は突破したわ。二回戦でボロ負け。あっけないもので、涙だって出なかった。どう? 台本作りに貢献できそうかしら」
「もしかして、嫉妬ではないですか」
「嫉妬?」
「はい。篠宮さんにその子が嫉妬してなのかなって。中学生の女の子が集まれば、そういう禍々しい渦が起こるものですから」
当然、自身もかつては女子中学生であったのに、まるで第三者であるかのような口ぶりだった。
「まぁ、そうね。嫉妬だったんだと思う。一年生の冬だったかな、ろくに話した覚えのない男の子から告白されて、付き合ってほしいと言われて断ったの。で、その彼ってのがさっき話した子の幼馴染だった。その子は彼に密かに片思いしていた……よくある話でしょ?」
「そうですね。でも、その女の子、篠宮さんがその彼と付き合わなかったことを喜ぶべきですよね。チャンスがめぐってくるわけですし。むしろ『フッてくれてありがとう! これで傷心中の彼につけこめるわね!』って」
「図太いわね。そういう子とだったら仲良くなれたのかな。ううん、なれないか。
ねぇ、藍沢さんは? 性格はともかく可愛いんだから、告白された経験あるんじゃない?」
「なんですか、藪から棒に褒めないでください」
自分に都合の悪い部分はスルーできる耳を持っている藍沢さんだった。羨ましい……かな。
「ちなみに、篠宮さんは他にも誰かに告白されたり、したりして、お付き合いをされた経験があるんですか? ぜひうかがいたいです」
「あんたの恋愛遍歴どこいったのよ。……ないわよ。隠すことでもないから言っておくけれど」
「大学生と現在進行形で付き合っている噂は虚偽だったんですね。小耳に挟みましたよ、年上彼氏がいて、その人の進学先に合わせて転校してまで追いかけてきたって。嘘だったんですね、ほっとしました。これで舞台に集中できます」
「どこよ、情報源」
「ああっ、そんな顔しないでください。クラスの人たちが、寡黙美人の篠宮さんにあれこれと、時にただれたイメージを盛るに盛ってしまうのは詮無きことなのです」
「そんなのを挟んだのは、この耳?」
「ひゃぁっ!? な、なななにするんですか!」
「なんて声を上げているのよ。軽く耳に触れただけじゃない」
「加害者の言い分なんて認めません。…………ほんと、ずるいです」
耳を真っ赤に染めて彼女がそう呟くものだから、その庇護欲そそられる様に、いや、そんな欲を少しでも抱いた自分に動揺してしまうのだった。
そんなわけで急な恋バナは終わりにして、練習を再開する。
視線が痛い。こいつ、見過ぎでしょ。
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