男子部員もいることにはいる

「部長と顔合わせだけしておきましょう」


 翌日の昼休み、放課後の図書委員の仕事をサボったことで担任教師から軽く注意を受け、自分の席に戻ってきた私に藍沢さんが提案した。

 ちなみにもう一人いるはずの水曜担当の図書委員が一度も来ていない件についても報告はしておいた。もっと早く報告してくれよ、と顔をされたけれど。まず担任は二人体制であるのを知らなかったし。図書委員の活動の認知度は、現在の演劇部並に低いのでは?


「部長さんと……あ、そういえば。私、入部届って書いていないわよ」

「では顧問の真壁まかべ先生とも顔合わせが必要ですね。そうなると部長は今からサッと行きましょうか。大丈夫です、長話するような人ではありませんから」


 お昼を食べるのはそれからということになった。早弁しておけばよかったですね、と言う藍沢さんだったが同意できない。そんな目立ち方したくないわよ。


「篠宮さんっていい声していますよね」

「急になに」


 私たちの教室がある三階から、三年生の教室がある一階へと降りていく途中で藍沢さんが脈絡なく褒めてくる。


「昨日の発声練習ですよ。歌でも歌ってほしかったぐらいです」

「歌声はまた別でしょ? でもまぁ、いい声だってのはお世辞でも悪い気はしないわ」

「ええ、あれでは声量が足りないですが。これから練習に励んでくださいね」

「上げて落とすのやめてよ」


 せめて逆にしなさいよ、逆に。


 昨日はキャシー先輩のストレッチの面倒を宮尾先輩が見た後、四人で発声練習をした。滑舌面に関しては、北原白秋の『五十音』を皆で大きな声で丁寧に音読した。歌舞伎の外郎売の一節も練習に取り入れる予定があるのだとか。私も名前だけ聞いたことがある。

 

 昨日は途中から雨が小降りになってきたので、窓を開けてそこから外に目いっぱい響かせるように、なんて言われて戸惑いつつも尽力した。「キャシーちゃんがいてくれて助かったよぉ」と宮尾先輩が言っていたように、最も舞台役者らしい発声だと素人の私が感じたのはキャシー先輩だった。

 宮尾先輩は一カ月もあれば、演劇部っぽい発声を体得できると前に話していたが、キャシー先輩のレベルまでなれるだろうか。主演をやるからには、何が何でもと意気込む私に当のキャシー先輩は「役に応じた声を出せるのが一番よ」と遠回しに、逸る私を落ち着かせてくれたのだった。

 どんな役がきてもこなせる演者になるのが目標ではない。少なくとも今は、私が集中しないといけないのは一役に過ぎないのだ。『雪乙女』の主人公ハル。


 さて。藍沢さんに連れられてやってきた三年一組の教室。


「さぁ、ここですよ。どうでしょう、ここは篠宮さんがたのもー!と言って部長を呼ぶのは」

「しないわよ」


 まだ夏前であるゆえか、受験生の教室らしからぬ賑やかな昼休みであるのが外からでもわかった。どうなんだ。私の偏見? 

 大学・専門学校への進学率が高い高校とは言っても、難関大学合格者を多数輩出しているのでないのは知っている。いわゆる特進コースが設けられていない。いや、今更そんな学校基本情報を確認してどうなる?

 父の転勤が決まり、住まいとなる賃貸が決まって、そこから通いやすくかつ成績に合った学校の選択だった。もしも私が元いた土地に、多くの大切な友人たちでいたり、唯一無二の恋人がいたり、あるいはそこでしか叶えられないような将来の夢を抱いていたりしたのなら、すんなり決まりはしなかっただろうな。

 私はここの校風や地域での評判なんて知らなかった。知ろうとしなかった。どこでも似たり寄ったりだって。今でも詳らかに知っているかと言えば、ノーである。

 どこかに属している実感がなく、それでいて私の世界は狭い。籠りがちだった。

 けれど、最近になって、少しずつ広がりつつある。きっかけは――――この小さな背中。

 私は藍沢さんの背中を軽く叩いて「部長、中にいるの?」と聞いた。

 いるのだったら、外で見つけてもらうのを待っているのではなく中に入って進めばいいのだ。たとえば、あの日の図書室で彼女がそうしたように。


「あっ」

「いた?」

「いえ、いません。もしかしたら購買部に行っているのかもしれませんね」

「あー……」


 藍沢さんは部長のクラスは把握していても、そうした習慣までは把握していなかった。


「そういうわけで、教室に戻りましょう。わたし、お腹ぺこぺこなので」

「それでいいの?」

「べつに、前もって挨拶しておかないと鯖折りにされたり、押し鮨にされたりなんてことはありませんから」

「その二つを同等に並べるのはおかしいわよ」

「わたしなりに筋を通すつもりで、部長には紹介しておこうと思っただけです。部長は、わたしの演劇部再建計画に噛みついてきたキャシー先輩たちを、いなしてくださった人ですから」


 それって、藍沢さんがオリジナル台本書くからうまく書けたらみんなで演劇やるぞ! ってやつのことだよね。その場ではもっと緊張感というか緊迫感があったらしいけれど。部長さんは藍沢さんを支持してくれたんだ。


「へぇ。信頼できる人なのね」

「そうでもないです」

「へ?」

「事なかれ主義なんです。波風立たぬよう、荒事を避けるように生きるのを信条にしている人です」

「それって、藍沢さんとは相性が悪いんじゃない?」

「わたしを日々、弄んでいる篠宮さんがそれを言いますか」

「濡れ衣を着せないでよ」

「篠宮さんの水着姿……いいですね。夏休みになったら大きなプールに行きましょう。楽しみです」

「会話を散らかすな」


 夏休みの件は前向きに考えておく。


「あ、部長」


 藍沢さんが私の後方を見やって、そう口にした。私も振り返る。

 昼休みの廊下には何人もいたが、こちらを、つまりは藍沢さんと視線が合ったせいなのか「げ」って顔をしている背の高い男子生徒が部長さんらしかった。逃げても後が厄介だと言わんばかりの表情で私たちに近づいてくる。ひょろりとしたシルエット。縁なしタイプの眼鏡をかけていて、髪は全体的に短く切りそろえられていた。

 バスケットボール部の参謀、そんなイメージ。あくまでイメージ。


「藍沢、何の用だ?」

「そんな嬉しそうな顔しないでください。この方は部長のファンではありません。演劇部の新入部員の篠宮さんです」


 嬉しそうな顔はしていなかった。が、新入部員という言葉にはそれまでの怪訝な面持ちを変えて驚きがそこに浮かんだ。


「じゃあ、まさか例のヒロイン? こんな美人、どんな汚いやり方で勧誘したんだ」

「なんですか、その信頼度の低さは。わたしが篠宮さんをいやらしい方法で籠絡したなんて、そんなの妄想するだけにしておいてください」

「言ってないでしょ。えっと、はじめまして。一年の篠宮夕夏です。藍沢さんとは……友達です」


 クラスメイトなんですと表現するよりは関係性がわかりやすく、藍沢さんの信頼度も少しは上がるかもしれないので、こうしておいた。マジかよ、って部長さんの目が口程に物を言う。


「あ、ああ。俺は木下。部長やってる。形だけ。他がやりたがらなかったから。なぁ、もしかして台本が完成したのか?」

「いえ、これからです。ですが期日である今月末日までには間に合わせますから、覚悟してください」

「お、おう。礼司にもこの件は伝えておく。あ、礼司ってのは福田礼司ふくだれいいじ。俺の幼馴染……まぁ、腐れ縁ってやつ。二年生で、美術部と兼部している」

「筋骨隆々のアーティストですよ」


 美術部なのに……? もしや肉体美を披露しているのではあるまいな。いけない、変な妄想をしてしまった。藍沢さんのせいだ。私は悪くない。


「気は小さいけどな。樫井のことが怖いって言っていたし」

「それきっと、愛情の裏返しですよ。篠宮さんがわたしを偶に邪険に扱うのと同じです」

「一ミリも重なる部分ないと思うわ」

「またまた~」

「本当に友達なんだな」


 そんなしみじみ言われると複雑な心情になる。


 これまで確認していなかったが、藍沢さんや木下部長の話しぶりから察するに、演劇部のみのグループチャットの類はないようだ。敢えて提案はしまい。藍沢さんが無駄に私に絡むのをその他大勢が既読無視するだけのものとなったら嫌である。

 そうは言っても、藍沢さんが台本を書き上げてそれが部員全員の動力源と機能することに成功したのならば、やはり交流の機会はあってしかるべきである。まぁ、今は思い描くだけであるが。


 ところで――――。

 藍沢さん。宮尾先輩。キャシー(樫井)先輩。木下部長。福田先輩。あと、そういえば藍沢さんが一年生でもう一人、合唱部と兼部している子がいるって話だったか。だとすると計六人。


「ねぇ、部員は私を含めて七人?」


 木下部長と別れ、教室に戻る際に藍沢さんに訊ねた。


「だったら、ちょうど七人の侍でしたね。でも実はもう一人いるんです。二年生で生徒会にも入っている人です」

「生徒会?」


 思い出すことがあった。


「その人と、藍沢さんが部活再建宣言をした時に通りすがった生徒会長って関係ある?」

「それはそうですよ。同じ生徒会役員なんですから」

「そうじゃなくて。生徒会長は個人的な理由で演劇部を目の敵にしている、そう言っていなかった?」

「篠宮さん、記憶力いいですね」

「あのねぇ、まだあんたと初めて話してから一週間しか経っていないのよ」

「……あの、それってわたしとの会話は全部覚えてくれているってことでしょうか」


 唐突な上目づかいやめてほしい。表情に乏しくても、その不意打ちはなぜだか私に効くって言って……はいないけれど、でも察して欲しい。


「細かい部分は忘れていても、おおよそは覚えているわよ。私は、あんた以外の友達っていないんだから。もう、何言わせているのよ、怒るわよ」

「怒っているじゃないですか」

「どうしてそこで笑うのよ」

「えっ? わたし笑っていました?」


 ぺたぺたと藍沢さんが彼女自身の顔を触る。わざとらしい。けれど、どっちなんだろう。本当に無意識なのかな。いつもが無表情であるのを彼女は自覚しているわけであるし。


「明るい笑顔ってほどではなかったけれど、微笑んでいたわよ」

「そうなんですね。新発見です」


 私たちの教室に着く。私は私でお腹が空いていた。藍沢さんに無駄口叩かせずに食事を摂らないといけないな。

 藍沢さんが前田君の机を動かす。彼女は視線を机の上に向けたまま、すなわち私のほうを見ないまま、小声で言う。私にだけ聞こえる声。


「篠宮さんのおかげでわたしも変われるかもですね」


 どういうことよ、と訊き返そうとするも藍沢さんはその言及を避けるようにして、自分の席へ昼食のパンを取りに行った。戻ってきたらけろっとしているんだろうなって思う。

 

 むずむずした。

 表情が読めないと、なんてことない言葉なのか、少しは特別なのかがわからないから。私は……その声色に特別が、彼女の本心が含まれている気がした。

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