犬のようでもあり猫のようでもある

 月曜日の放課後に私と藍沢さんは教室に残って打ち合わせをする。

 曰く、第一回一年二組演劇部会議だそうである。言わずもがな、私と藍沢さんしか参加しない会議だ。ふたりでも会議と言っていいのかな。先日の宮尾先輩との巡り合わせが偶然だっただけで、藍沢さんと部の取り決めは台本が出来上がるまでは集まらないというものなのだ。

 けれど、宮尾先輩なら誘えば参加してくれるのでは?


「宮尾先輩、もともと月曜日は手芸同好会に顔を出しているんですよ」

「手芸同好会?」

「ええ、お茶会しています」

「……お茶会?」

「ええ、お姉様方たちで姦しく。編み物でもしながら、おしゃべりに興じ、持ち寄ったお菓子なんかも食べつつ。そういう青春をしています。先輩に誘われて一度出席させてもらったんですが、三十分で退席しました。ああいうの男子は知らないほうがいいでしょうね。女子の実態といいますか」


 どんな話をしているんだ。何はともあれ宮尾先輩にとってその寄合も重要であるのなら、下手にこちらには誘えないわね。


「訊くだけ訊くのだけれど、その手芸ってのは本格的な裁縫は含まないの? たとえばそう、演劇の衣装」

「それですよ。わたしがお茶会に誘われたきっかけ。宮尾先輩が手芸同好会に入っているのがわかって、それなら衣装作りができたら素敵ですよねって、そう言ったんです。そうしたら、どんな活動をしているか見せてあげるねって連行されました。あの人、力あるんですよ。伊達にがつがつ食べていないですよ」


 最後のは本人に言ったら、あの笑顔が崩れてしまうぞ。あるいはあの笑顔のまま、何をされるかわからない。


「そっち方面で頼りにすべき同好会ではないってことね」

「ええ。そういう勝手がいい演劇部員はいません。頼るなら、裏で隠れてコスプレイヤーをやっていて衣装を完全自前で作成している、表は生真面目委員長みたいな人をヘッドハンティングしないとですね」

「なにその妙な人選は。心当たりがあるの? うちの学校にいるわけ?」

「さぁ。いてくれないかなぁと。まぁ、こういうのはむしろ手先が器用な強面男子のほうが近頃の相場に適っているのかれませんね」


 ようは藍沢さんの妄想だった。近頃の相場ってなんだ。どこの需要と供給だ。


「それに、篠宮さんはわたしとふたりではお嫌ですか?」

「よりよい台本を作っていくのに、会議参加者が演劇素人の私だけってどうなのかなって」

「むむむ……。正論です。でも、今のシーンはわたしをときめかせる台詞を言わないとですよ」

「なんで?」

「ぷいっ」


 そっぽを向かれてしまった。面倒なので放置する。ちなみに演劇部の部室へは遠いという理由で出向かなかった。ありがたいことに、クラスメイトも出払ってくれている。いや、べつに私たちのためにさっさと離れたわけではあるまいが。


「さてと――――」


 私は机を見やる。藍沢さんが土日で書き上げてきてくれた、プロット。それに目を通して順位をつけることが今回の会議で私に求められた課題であった。B5の大学ノートに手書きで数ページ。彼女が言うには、自分用のノートパソコンを持っており、台本は手書きで作成するつもりはないとのことだった。アイデアを出していく段階ではこれまでも専らノートに手書きでやってきたのだという。朝一番で渡してくれれば、放課後までには読んだのに。


「訊かれる前に言いますけど、緊張します。この段階で見てもらうのって久しぶりなので」

「そう。さっさとそこ、座ったら?」


 自分の席に座る私の隣に彼女はずっと立っていたのだ。


「でも、許可をとってはいないので」

「昼に声をかけていたじゃない。何度も言わなくてもって顔していたわよ。えっと……横田くん」

「前田君ですよ。篠宮さんから見て横だからって横田と間違えるなんてあんまりです。その理屈だと今のわたしは横沢じゃないですか」

「いいから座りなさいよ」

「でも、座るとわたしは篠宮さんに見下ろされてしまいます。わたしは対等でいたいんです」

「現在進行形で見下ろしているあんたが言うな」

「では、こうしませんか。いえ、しましょう。篠宮さん、詰めてください。わたしもその椅子に座ります。そうすれば、そば沢です。心もざわざわしちゃいます」

「嫌よ。なんで放課後の教室でふたり、一つの椅子に仲良く座っているのよ」

「安心してください。ヒロインの席は篠宮さんの他には譲りませんから」

「うまいこと言ったって顔しないで」


 得意気だった。うまくないっての。今から誰かに譲られるのも釈然としないけれどね。そんなこんなで隣の席を借りた藍沢さんだった。私が読んでいる最中、彼女からの視線を感じる。

 でも、かまわない。断じて。話を進めるのだ。演劇部再建計画に必要な舞台作りを進めなくてはならないはずなのだ。それがお互いにとっていいに決まっている。


 六つあるプロットのうち半分の三つは温めてきたネタをアレンジしたものらしい。どれがそうなのかは教えてくれなかった。そして前提として、私たちの学校の文化祭で充分に上演できなければならないという制限がある。この制限にはさらに大前提があって、演劇部での公演ということだ。

 何が言いたいかというと、先週の水曜日の藍沢さんの話を思い出せば、部員数は十人未満であるのだから一人で何役もしない限り、登場人物数にも制限がある。舞台道具の準備にも限界が生まれる。

 もっとも一昨日にカフェで藍沢さんから聞いた話だと、端役であれば一人で三役以上も視野に入れているとのことだった。役者候補は現時点で何人いるんだろう?


 読み終えた私がふぅと一息ついて隣を見ると犬がいた。わかっている、藍沢さんだ。待てと言われて待っている、でも待ちきれないってのが顔に出ている犬みたいになっていた。この前は私のことをそんなふうに言ってきたくせして、自分こそってやつだ。とはいえ、いつもの無表情が少しばかし崩れているというだけではある。全体としてそわそわしているのが伝わってくるのだった。


「忌憚のない意見をお願いします」

「そうね、まず……」

「あ、待ってください。やっぱり優しくお願いします」


 三秒未満の撤回だった。おいおい。


「ん、ん。六つともに言えるのは、物語の大筋に既視感があるってこと。これだけ創作物が氾濫している世の中なのだから避けられはしないわよね、きっと」

「演者の数だけ演劇がある、そう言っていても解決しないですからね。著名作品を演じるでもなく、そのオマージュ、リスペクト作品を書くつもりもわたしにはありません。ストーリー上、似たような話はたくさんあるだろう、というのは前もって想定済みです。これを開き直りともいいます」

「……そうなると細部と演出面で独自性を確保しないとなのかな」


 自分で口にしてみて、それってつまりどうやるんだろうって困ってしまう。演出という言葉自体が、私の中ではつかみどころのない用語だ。演出家ってなにしている人なんだろう。


「既存作品との類似性っと」


 藍沢さんがメモをとっていた。

 当然、私が今読み終えたプロットの字と同じだ。整った字である。実際に見てわかるが、丁寧な書き方をしてる。調子に乗って話が脱線しそうだから直接褒めてはあげない。


「篠宮さんから指摘されて、ほっとしたようなそうでもないような気がします」

「ありきたりね、って一言で片づけなかったのは、そうできなかったからよ。既視感はあっても、その塊じゃないって私は思ったの」

「なるほど。一つ一つの寸評もほしいところではありますが、先にお願いしたとおり、六つのなかで順位をつけてくださいましたか? ええと、第一候補と第二候補のふたつにでも絞って下さると助かります」


 悩む。どれが一番面白いのか。どれだったら与えられた条件下で、この子が思い描く理想の劇に最も近づけるのか。それって私なんかで答えが出せるのかな。


「……ねぇ、もしも全面的に藍沢さんの判断に任せたいって言ったら怒る?」

「わたしがですが? 篠宮さんに? 怒りなんてしないですよ。このわたしを納得させるだけの理由があるのなら、がっかりだってしません」

「なければ?」

「家でめそめそ泣きます。もしくは、ばうばうと鳴きます」


 両方、聞くに忍びない。後者は吠えていない?

 どれを候補として選出するか迷う私に対し、藍沢さんもまた人差し指を唇に軽く押し当て、伏し目がちになり、思案しているふうだった。沈黙があった。図書室で最初に会話をしてから、ふたりきりでいるときに、こうも深く黙っていたことがあっただろうか。

 やがて藍沢さんが「わかりました」と言った。私に、というより彼女自身に言い聞かせていた。


「篠宮さんが、六つのうちでどれについても演じてみたいと思えなかったとしたら、篠宮さん自身が舞台に上がるのをこれっぽちもイメージできなかったとしたら、それはわたしに非があるのだと思います。ですから、全面的に判断を任せてくれるのであれば、全面的に組み直します。それはわたしがしないといけないことです。わたしの責務であり使命ですから」


 ずいぶんと重い。それなのに藍沢さんは微笑んだ。

 いや――――私が軽く考えてしまっていたのだろうか? 

 今一度、視点を変えて読んでみるべきだ。

 観客目線は必須であるが、しかし演者として舞台に上がるのであればその目線だって必須に違いないのだ。そういう意味で、私は彼女が求める態度で読んでいなかったといえる。プロットに目を通した際、それぞれの物語の中心であるヒロインに自分を重ねた? ううん、できていなかった。どこか他人事。読者目線。

 それを藍沢さんのせいにしたくない。まだまだプロット段階に過ぎないから、と言って自分の役割から逃げたくない。


「藍沢さんは、さ」

「はい」

「これ全部、私がヒロインを演じるのを心に決めて、書いてくれたんだよね。前々から温めていたのも書き直してくれた……ってことなんだよね?」

「そうです」

「そうなんだよね。曲がりなりにも私を選んでくれたんだよね」

「まっすぐにですよ。まだ伝わっていませんでしたか?」


 ちがう。今の曲がりなりってのは、ようは私がベストじゃなくて、本来なら、演劇経験があって、そうでなくても目を見張る美人で、生まれながらにして特別な存在で、そんな人がきっと大舞台に立つべきで、それが彼女が求めるヒロインなんだって、ダメだ、ごちゃごちゃしてきた。


「篠宮さん?」


 つい俯いてしまった私。藍沢さんが覗き込んでこようとするのがわかる。なんでもないわ、と顔をあげると彼女と目が合う。

 彼女のその瞳と微笑みが私を変にする。そうなんだと思う。少しずつ少しずつ、音がずれていく。張りつめていた弦を彼女が緩めていく。まだ出会って間もないというのに。不快ではない。その事実が、さらに心を惑わせる。


「一晩考えさせて。うん。そうしたい。私なりに想像を膨らませてみるから」

「わかりました。焦ってもしかたありませんよね。わたしもまた考えてみます」


 ああ、やっぱり朝一番で受け取っておけばよかった。

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