阿波尾鶏ってのが美味しいらしい

 藍沢さんから宮尾先輩へのお願いは、ざっくり言えば私への演技指導だった。


「でもねぇ、そんな過度な期待はしないでよぉ。持っているハウツー本やネットの動画を参考に、いっしょにレッスンしていくってだけだからねー。るるは現役の役者ってわけじゃないんだからぁ」


 私の正面に座った宮尾先輩はジャンボなパフェを1人でぱくぱく食べながらそう話した。分けてくれる気配はない。甘いものは別腹と話には聞くが、見かけや口調に反して、すいすいと食べていく。あれか、糖分が全部胸にいく人なのか?


「基礎的なトレーニングは1人でできても、実践的な演技練習は人前でやってこそですからね。それに独り舞台でもなければ、共演者との呼吸を合わせていくのが重要なのはわかってくださると思います。そういう意味では、篠宮さんと宮尾先輩のペースというのは全然違うので、お互いにいい練習になるかと」


 私の真横に座る藍沢さんは、先輩が食べているのと比べて二回りは小さい、抹茶白玉ぜんざいパフェを口に運びながら淡々と説明した。私はというとストロベリーのジェラートパフェを選んだ。好きだから選んだが苺の旬からはもう外れている気もする。


「基礎的な部分って、たとえば発声練習?」

「ええ。舞台上で場面に応じた必要十分な声、観客たちが聞きとれる質量の声を出せるか。そこが未経験者にとっては乗り越えないといけない壁の一つですね。無論、人前で過度に緊張せずに演じるというのをクリアする前提はありますが。終始、緊張しっぱなしで滑舌の悪い登場人物を書く予定もありません」

「あと基礎体力も。シノちゃん、シノちゃん。そんな顔しないでぇ。発声については、一カ月間みっちりもっちりやれば、演劇部っぽくはなるからねぇ。オーディションを受けるでもないんだから、肩の力を抜いていこうぉ」


 もっちりってなんだ。チョコレートやバニラの山じゃ飽き足らず、藍沢さんが食べる白玉にも目がいっているのかこの人は。


「あ、ありがとうございます」

「それはそれとしてぇ、アイちゃんが台本書き上げてくれないと、どーしようもないのも事実なんだよぉ? わかっているよねぇー?」

「そんなふうに見ても一口だってあげませんからね。これは篠宮さんからいただいたご馳走。いわば愛の証。わたしが残さず大切に心身の糧にしますから」

「誇張が過ぎるっての。ねぇ、ぼんやりとでも考えてはいるんでしょう?ええと……そう、たとえば喜劇にするか悲劇にするか、みたいな」

「ファンタジー、オア、ヒューマンドラマ?なんかねぇ、イセカイテンセイが界隈で流行っているってのも聞いたよぉ?」


 私と宮尾先輩の追究に、藍沢さんはスプーンを動かす手を止める。顔を真横に、つまり私へと向ける。


「篠宮さんとしてはどっちがいいですか?」

「え?」

「ラストシーンが終わり、幕が下りていく。拍手と共にある観客たちの表情が眩い笑顔か、哀切に涙を浮かべているのか。どちらがいいですか。おそらくその時、舞台の中央にはあなたがいますから」

「急にそう言われても……」

「るるが思うにぃ、人を泣かせるのと笑わせるのとでは後者が難しくよねぇ」


 答えに窮した私に、宮尾先輩がサイドテールを邪魔そうにいじって言う。


「その心は?」


 藍沢さんの振りに、宮尾先輩はいくつかのタイトル、ここ数年以内で大ヒットしたような映画や小説を指折りして挙げた。小説は私も読んだ作品があった。それに映画については疎い私でも見聞きした記憶のあるタイトルだった。そしてそれらの評判を一言で表すなら「泣ける」。


「みーんなさ、誰かしら死んじゃうんだよねぇ。そうでなくてもお別れがあるの。それで泣く。あのねぇ、そんな単純じゃないってのはわかるよぉ? 露骨にお涙ちょうだいの死に方だと萎えるってのは。でもさぁ、そうは言っても、泣けちゃうときは泣いちゃうんだよねぇ。なんなんだろうね、人のあたたかさに触れたり、成長に感動したりで泣いちゃうってのもあるんだけど、でもやっぱわかりやすいのはお別れかな」


 宮尾先輩は変わらずゆるりと話しているが、その目は真剣だった。

 私は思い当たる節があった。たとえば小説を読んでいて、これまで何度も味わった葛藤。読み進めたい、でも読み進めていけばこの人――――理不尽な死が運命づけられている登場人物――――は死んでしまう。そこが山場であり、時に結末であるのに、ううん、だからこそ躊躇してしまう。

 幸か不幸か、私はそういったことで涙をこぼすには至らない。目頭が熱くなる、切なくなる、それぐらいだ。

 藍沢さんだったら……?

 ふと私の頭にそんな疑問がぽんっと浮かんだ。この無表情な子。感情を表にするのが苦手な同級生は、映画や小説、ドラマやアニメ、それらで涙するんだろうか。彼女が泣きじゃくる姿をまるでイメージできない私だった。


「でねぇ、それと同じぐらい笑えたらって思うんだよねぇ。るるはさ、カンセイがずれているのかなぁ、他のクラスの子が笑っているところでも、うまく笑えないときがけっこうあるんだぁ。そういう話をねぇ、前に友達にふたりのときにしたら、そんなものじゃない? って。なんだかなぁってなるよねぇ。…………ごめんねぇ、話逸れちゃったね」


 宮尾先輩は言うだけ言って黙々と食べるのを再開した。

 そうなると、私は先の藍沢さんの問いかけに答えを出さないといけない。

 喜劇か悲劇か。私が見せたい舞台、目にしたい観客席にいる人々の表情。それらは十中八九、在校生が大半に違いない。彼らは私の演技に笑ったり泣いたりするだろうか。まぁ、こんなものかなと形だけの拍手を送り、楽しい文化祭の記憶のほんの一欠片になって、瞬く間に忘却へと埋もれるだけではないか。

 それって悔しいかも。

 方向音痴、ううん、どこまでも後ろ向きな私の思考に微かな熱が生まれた。どうせやるなら、と。馴れ馴れしい小さな友達に囃し立てられてその気になり、おっとりとした先輩に世  話をかけてもらって稽古に取り組む。

 それならば私は、そうだよ、私だって――――。


「藍沢さん。まだ私はね、こういう劇をやりたいっていうのはないわ。でも……」

「でも?」

「やるからには、盛大な拍手がほしいわよね。皆が無我夢中で手を叩くのをね、舞台上で眺めるわけ。ねぇ、そういうのってきっと気持ちいいんでしょうね。とっても。そう思うのって傲慢かな」


 自然と。横目で見ていただけだった藍沢さんと顔を向かい合わせにして訊ねていた。それまでどこか冷ややかに、斜に構えていたのを恥じてしまうほどに、私は思いつくままに口にしていた。勢いで柄にもないことを口走っていたのだった。


「いいえ、驕り昂ぶりではありません」


 藍沢さんは茶化さずに受けとめてくれた。この子はこういうときは外さないのだ。


「篠宮さんのそれは激情。憧憬、希望、とにかく明るくて熱くて、まっすぐで……。わたしが今、何を考えているかわかりますか?」

「えっと……台本は書いた経験はあるけれど、舞台には立ったことがないから、よくわからない?」

「はずれです。おおはずれです! なんでそこでボケるんですか、天然ですか!」


 ふふっと笑い声がした。それは宮尾先輩のものだった。視線をそっちに向けると、「おかまいなく~」と手のひらをひらひらされてしまった。


「嬉しいんです。また新しい篠宮さんに会えて」


 先輩に聞かれているせいだろう、藍沢さんが気恥ずかしさを面に僅かに露わにして口にする。そして先輩の位置からだとテーブルで見えないが、藍沢さんはソファの上で自由な私の片手にそっと触れた。


「お昼休みの照れた篠宮さんも、怒った篠宮さんも素敵でした。けれど今、目を輝かせて、決意を抱いた篠宮さんはもっと素敵です。そう思ったんです。それでわたし、ますますあなたのこと……」

「あー、げふん、げふん」


 手が離れる。私と藍沢さんは咳払いの主、宮尾先輩を見る。一瞬、ばつが悪そうにしてから「いやさぁ」と大きめのスプーンをこっちに向けた。


「甘いのが、もっと甘くなるからぁ、そこらへんで一旦打ち切ってもらおうかなぁって。ごめんねぇ」


 おかまいなくとはなんだったのか。


「す、すみません……?」

「宮尾先輩。今の『いやさぁ』というのは、沖縄の民謡の掛け声ですか」

「そうそう、えいやー、いーやー、さーさー……ってなんでやねん」


 ノリツッコミだった。生で聞いたのはいつぶりだろうか。


 その後、宮尾先輩とどういうスケジュールでレッスンしていくか簡単に打ち合わせをした。流れで二人と連絡先を交換もした。藍沢さんが「眠れない夜に電話してもかまいませんか?」と言ってきたので遠慮しておくように頼んだ。

 どろどろになっていくパフェを急いで食べたのは私だけで、宮尾先輩は自分のを食べ終えてなお、目をきらきらとさせて食べる私を、もとい、パフェを見ていた。店を出るなり「甘いものの次はしょっぱいものが食べたくなるよねぇ」と言う先輩には後輩二人で閉口した。「じょ、冗談だよぉ」とはははと笑う先輩だった。


 

 

 その日の夜、案の定反省があった。言っちゃったなぁと。

 けれど、後悔はしないつもりだ。ああいう台詞、つまりは舞台に上がることに前向きになった旨を伝えたからには月曜になって撤回するのはまずい。藍沢さんや宮尾先輩との仲どうこうよりも、私の生き方に反する。……などと恰好をつけようとしてみたが、大それた人生観は持っていなかった。ううむ。

 なるようにしかならん! とお風呂に入ってさっぱりした私は着替えて部屋に戻るとベッドの上に寝転がった。スマホを手に取る。着信がある。メッセージアプリの。


『観劇で感激しませんか』

 

 そんな文面がディスプレイに表示されている。お風呂で温まったばかりだというのに、寒気がする文面だった。言いすぎか。梅雨前にはちょうどいい涼しげな駄洒落とでも言っておくかな。

 着信時刻は二十時過ぎ。約三十分前だ。私がまさに入浴しに部屋を出た頃合いに届いたようだった。

 返すかどうかで迷っていると、なんと追撃が来た。


『明日、お暇でしたらいっしょに舞台を観に行きませんかという意味です。もし少しでもその気がおありでしたら、お返事くださると幸いです。寝ないで待っています。』


 一転して堅苦しい文面だった。最後のは冗談だよね?

 私は数分考えた後、『場所と値段によるかな』と返そうとして思い留まった。どうなんだろう、この回答、そしてこの着眼点。体のいい断り文句を検討もしてみたが、億劫となり、かといって粗雑に『嫌よ』とするのもなぁと。それに、だ。舞台には観に行きたいのだった。土曜日の予定は空いているし。

 

『誘ってくれてありがとう。遠出でなければ行こうかな。詳細を教えてくれる?』

 

 我ながらひどく無難な文面だった。詳細というのは演目や観覧料も込みだが、彼女がそれを汲み取ってくれるといいのだけれど。読み返してみて、なんか普通に友達しているな、と自分でもよくわからない感覚があった。

 一分後、下書きでもしていたのか、まさしく詳細が送られてきた。

 会場はこのあたりでは最も大きな駅から、徒歩十分に位置する市民文化会館であるそうだ。私たちとは別の高校の演劇部の定期公演があるらしい。定期公演を校外に場所を借りて行っている部だから、私たちのなんちゃって演劇部とは規模が天と地の差ほどある。無料であるから金銭的な心配は不要。ご時勢ゆえか関係者以外が自由に入場できるわけではなく、学校側が発行している簡易的なチケットが必要……なのは、大人のみで、学生については学生証さえあればどこの学校でも受け入れているのだという。野球やサッカー、その他のスポーツのように、大会前に強豪校の偵察なんてのもあるだろうか。そういう青春もあるんだなぁと完全に他人事であった。


『ドレスコードなんてのもありません。こちらとしては私服姿の篠宮さんと至福のひと時を過ごせたら、と思っていますが。』

 

 やりとりに、逐一くだらない駄洒落を織り込まなければならない運命でも背負っているのか。句読点をきちんと打つのも、いかにも藍沢さんだ。『制服で行くわよ』と送る。目をつけられはしないだろう。誰かの友達の友達とでもみなしてくれたらそれでいい。万一、声をかけられたら藍沢さんに振ろう。そんなわけで改めて了承のメッセージを送ると彼女から返信があった。


『ありがとうございます。楽しみで今夜は眠れません。篠宮さんのせいですよ? それはそうとパジャマ姿の地鶏送ってくれませんか』

 

 地鶏? ああ、自撮りか。この誤変換はウケ狙いなのかな。

 私は返信することなく、数学の課題を一時間ほどしてから眠りについた。

 いつもより眠れなかった。少しだけね。

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