ラズベリー
「すもももももももももももものうち」
「『も』多すぎじゃない?」
「ちなみに同じバラ科でも桃はモモ族、李はサクラ属に分類されています」
「ふうん」
二人での帰り道。私も藍沢さんも電車通学なので、駅へと歩いて向かった。そして彼女の案内で駅近くの大通りで脇道に入り、少し歩いた場所にある洋菓子店に入ったのだ。常連ではなく今日が初めての入店なんだとか。「歩きながらの話ってどうしても雑になってしまいますから。腰を据えて、甘いものでも食べましょう」と彼女は言っていた。
「隣の客はよく柿食う客です」
「藍沢さん? 隣に客はいないわ」
立地が悪いのか、単にテイクアウトがメインだからなのか、私たちの他に中高生は居座っていない。離れた席におばちゃん数人がいるぐらいだ。若い子は同じスイーツでも駅前のお店に行くのかな、と若い子であるはずの私は思った。
「柿ではなく、そちらはラズベリーのムースケーキでしたか。美味しそうですね。よければ二口いただけませんか」
「お断りよ。強欲ね。一口たりともあげないんだから」
それに美味しそうではなく、美味しいのだ。ちなみに藍沢さんの奢りである。
食後には紅茶をいただいた。ミルクやレモンのないダージリンのストレート一択の提供。これも藍沢さんの奢り。カップとソーサが質素な安物で、経費削減ってやつだなと思う。
「では、本題に入りましょうか」
「そうしてもらえると助かるわ」
「思ったより乗り気なんですね。助かります」
「都合のいい解釈しないで。私はあなたが考えているよりも短気な人間よ」
「そうでしたか。また1つ、篠宮さんを知ることができて嬉しいです」
「嬉しそうな表情していないけれど?」
「似たようなこと、よく言われます。いえ、言われてきました」
「…………」
「そんなに見つめないでください、照れます」
「あんたねぇ」
感情が表に出ないというのは、メリットとなる場面もあればデメリットとなる場面もあるだろう。同情する気なんてないし、過去に何があったのかを聞いてあげるつもりもないが。そういうのはそれに適した間柄の人間がしてあげればいいのだ。そういった人間が誰にでも一人はいるべきなのだ。そうだ、そうであってほしい。
「察していると思いますが、わたしは演劇部に所属しています」
当然、察していた。昨日の放課後に「中学生のときも」と口にしていたのを覚えている。彼女は演劇部について詳細を語る。
「部員数はわたしを含めて十人に満たず、活動に消極的な部です。顧問の先生は演劇には門外漢です。大人になって観劇しに行ったことは一度だってないとも話していました。週に三度、月・水・金が活動日として設定されているようですが、この二カ月で全員揃ったのは見たことありません。初日でさえです。真、嘆かわしい現状です」
「一年生は藍沢さんだけ?」
「いいえ、もう一人。別のクラスの女の子が。篠宮さんほどではないですが、綺麗な子です。ただ、合唱部にも入ったみたいで、演劇部には籍を残してくれている状態というのが適切ですね」
「先輩方も兼部している人ばかりで、ようするに演劇に対して真剣な人なんてまるでいない。……そんな雰囲気がするけど、どう? 見当違い?」
「中らずと雖も遠からず、ですね。このわたしの熱意に圧倒されて、そういうことなら協力しようと言ってくれた先輩もいますから」
「藍沢さんの熱意……もちろん演劇に対するってことだろうけど、協力っていうのはつまり、部の再建にって意味でいいの?」
ここまでの藍沢さんの話を聞き、私が頭で思い浮かべたストーリーは単純明快だ。
演劇好きな彼女は演劇部に入ったものの、他の部員たちはやる気がない。それなら自分がと一念発起して演劇部を盛り上げよう、舞台を作ろうと奔走している。役者集めもその一環。そして私に白羽の矢が立った。
「概ねそのとおりです。目標は二学期の十月一日、二日に催される文化祭にてオリジナルの舞台を上演し、盛大な拍手をもらうというものです」
まともだ。あれほどふざけたことを抜かしていても、今の彼女は私にとって充分に眩しかった。やりたいことがはっきりしている。志があって、その実現のために日々を過ごしている。そうではない私と比べれば、彼女は青春を謳歌しようという気概があった。惜しむらくは決して一人だけの力でどうにかできる挑戦ではないことか。
「そんなわけで、啖呵を切ったんです。むしろ口火を切ったと言いますか。作戦開始、やってやるぞーっと」
「先輩方や顧問の先生を相手に?」
「ええ、つい先週に。あと通りすがりの生徒会長にも。遅くても六月までにはオリジナルの台本、ナウなヤングにバカウケなチョベリグなやつを仕上げてみせます、ヒロインはもう決まっているんですからって。その人が舞台に上がりさえすれば、勝ったも同然だって」
「ちょっと待って」
口をつけようとしたカップをソーサーに戻す。微かに揺れる夕焼け色の水面。私の心もまたざわめいていた。
「どうしました?ああ、チョベリグというのは1996年の流行語大賞に入賞している……」
「一つずつ訊いていくわね」
「どうぞ、どうぞ」
「まず藍沢さんが演劇部の再建を目指して動き始めたのは、ほんの数日前なの?」
「な、何もしていなかったわけではないですよ?本当です。ええっと、四月は……新生活に慣れようと忙しく、五月は、ほら、五月病をこじらせていまして、しかたがなかったんです」
「二つ目。通りすがりの生徒会長ってのは?」
「気にしないでください。個人的な理由で演劇部を目の敵にしているらしいってだけなので。わたしは気にしません。べつに漫画やアニメみたいな特権をお持ちではないみたいですし」
「……三つ目。藍沢さんの言うヒロイン、『その人』って――――」
「篠宮さんですよ?」
私は頭を抱える。気持ちを落ち着けるために紅茶を飲んだ。
「ねぇ、確認だけれどヒロインってのはつまり主演?」
「はい。篠宮さんが主人公です。そこは譲れません」
「もしかすると藍沢さんは人違いをしているんじゃない? 私には演技の経験なんてないのよ」
「お任せください。なるべく自然な、ありのままの演技で申し分がないように、台本を書いていきますから」
「……。四つ目の質問をするわね。今、台本はどれだけできあがっているの?」
藍沢さんは指で進捗を示す。右手のグーから指を一本ずつひらいていく。そしてパーを私に向かって見せたかと思いきや、それを横にして指を折り曲げてみせた。
私に示されたのは円だ。丸。すなわち――――
「ゼロってこと?」
藍沢さんは肯いた。
今は六月初旬。期日は六月末だとこの子は話した。仮に昨日の話、トラの回想が事実だとして彼女に自信と才能があって、一カ月あれば書き上げられるとしても、それで不安は払拭されるだろうか。
否、私は楽観的になれない。
「ねぇ、本当に何も考えていないの?仮に、ある程度の構想があって、その物語の主人公として私が最も相応しいのだと感じたゆえに、あなたなりの勧誘を試みたというのなら筋が通るわ。けれども、そうでないのなら、つまりは無条件で私を主演に抜擢するなんて、おかしい」
「篠宮さんは筋を通す人なんですね。ロジカルシングってやつですか」
「歌ってどうするのよ。それを言うならシンキングでしょ。……理屈っぽい、とは何度か言われた経験があるわ」
「賛辞ではないですよね、それ。でも、わたしとしてはありがたく思うんです」
「ありがたい?」
「はい。そう見えなかったかもしれませんが、わたしは昨日、篠宮さんに声をかけるのに勇気がいりました。もしもまるで相手にされなかったらって。怖いなって。今日だってそうです。わたしの話なんて聞いてくれずに一人で帰ったらどうしよう、そう恐れていたんです。でも篠宮さんはわたしの発言の意図、接触してきた目的というのを見定めようと行動してくれています。それはありがたいし、嬉しいわけです」
両の掌をピタリと合わせる彼女。拝むな。「ありがたや、ありがたや」って唱えているんじゃないわよ。
「かいかぶりすぎよ。それに昨日はあんなユニークな話の振り方をしておいて、相手にされるかどうかなんて言うは変でしょ。『話したいことがあるから今いい?』でいいじゃない」
「またまた~。そんな普通の誘い方しても、断ったくせに~」
想像してみる。話ぐらいは聞いたと思う。私は、漫画や小説によくいる「氷の~」で始まる異名を持つ冷淡な振る舞いをする人間では決してない。入学してから、誰かを冷たくあしらった覚えはない。ただ、親しみやすさがなく、自分から積極的に話しかけもせず、周囲と親愛を育む意欲が乏しいだけだ。これ、自分で言っていて悲しくなるわ。
「理由ならありますよ」
「え?」
「篠宮さんをヒロインに選んだきっかけ。言い換えれば、わたし個人があなたに惹かれている、そのわけ。教えてほしいですか? 教えてほしいですよね。ああっ、でも恥ずかしいです。知ってほしい、知られたくない、裏腹な乙女心です」
「話してくれなきゃ進まないわよ。私を納得させるだけの事情があるとは思えないけれどね」
「今のって『ふんっ、私をその気にさせてみなさいよ』っていう意味ですか」
「……私って陰で『氷の女王』みたいなあだ名で呼ばれていないわよね?」
「ないですね。ただし、べつの噂を耳にしました。まさしくそれこそ、篠宮さんに興味をもった理由なんですよ」
「噂?」
私に関する? だとしたらそれは噂というより陰口なのではないか。
藍沢さんはもったいつけるように、卓上の紙ナプキンを一枚とり、口許を拭ってから話す。
「一週間前のことです。クラスメイトが何気なく話しているのが耳に入りました。噂よりもむしろ世間話ですね。篠宮さんって声を立てて笑ったところ見たことないよねー、と」
「そう……」
「篠宮さんが自室でポテチでも食べながら、動画投稿サイトで漫才やコントを視聴し、げらげら笑っている姿は想像しがたいとも。それと比べたら、推しのVTuberがいて同担拒否勢であったり、素人の料理動画に批判的なコメントを寄せていたり、マイナーカップリングのイラストをネットに投稿し続けたりしているほうがイメージしやすいって」
「どれもしていないわよ」
「わかっています。篠宮さんはポテトチップスをお箸を用いてお召し上がりになるタイプの人ですよね。お上品ですもんね。そういうの逆に風情がないなってわたしは思います。指を汚したくないなら開けた袋から口へとダイナミックリリースするほうが、いとをかしですよ。お菓子だけに」
何を熱弁しているのだ。
そもそも私、スナック菓子類は全然食べないんだけれど。チョコレート系は好きだけれどさ。
いやいや、今はそんなのどうでもいい。
「それでその噂と主演への選出がどう結びつくのよ」
「わたしは思ったのです。でも篠宮さんが笑ったら、ぜったいぜったい超絶可愛いだろうなーって。ピンときたぁ! よしっ、これだぁ! って」
「は?」
普段よりいくらか低い声が出てしまっていた。しかし藍沢さんは顔色を変えない。
ううん――――微笑みを浮かべていた。
「茶化しているつもりはありません。お望みなら何度だって言いますよ?」
「それはやめて」
「癇に障ったのならすみません。けれど、わたしにとっては希望だったんです。僥倖、光明、そういった類の発見でもありました。ライトなノベルのタイトルっぽく言うなら『クラスの笑わないクール系美人を舞台のヒロインに抜擢したら世界が百合色になってしまったのですが』みたいな?」
みたいな、じゃない。やはり同意しかねる。そして私たちはしばし黙って見つめ合っていた。睨み合うはずが、彼女の瞳に敵意もなければ嘲りもなかったから、私は強く睨めなかったのだ。
先に視線を外したのは藍沢さんだった。
「あの……恥ずかしいです。そんなに熱く見ないでください」
そんな戯言を口にして。驚くことに、本当に頬が微かに赤らんでいる。
「わたしは確信し、望んでいるのです」
「何を?」
「篠宮さん、あなたは舞台の上でどんな花よりも綺麗に笑えるんです。その笑顔をわたしは見たいんです。その笑顔がきっとわたしを救うんです」
砂糖菓子というより、未熟なベリーのような台詞だった。
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