第6話

 祝宴をあげると言っていた通り、さっきから下の階は酷いどんちゃん騒ぎで、野太い笑い声が絶えず響き時々何かが割れる音も聞こえた。

 サラ達の部屋は誰も喋っていないので余計に騒音が際立ち、一味の仲間であるはずの少年の方が気まずい顔をする程だった。

 サラはふと気になって少年に尋ねてみる。

「そういえば貴方は行かないのですか、祝宴に」

 サラに急に話し掛けられて少年は驚いたようだったが、やはりすぐに睨んできた。

「……俺を追い出して、逃げようったってそうはいかないからな」

「いや、今は逃げないですよ。今私達が逃げると貴方の責任になってボコボコに殴られるでしょう?だから後で逃げますよ、貴方が見張り番じゃなくなってから」

「貴族のボンボンとお嬢様が逃げれると本気で思ってんのかよ。本当に世間知らずだな」

「というと?」

「ここは過去に傭兵をしてた奴とか下級騎士の次男坊とかの集まりだ。腕が立つ」

「貴方は?貴方はまだ実行部隊には加わったことはない?」

「それは……まだだけど、俺だってもうすぐだよ!そっちの方が分け前を多く貰えるんだ」

「そうですか。まぁ、あれだけの乱痴気騒ぎを演じれば折角の実力も半減しそうですけどね~」

「だから逃げられるはず、なんて馬鹿な妄想抱くなよ。どれだけ酔っぱらってたってアンタらの敵う相手じゃない」

 思いのほか深刻に少年が言った。もしかすると過去に逃げ出そうとした人質を見たことがあるのかもしれない。

「忠告ありがとう」

 微笑みながら礼を言うと少年は目をそらした。

 階下から怒鳴り声が聞こえてきたのはその時だった。

「おい!ジョミー!酒が足りねぇぞ、倉から取ってこい!」

「は、はい!……おい、いいか?逃げるなよ?逃げなきゃ金と引き換えに無傷で解放してやるから」

「……」

 ニコッとサラは笑った。それをどう解釈したのかジョミー少年は気の毒そうな顔をした。悪意に触れたことのない温室育ちの令嬢が未だに状況が掴めておらず無邪気に振る舞っていると考えたのか、それとも現実が受け止めきれず気が触れたと思ったのか。ややこちらを気にしながら出ていく少年を見送ってサラは隣に目をやった。トビアは先程からずっと黙りこくっている。

「お兄様」

「……」

「トビアお兄様」

「……ん。ああ、すまん」

「考え事ですか?」

「そんな場合ではなかったな。あの少年はどこに行ったんだ?」

「お酒を調達しに倉へ。すぐに戻ってくるんじゃないでしょうか」

「そうか。なぁサラ」

「はい」

「そんな場合ではないんだが、俺は色々考えさせられてしまったよ」

「あの少年のことですか?」

「うん」

 彼は自分を十七歳だと言ったからそれほどサラ達と大きく歳が離れている訳ではないのだが、栄養が行き渡っていない為か痩せ細っており随分幼く見えた。

「彼の言い分には真実ではないことも含まれていますよ」

「ああ。新聞を読むことさえできれば分かることだ」

 最近、貴族の館に強盗が押し入る事件が頻発している。金品を強奪する際に居合わせた貴族の令嬢が誘拐される場合もあるらしい。

 無事家に帰ってこられた令嬢は……未だいない。

「彼は身代金と引き換えに解放すると言っていて嘘を吐いている様子ではなかった。それに殺しはしないとも言っていたが、押し入った際に死傷した使用人がすでに多数でている。彼は……仲間だと思ってる相手からも搾取されてるんだ」

「そうですね」

「警察も貴族も馬鹿ではない、こんな無茶な稼ぎ方を続けていれば彼らは直に捕まるだろう。そして捕まった時、あの少年が考えているより遥かに重い罪に問われることになる。そうしたら……」

 トビアは暗い表情になった。

「彼が罪を犯してまで守りたいと思っていた家族は更なる貧困に喘ぐことになる。きっと幼い弟妹もあの少年と同じ道に進むことになるだろう」

「しかし同情してる暇はありませんよ。ここから逃げ出さねば私は娼館に売られ、お兄様は口封じに殺されるでしょう。それに思うのですが犯罪者の話を聞く必要はないのでは?」

「しかし既に聞いてしまった。それで考えていたんだ。そういえば俺は犯罪を犯したことがないな、と」

「それはお兄様が品行方正な人間だからでは?」

「違う」

 トビアが真剣な顔で鋭く答えた。

「そんな理由ではなく、ただ単純に……犯す必要がなかったからだ」

 自身の清廉さを誇っている風ではなく、トビアは淡々と言葉を紡ぐ。

「罪を犯さなければならない状況に追い込まれたことがない。……それは本当に幸運なことだ。家族に恵まれて、金に困ったこともない。餓えたこともないってことだから。彼が、彼らが根っからの悪人なのか、それとも本当はそうじゃなかったのか俺には分からない。彼らのしていることは間違いなく犯罪だが、餓えて、明日の生活も儘ならない相手に説教なんて意味がない。話なんてのは腹一杯飯を食ってから、当面の生活が保障されてからだろう。それで俺は」

「はい」

「それで俺は、彼を腹一杯にして、働き口を紹介する機会を失ったことを傲慢にも悔やんでいる。本当に……傲慢な考え方で、こんなことを言ったら馬鹿にするなと怒られるだろうな」

 トビアは手の中のナイフをぐっと握りしめた。

「それでも俺は彼が罪を償った後に真っ当に働いて、それで家族が食っていけるように手助けしたいと思うよ……。それに何より子供達が飢え死にすることがないような仕組みを考えていきたい。……世間知らずで傲慢なお坊ちゃんって言われるだろうけどさ。そもそも生きてここから出ていけるかも分からんけど。あ、けどサラだけは絶対家に帰すからな、何がなんでも」

 ふ、とサラは笑った。

「どうか心のままにお進みください。貴方が正しいと思った道を」

「……サラ?」

「予言しましょう。貴方はこれから沢山の人々の希望となるでしょう。数多くの困難を乗り越えて、長生きもしますよ」

「……」

 トビアが何かを言いかけた時だった。

 少年の軽い足音とは違う、しかし重厚さの欠片もない足音がひっそりと二階に向かってきていることに二人は気付いた。

「あら、宴の真っ最中でしたが何のご用でしょうね。まぁ見当は付きますけれど~。皮肉なことに生まれも育ちも何もかも超えて、心に宿る悪意は平等です。古今東西、老若男女、考えつく悪さは大体同じ~」

 縄を断ち切る音がしてトビアが立ち上がった。素早くサラの縄も切ると扉の横に移動した。

 そして扉が開いた瞬間、入ってきた男の頭をぶん殴った。よろめいた所を壁に押し付け腹の下から突き上げるように拳を入れた。

 男が怒鳴り声をあげる暇もなかった。気絶した相手をさっきまでトビアを縛っていた縄で縛り上げ、口内にその辺に落ちていた布切れを押し込んで簡易的な猿轡とした。

「まずは一人だけどなぁ」

階下したにはまだ大勢いますよ」

「俺が絶対に隙を作るからサラは」

「走って逃げますか?この重いドレスで」

「なら俺の服を貸す」

「お兄様、背に腹はかえられません。ここはサラがヤられましょう。そして一味が寝入った後に逃げ出すしかありません」

「馬鹿いうな!」

「いや、それが一番現実的……っと、また?また来てます?」

 またギシギシと階段を上ってくる足音。今度は一つじゃない。

「お兄様」

「駄目だ。絶対」

 サラが眉をひそめた時、また扉が開いた。入ってきた男達は全部で五人。一同は人質であるはずの兄妹が縄をほどいて立ち上がっている事、仲間が一人床の上で縛られて転がされている事に驚いた顔をした。

「へぇ、やるじゃねぇか。ただの坊っちゃんじゃなかったんだな。妹を守ろうとするなんていい兄貴だ」

「まぁ、守れないけどな」

 ニヤニヤと笑う男達の腕から逃れることもなくサラは捕まった。

「大人しくしますから兄に手を出さないでください」

「お、妹の方も泣かせるねぇ」

「サラ!」

「大丈夫大丈夫。この娘は俺達の大事な商品だ。優しくしてやるよ。ちょっと我慢してりゃぁ直ぐ終わる」

「なんて事はないさ。貴族の女共は『汚された』なんてメソメソしてたけどなぁ、女は聖女みたいなのより尻が軽くて馬鹿なのが最高だよ。どのみちこれから毎日客を取ることになるんだから汚れるのが早いか遅いかってだけだ」

「汚れる?」

 彼らの言葉を聞き咎めて、サラは聞き返した。

「汚れるとは?」

「はは、初なお嬢様はそんな事も分からないか。純潔散らして男の味を覚えるって事だよ」

「それはおかしいですね」

「あん?」

 悪魔だったサラに貞操観念などないが、人間ひとの男の言い分は奇妙だった。

「愛を交わした相手でもないのに興奮して穴に突っ込みたいと思っている訳でしょう。つまり情欲に溺れ、脳ミソが溶けて精神が汚れ腐ったのはあなた方であって、こちらではない。私のどこにも傷も穢れもないけれど、何故私が汚されたという判定……?」

「……」

 男達が面倒臭そうな表情になったのが分かった。

「……今後の為に一つ忠告しておいてやるよ。ヤる時にギャアギャア騒ぐ奴は男でも女でも嫌われるぜ」

「止めろ、サラから離れろ!」

 強い握力が手首にかかり痛みに微かに顔をしかめる。首筋に酒臭い吐息がかかるが、それは直ぐに離れた。勿論トビアの言うことを聞いたという訳ではない。

「ん?おい、どうした?混ざらねぇのか?」

 サラが傷つけられることを恐れて抵抗できないトビアを再び縛った男が縛り終えても戻ってこない事を不審に思ったらしい。

「いや……俺、こっちでもいいかな」

 こっち、と言いながら彼が見ていたのはトビアだ。サラは一瞬固まって、それから瞬きした。

「うわ、お前またかよ。そんなデカイ男のどこがいいんだ」

「男も女もどっちもいいけど、俺はこういう愛嬌のある顔が好みなんだよ。人形みたいな面よりさ」

「分かんねー。まぁ俺が掘られる訳じゃねぇなら何でもいいけど」

「よくないね」

 サラが冷たい声でそう言ったのと、男の股間を蹴りあげたのは同時だった。不用心に目の前でちらつかせていた拳銃も腰から引き抜いて別の男のこめかみを銃身で殴打した。床に落ちていたナイフを足で蹴り、それをトビアが上手く拾ったのを視界の端で捉える。

「この女……!」

「訂正します~」

 にこやかにサラは微笑んだ。

「あなた方にレイプされても私は何一つ汚れないけど~ただただ腹立つかも~。だってこの身体は両親や兄や皆が大事に育ててくれた身体だから。やっぱりあなた方が触るのはおかしいかも~」

 とは言え如何せんドレスが重く動きづらい。しかも非力な女の腕では殴っても殴っても拳が軽く気絶させられない。サラのドレスの裾が乱暴に引っ張られた瞬間、男が兄に蹴られてふっ飛んだのが見えた。

 気が付くと室内には縛られた男が一人、呻きながらぐったりした男達が五人、それから声もでないほど疲れきったサラとトビアが息を切らして立ち尽くしていた。

 拳銃を握りしめて人をぶん殴っていた為に皮が剥けてズキズキと痛む掌をグーパーしていると視線を感じた。

「……お転婆すぎましたか?貴方の妹として品性の欠けた振る舞いでした?」

 トビアが首を振る。

「いや?勇敢で格好良かった」

「私にもう少し腕力があればもっとお役に立てたんですけど~」

「いや、それ以上無茶されると俺の心臓がもたない……」

 トビアが困ったように笑った。

「私はお兄様に謝らないといけません。自分の身体を差し出すのが一番手っ取り早いと考えたのですが、短慮でした。……嫌なものですね。理解しました。ごめんなさい。それに貴方は私が庇護しなければいけないような弱い人ではなかった。知っていたんですけど……どうやら怪我をしてほしくなかったみたいです」

「分かってくれたなら良かったよ。俺もサラも昔から両親が騙されるのに付き合ってそれなりに苦労してきたからな。腕っぷしも鍛えられた。けど何とかなったのは彼らが酔っぱらいだったからだ。運が良かっただけだよ」

「そうですね」

「それに流石に今の物音で彼らの酔いも覚めたらしい。今度は武装して雪崩れ込んで来るだろうな」

 いつの間にか階下は静かになっていた。そりゃあれだけ派手に立ち回れば異変を感じるだろう。

「……お兄様」

「んー」

「貴方の心臓が止まるような真似はしないと誓いますので、ほんの少し目を閉じていてくれませんか」

「いいよ」

 フフッとサラは笑ってしまう。

「即決ですね~。考えた方がいいですよ」

「サラは昔から浮世離れというか……人智を超えた所があるからな。お前が真剣に頼むならとても重要なことなんだろう。だからいいよ」

 そしてトビアは本当に目を瞑った。

 怪しいサラの頼みを疑いもせずに信じている。流石あのお人好しの両親の息子だ。

 ……彼はこれから沢山の人の希望となるだろう。何度も騙されて裏切られて傷付きながら、それでも人を救おうと立ち上がるだろう。

「絶対に覗いてはいけませんよ?」

「どこかで聞いた昔話みたいだな……」

 サラはもう一度静かに笑って、それから自分の足元をみた。そこにはただ影が落ちているだけ。サラが屈むと影も小さくなった。

 それに向かって手を伸ばす。すると、トプン、と指先が影に飲み込まれた。

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